在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
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李朝風の唐臼の音が渓谷に響く「小鹿田焼」窯元

2008年06月10日 18時36分12秒 | Weblog
6月9日大分県日田の「小鹿田焼」を訪ねた。筑豊のS先生が案内して下さった旅。英彦山から険しい山道を抜けると11軒の窯元の集落に行き着く。5月29日に京都の「大山崎山荘美術館」でバーナードリーチの「飛びかんなの大皿」を見た時「小鹿田焼きで1954年に約1ケ月滞在した」との説明文を読んだのがきっかけであった。1931年に訪ねた柳宗悦が「そこだけ無傷で残っている李朝の風景」と書いているが、今も原風景にであったような感じの場所である。その前に通り過ぎた小石を積んだ小石原の棚田の風景の感動が消えないうちに辿り着いた小鹿田焼窯元。秀吉の朝鮮侵略で連れて来られた高取八山、高取の影響を受けた小石原の陶工の手で焼かれ続けて来た窯元。窯は一子相伝。生活に必要な焼物に徹して延々と400年近い。土は裏の山の土を共同で取り、各窯元の唐臼で2週間かけて土を砕き女性がすいひする。機械化しない伝統的手法がロクロのスピードにあっていると聞く。ロクロは朝鮮風の蹴ロクロ。共同で焚く登り窯、展示室もなかなかいい。バーナードリーチの大皿にもまた出会った。ちょうど到着した時、女性が朝鮮の「道祖紳」前の草を引いておられた。石人像も左右にある。浜田庄司も訪ねたらしい。若い陶工の方が民芸運動に関わった人の話をしてくれる。
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