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ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

コロナ禍での緊急手術@父

2020-12-02 23:31:25 | 健康・病気

12月、同時多発テロ✖、同時多発介護◎、やはりあり得ないほど忙しいのです…。へとへとです、ブログは書ける時だけ。私のブログは楽しいブログではありません、備忘録。

 

◆12月1日(火)快晴。15-7℃

いつも通りの日常に戻りつつあった、老猫は呆けて一晩中鳴いているが、いきなりの急変も無さそう、老衰死になりそうな身内の一人を除いては、平等に、延々と続きそうな、いつもの平凡な日常が来た。

だが、疲れて「朝が来なければいいと思った、このまま寝ていたい」と…。そう、思いながら普段通りに決めた課題をこなして過ごしていた、特に老猫の強制給餌や排便(摘便)、おむつは、ミルク飲みの目の開かない子猫同様に手間がかかるから、寝てはいられないからだ。

そう言えば、自粛で編んだものなど。

 

「今日もようやく一日が無事に終わる」と思った頃、また色々起きた。

何処にもGotoしていないが、窓の下ではタマリスクの紅葉が始まっている。

テレビではコロナ患者の増加が映し出され、それ以外の話題で何か美しいもの、家で自粛になる励みが欲しい、私は自粛中、図書館、古本屋にもいくまいと決めた。

古本屋で注文した本が夕方届いた。なんと一円+送料230円と,12冊で960円。一つは新品。

読まれずに裁断されるよりはいいだろう。

第一波の時にイギリスで本と紅茶とクッキー缶が売れたそうだが、もう、それ位では国民はストレスが溜まり、自粛の励みにならないのだろう、今のヨーロッパの患者数の棒グラフには脅威を覚える。

知識の引き出しは広いほうが魅力的だ、だが、私の残り時間では、もう全ての本は追いきれない、自分はターゲットを絞り、音楽関係の本や映画だけは今度追おうと決めた。

この本は英語教材にもなり、草彅君でテレビドラマになって録画もしたが、多忙過ぎて見ないで消してしまった。(今、日韓はぎくしゃくしているが、バイオリンをしていると、かのアインシュタインが鈴木バイオリンの愛用者だったり、意外と音楽では懐が広いというか、国同士は交流しているのだ。)漫画の方が原本より優れているらしい。

色々ジタバタした近頃、何故かレッスンの時間だけは何もアクシデントが無くて、30分だが行くことが出来た。

そこで、私の前の時間の女の子の保護者のお母さんから、私の身長、特に手の長さが羨ましい事、そのお母さんはバイオリンでも背が低く苦労したこと、背が高かったら本当はセロを弾きたかったことや、大きい楽器は運べない事、また、我が子への思いを色々聞けた。私は小柄な女性が可愛らしくて大好きなのだが…。人は無いものねだりをする、だが身体は変えることはできない。

先生にも私の長年のコンプレックスの身長と手は羨ましがられた、たとえリウマチで変形し始めても。そして「本当に構えや綺麗な手の形になった」と喜ばれた。また、ピアノも勧められたが、先週、先生は帰り際におっしゃった「私さんにはずっとバイオリンを続けて欲しいな…」と。だから、他の趣味と違う、もう最後まで投げ出さない、そもそも、この楽器が下手でも好きなのだ。

コロナ禍で楽器を習う人が増えているそうだ、一番人気はウクレレ、あと、どの楽器でもレッスン料は似たようなものです。どれが高いとか差異は無い。実際、私は床屋代を節約程度の金額で済んでいます。

人はパンのみにあらず、本当に、私にとっては音楽(芸術)は私の人生を豊かにしてくれた。

どんなに下手でも弾けた方が、弾けないで、すぐれた批評家よりエライ、批評家というものは多くの芸術家の芽を摘んでしまうと、個人の意見だが思っている。芸術全般、絵でも、書でも、何でもだが。

夕方、父が急変し、いつものかかりつけ医でなく大きな病院に変わる。その時点で、父が黄疸を起こしており何も食べられない危険な状態なのがわかった。明日から本格的な検査や治療に入ることになる。

とりあえず、医療従事者の友人、ブログで知り合った友人にようやく返信、LINEやメールで近況を漸くお知らせした。特に医療従事者の親友には、この母と約束した看取りが済んでしまえば、私の人生しかないわけで、あとは受験だけで良い2つの国家資格試験に延々受かるまでチャレンジするか、もしくは、もうその仕事はしたくないので、または闘病しながら、ある勉強をし続けるなど、、、

この哀しみの後には、落ち着いたら、私のやりたいことが出来るのだ。ここにいる必要もない、「新潟の猫ちぐら職人に俺はなる!」と常日頃いつも言っているが、、、本当に何時ものギャグが実現可能なのだったwwww

まぁ、このコロナ禍の時期は自粛ですがwwww 色々考えて夜は更けていく、猫に給餌しながら、いつの間にか夜明け前になっていた。

到着した本を読むどころではなかった…。

 

 

◆12月2日(水)久しぶりの雨。いきなり寒い。9ー8℃

来なければ良い朝が来た、何時ものように老猫は狂ったように一晩中鳴いている、朝一番から強制給餌や下の始末、いつも通りに動いた。(「コロナ禍だから、病院にはお見舞いに来ないで」との話だったからだ。)

楽器を弾き、父が好きだったショパンの「別れの曲」をさらった。まだ綺麗に弾けていない、そしておそらく、もう聴かせるのには間に合わないのだった。

本を読むか、編み物か、編み物は目を飛ばしこんがらがり、イライラとほぐし始めた時に電話が鳴った。

病院から連絡が来たのはお昼近く、「危険な状態である、お話がある」と。早速、着替えて、次の給餌を待って私を見上げていた猫に「御免ね」と謝り、駅前の小さな広場でタクシーを拾った。

病院に着いた、病院はコロナ患者さんも引き受けているそうだが厳戒態勢だった。

父の黄疸は胆管の閉塞で胆石を内視鏡を取る手術だが、高齢ゆえ危険、特に膵臓と胆管と分かれる二股部分が傷ついた時は厄介なことになる、多分助からないと。

また心臓に水、心タンポナーゼが起きている、これは心臓由来ではなく癌など(前立腺がんがあり)、他の病気がベースになっており、血圧はもとより低いのだが、上下の差がタンポナーゼで無い、狭まっている、若い人のようには簡単には水は抜けない。リスクが伴う事など。勿論リスクよりベネフィットが上回る場合は抜くという事で頼むしかないではないか。最期が苦しまなければいいのだ。

この胸水の件では、お医者様に質問等、驚かれたので、動物医療(乳がんの猫の胸水の抜き方)で学んだと答えておいた。くだらない何事も、辛い経験であっても役に立つのだと思う。また、心停止の時は、救命、心臓マッサージなどしない方向でお願いした。

父は真っ黄色で(ミカンの喰い過ぎとちゃう)、肌にかゆみも出てきて、ずっと車いすに座り、にこにこと静かにハミングをしていた。音楽が好きなのだ、独学でピアノも弾いていた。18番は「乙女の祈り」「波濤を超えて」だった。

入院手続き、必要なものを取りに行ったり、売店で物を揃えると、もう外は真っ暗だった。コロナ禍だからガラス扉で病室に行く廊下はシャットダウン、明日のオペにも立ち会えないし、今度病室から出る時は退院か、棺に入った時で、死に目には立ち会えない事になった…。内科も、心臓科の先生もお若いがとてもホスピタリティ溢れるやる気満々の良い先生で、お一人は奇しくも私と共通の医療関係の知り合いがいた、安心して任せられる。

その後は誰とも話したくなかった、タクシーも拾わなかった、真っ暗な雨の中をただ歩いて帰った。

走馬灯のように想う、私の読書習慣、芸術への興味、思いもせず褒められた音感、発音、大事な子供の頃に植え付けてくれたのはこのアルツ父である。塾に行くお金のない子のために夏期講習やら色々して、娘の私以外の皆に慕われていた。お礼を言われたこともある。嫌いだった。ずっと親には反抗していた。悔恨のために介護のキーパーソンとなっただけだ。

何時ものランニングシューズが水浸しになる頃に、家に到着した。

結んだ髪も、コートも、編んだマフラーも、新しいリュックも、全て濡れてしまった。その着替えすらをも待てないで、老猫が大音量で鳴き叫んでいた。手を消毒し、濡れた体で、トイレ介助をし、排便させ、強制給餌をした。その後、コートを干し、夕食を慌ただしく作った。

淡々と目の前の課題をやる、いつかは懺悔の日々も終わるだろう、今は(自分自身を含めた)ゴールの日まで、ひたすらに、真っ直ぐに取り組むだけである。

 

【本文と全然関係ないおまけwwww】

ウルトラセブンとシューマンのピアノ協奏曲イ短調

動画説明から。

ウルトラセブン最終回のBGM
ロベルト・シューマン作曲ピアノ協奏曲イ短調作品54
ピアノ:デュヌ・リパッティ
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
フィルハーモニア管弦楽団

使用した円谷プロも凄いが、、、これに気が付いた人が凄くね…_| ̄|○

コメント (8)
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