快晴。気温はどんどん上昇、
入道雲のような雲が浮かぶ。21-13℃
日中は汗ばむような気温。
夕方からは雨が降り出し、一時雷鳴がとどろく。
老猫は相変わらず、現状維持だが、強制給餌が辛い、辛すぎる…。私の気力、体力の消耗が酷い。今日もAmazonでk/d缶が届く。
さて、今日は塞がなくては。
パネルの後ろに隙間テープを貼り、釘を打つ場所を鉛筆で印をつけ、固定し始める。
最後の部分を切り出す。
ああああああああ!間違えた!
時間と板の無駄で頭を抱える、板を切る作業が一番辛いのだ、今の私の手には。
慎重にやり直す。
何度も言うように、古い家はくるっている場所もある。原寸合わせで数ミリ切らねばならない。
合った!
なお、ホームセンターでマシンカットしてもらっても、家とは合わない、隙間は出来る。だから、コーキングか、薄い木で埋めていくわけです。
気の遠くなるような作業ですが、これが大事。
気温はどんどん上昇、汗ばむ暑さ。20℃を超えている!
隙間も埋め、ぴたっとした、白いペンキを塗るのが待ち遠しいが、それはまだまだ先の事。
次の難関は三角形のパネル作り、
底辺は1mを超える、これを出来れば2枚切り出したい。
どんどん難しくなっていく、型紙は作ったが、今日は集中力に欠けてきた。
しかし、私はこの家の内部全体に、私の出来る範囲で手を入れ、最後に床と壁をペンキを塗り直して住みたい野望に変わってきている、庭もぐちゃぐちゃだが、こうなると全部に手を入れたい。
勿論、やれる事には限りがあるが、持てる資源内と力量で、思うような空間で終わりたい。
時間はかかるが出来ると思う、勉強と並行して、きっと出来る!、自分を信じる。
弓矢のように、進め。
あっという間に一日が終わる、
美しい日没が始まり、老描がお腹を空かせて鳴きわめいている。辛い強制給餌の時間だ。
猫に強制給餌をし、家事をし、
慌てて練習もし、今、これを急いで書いている。(昨日は宿題は出来ないままです。どーするw)
2011年、3・11以降に植えたブルーアイスが天に向かって伸びている。
2011年は個人的に大変な年だった、結局、家も2軒修復したし、家からは石油タンクが数日間燃えているのが明かりで解った。帰宅難民も見たし、母の入院先からは、津波が見えた、
原発30キロの園外、丁度外れる従兄妹の旅館が避難所になっていたり、電話不通、あちこち停電、断水、私は幸い小さな被害しか無いが、地震の怖さは語り尽くせない。
あの一年、余震で地面は震えていた、母の抗がん剤で癌研にいた5月も震度4、母の御棺を前にした夏の最後の夜も震度4が来た。父の施設は孤立し、食料や水のタンクを運んだり。
この前、友人に、災害マニュアルとして、その混迷の事を話して欲しいと聞かれたので、地震後の食料の事、水やガソリンなどのライフラインの事はお話しした、拙い経験だが、少しでもお役に立つと良い。
今、生きている方々が、辛い思い出とずっと共存はしていても、
少しでも、毎日が幸いであれと祈っております。