在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

3月4日と4月16日に「直島」に行きました

2012年04月17日 10時08分28秒 | Weblog
宇高連絡船に乗って高松⇔宇野を往来していた頃の直島の風景が脳裏に焼き付いている。
他の島は緑に覆われているのにこの島は黒く鼠色の島だった。
三菱マテリアルは今、豊島の廃棄物を焼却しているとニュースで聞いていた。
宇野港から20分でフエリーは宮之浦港に着いた。昔連絡船から見た風景とは変わってはいたが、三菱の周辺の山々は、鼠色の雰囲気十分であった。
かつて三菱製錬所には囚人、朝鮮人労働者、女学生も動員されていたと浄土卓也氏の「朝鮮人の強制連行と徴用ー香川県・三菱直島製錬所と軍事施設}(1992・社会評論社)、「朝鮮人強制連行調査の記録 四国編」(柏書房・1992)で読み島に渡った。
私がお付き合いしている友人2人のアボジ(父)は朝鮮半島出身で直島で家族で住んでいた方である。お1人は数家族で漁船のような小さい船で釜山から直接直島に来られたのである。
香川県かがわ郡直島町役場(元小学校・当時は尋常小学校であり、国民学校のあった付近)付近の民家は島アートに参加しており、若者が散策している姿が見られた。
4月16日は月曜日で島アートがお休み、でも遠路来られるならと美味しい手打ちうどんのお店の方が私達3人のお客のために開けて下さった。話は尽きなかった。
松山刑務所の囚人が鎖に繋がれて歩いているのを見た時は、子ども心に怖かったとリアルに話して下さった。
クラスに在日の同級生がいたと懐かしく、何の隔たりもなくしゃべるのは温かい。高齢者といわれる方こそ歴史の証人であり、「島を守る生涯現役の人生」を教えて下さる先輩である。ありがとうございました。
朝鮮人住宅のあった場所を教えてもらって訪ねてみた。浄土卓也氏の本に詳しい地図が掲載されているが、今どのようになっているのか教えていただいた。雨が降り出したが心に雨は降らなかった半日。
大阪に帰り、お礼のお便りをお出ししたらすぐお返事を頂いた。
「また、話の続きをしに来てください」と・・・。
二回も直島に渡ったがベネッセの地中海美術館には入っていないのである。

1月に訪ねた伊吹島、3月、4月に二度訪ねた直島の住民のなりわいの違い、人情に触れて忘れられない島が増えた。
高松市庵治町の「大島青松園」には島アートでも何度も渡っていたが、松浦篤男さんが亡くなって足が遠のいている。