在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
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「国立駿河療養所」建設と朝鮮人労働者

2008年08月28日 09時35分23秒 | Weblog
8月27,8日と静岡県御殿場市神山にあるハンセン病療養所「国立駿河療養所」訪ねた。パンフレットにあるように箱根外輪山の中腹、海抜500mの傾斜地で、富士山を望む場所にある。機関誌「駿河」の表紙は毎号四季折々の富士山の写真が使われている。駿河療養所は、1937年日中戦争の始まり、さらに戦争が拡大するなか戦地からハンセン病のために内地送還される傷痍軍人が増加したことから建設が計画された。患者は軽症であり治療目的で建設されたものである。1945年6月10日、名古屋第二陸軍病院駿河分院としてが開所。名古屋陸軍病院より患者一名が入所した日である。県道から約2㌔の山道は1943年5月着工。2000年春号「駿河」には「資材労働力不足の時期に突貫工事だったと推測できる。地元の人の話では多くの朝鮮人労働者が使われており、民家を借りて飯場にしていた」とまた「1945年4月、工事を直接指導したのが指導官竹中中佐(前参謀本部勤務)で朝鮮より徴用した約1000名の労務者(農耕部隊とも義勇隊とも言われていた)を使い吶喊工事の末に短時日で工事を終えた」と記述されている。1945年9月から11月には患者建設部隊として国立療養所入所患者のうち健康度の高い者を募集した。34名が応募した中に邑久光明園(前身:外島保養院)からの24名が含まれている。2/3にあたる。1945年12月1日には軍人療養所から民政移管、厚生省管轄下の国立療養所となったのである。