『 曲がっている木は利用しにくいので打ち捨てられていて、結局寿命をまっとうする。 』
真っすぐに伸びた木は、建築材に適しているので切られてしまうが、曲がっている木は利用しにくいので打ち捨てられていて、結局寿命をまっとうする。人も、背伸びして自分を誇示すると風当たりが強くなり、敵も増える。身をかがめて、控えめにしていると、そのような抵抗は少なく、かえって真直ぐに進むことができる、という教えです。 ( 『老子』第二十二章より )
( 「ちょっぴり『老子』 第27回より )
『 すばらしいイベント 』
国立競技場で 小中学生による 陸上競技会が行われた
東京都と近県の小中学生700人の
ごく限られた児童・生徒による大会であるが
すばらしいイベントに 関係者に敬意を表したい
オリンピックもさることながら
厳しい条件下であればこそ 本来のスポーツの在り方を考えてみたい
今後も この競技場が 広く門戸を開けるものであってほしい
☆☆☆
『 コロナ感染者数 ピークアウトか 』
新型コロナウイルスによる感染者
わが国の現状が 第二波か否かも 見解統一できないらしい
現状についても 責任ある立場の人が 歯切れの悪い言葉ながら
ピークアウトしたようだと発言
さっそく 何人かの知事は 不満らしい発言が見られた
それにしても 「重症者数のとらえ方」「ベッド数の把握」「PCR検査の状況」
等々で 国・都道府県・医療現場で 今一つ呼吸があっていないようだ
根本的な練り直しが 必要な気がしてならない
☆☆☆
『 藤井棋聖 王位も獲得 』
藤井聡太棋聖 王位戦を四連勝
王位獲得で二冠となり 八段昇格も決定した
これにより 二冠と八段の最年少記録を更新した
それにしても 凄い棋士が現れたものだ
まったく素人の私などが見ても
わくわくするような指し手が 次々繰り出される
さらに 師匠の人柄がすばらしく インタビューに引き込まれる
天才の開花には この師匠の存在が大きいように思われてならない
☆☆☆
麗しの枕草子物語
いつの世も宮仕えは
正月も十日を過ぎて、除目(ヂモク・春は地方官の、秋は宮中の官吏の定例の異動があった)の頃となりますと、任官を待つ家々では、悲喜こもごもの姿が見受けられます。
今年こそは受領の任が与えられるという期待が大きい家などでは、数日前から、それはそれは大騒ぎでございます。
かつてこの家に仕えたことのある人々は、主人が閑職にあったためやむを得ず他家へ移っている者や、田舎に戻っている者たちなど大勢が集まって参ります。
任官祈願の牛車が出掛けるとなれば、我も我もと随行する者が実にたくさん集まってきます。
いよいよ受領が決定される日ともなりますと、集まってくる人の数はさらに増えて、出されるご馳走を食い散らかし、酒を飲みまくり、まるでお祭のような騒ぎです。
やがて夜も更けて、騒ぎ疲れた頃になっても、任官を伝える使者が訪れる気配がありません。さすがに、飲み食いに励んでいた人たちも様子のただならぬのを感じてか、「どうも、おかしいな」などと、ささやき合い始めます。
外の様子などを耳を澄ませて窺っていますと、先払いの声などが聞こえてきて、上達部(カンダチメ・上級貴族)たちが次々と内裏から退出なさっています。
情報を掴むために内裏近くに行かせていた下男の姿を見つけても、事の結果を訊ねることもできません。
そのようなことになっていることも知らずに訪ねてきた人が、
「殿は、どちらの国守になられましたか」などと訊ねますと、
「前の某国守ですよ」と、答えているのです。
それが、このよう時の慣わしだそうですよ。
やがて、詰めかけていた大勢の人たちは、沈みきった雰囲気に堪えかねて、要領の良い人から順番に、一人去り、二人去り、家の中はさらに静かになっていきます。
しかし、永年の恩顧のある人や郎党たちは逃げ出すこともできず、「来年国守の交替があるのは、あそこと、あそこと・・・」などと、指を折っているのです。
「すまじきものは宮仕え」とか申すそうですが、なんとも、はい・・・。
(第二十二段 すさまじきもの・・、より)
『 大阪が東京を超えてしまった 』
とうとう 大阪が東京を超えてしまった
新型コロナウイルスの 本日の新規感染者数の事であるが
ここ数日の傾向から その可能性があると考えていたが
人口比を考えると 実に深刻だ
隣接している当県も このところ高水準で推移している
経済活動のてこ入れ 感染防止の強化
アクセルとブレーキを 同時に踏むわけにはいかないが
細かな踏み分けが リーダー頼みでは無く
一人一人に問われている
☆☆☆
『 難しい一週間 』
厳しい暑さが続いている
40℃ 超えの地域が 数か所に及んでいる
熱中症の患者が増え 死亡者も増えてきている
子供たちも 学校が始まっている地域も多い
暑さは この数日がピークだと思われるが
コロナに気が取られ過ぎているが
熱中症や 海や川で被害など
この一週間は 特に注意が必要だと思われる
☆☆☆
『 戦後最悪ですか? 』
4~6月のGDPは 年率換算で27.8%減と
惨憺たるものとなった
ほぼ予想されていた数字とはいえ
「戦後最悪」とほとんどのメディアが伝えている
本当にそうなのか と 疑問がわく
統計的には そうなのかもしれないが
学校のテストでもあるまいに
経済は もっとダイナミックで多面性を持っているはずだ
数字にオタオタすよりも もっと逞しく 回復への提案を主題にしてほしいものだ
まあ 私などが憤っても仕方がないが
『ここからが わが国の力の見せ所ではないかと
大いに期待を抱いているのですから』
☆☆☆
あるじをば たれとも分かず 春はただ
垣根の梅を 尋ねてぞ見る
作 者 藤原敦家朝臣
( No.42 巻第一 春歌上 )
あるじをば たれともわかず はるはただ
かきねのうめを たずねてぞみる
* 作者は、平安時代中期の貴族、管弦の名手。( 1033 - 1090 )行年五十八歳。
* 歌意は、「 その家の主人が 誰であろうと分け隔てることなく 春はただひたすらに 垣根の梅を 訪ねてみている 」といった、ごく分かりやすい意味と思われる。
* 作者 藤原敦家は藤原北家に属する家柄で、上流貴族として活躍する可能性を持ちながら、数奇な生涯を送った人物といえよう。
父は大納言藤原兼経であるが、兼経はあの道長を養父としていることから、権力の中枢近くにあった人物と考えられる。ただ、母は藤原隆家の娘である。隆家は氏の長者として宮廷に君臨した道隆の四男である。道隆は一条天皇の中宮定子の父であり、道隆の弟・道長は同じく中宮彰子の父である。共に、平安王朝文化の絶頂期に君臨したが、道隆の死後は道長が実権を握ることとなり、隆家らの一族は権力競争に敗れていった。
敦家にとって不運なことは、十一歳の頃に父を亡くし後見を失くしたことと考えられる。隆家の娘を妻にしていることがそれほど悪影響を与えたとも思われないが、道隆一族と道長一族との権力闘争は苛烈なものであったようだ。
* 1068年、敦家は蔵人頭(クロウドノトウ・蔵人所の長官・定員二名。)に就任する。三十六歳の頃で、家柄からすれば早い就任とはいえないが、天皇の秘書的な役職であり、公卿への登竜門といわれる地位であった。官位についてははっきりしないが、おそらく正四位下辺りであったと推定される。
しかし、敦家の蔵人頭は三日で消滅する。もともと、後冷泉天皇が重体に陥る中での就任であったが、三日後に崩御、敦家はその職を辞したのである。
* その後の敦家の官職については、はっきりしない。1087年に正四位上に昇進したようであるが、すでに五十五歳の頃のことで、あまりにも遅い昇進といえる。
1088年の頃に伊予守に就任しているが、受領職は実入りがよく中下級貴族に取っては魅力ある地位であるが、公卿の地位(一般に三位以上)を断念させられるような人事だったかもしれない。
蔵人頭を辞してから二十年近くの間の敦家の動向は資料が少ないようである。ただ、管弦の名手としては名高くなっていて、神楽・朗詠・今様などの上手として知られていたことから、これらの道に精進していたのかもしれない。そして当然のように、そうした道の先駆者ともいえる遊女・白拍子・傀儡女などとの交流が伝えられており、これらのことも貴族としては感心できない行動であったのかもしれない。
* そして、1990年に金峰山で亡くなった。行年五十八歳。当時としては、まず普通の年齢での死去であるが、その死因は頓死とされている。頓死がどのような意味を持っているのかはっきりしないが、ある書には、「敦家、声めでたくて御嶽に召しとどめられて御眷属になれり」と記されているので、特殊な形で消息を絶ったのかもしれない。
敦家の官位が、正四位上に昇ったとされながら、最終官位は正四位下とされているらしいことも、何か事情があったように想像してしまう。
* 敦家が歌人として優れていたという記録は、あまりないようである。新古今和歌集にはこの一首だけが選ばれているが、むしろ、よくぞ選んでおいてくれたものだ、と思うほどである。
しかし、敦家の優れた芸能面での能力は、子孫に引き継がれ、和歌の上手を輩出しているのである。
敦家の娘の一人は、従三位権中納言藤原俊忠の妻となり、あの藤原俊成を儲け、さらにその子には藤原定家が誕生しているからである。
藤原敦家は、今少し行跡が残してほしかったと思う人物の一人である。
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『 御霊をお送りする 』
お盆にお迎えした ご先祖様の御霊をお送りする送り火
その風習は 多くの土地で残さているそうだ
京都五山の送り火は 今年は規模を抑えての実施となった
点火場所は 一山につき 一か所あるいは数か所に絞られている
しかし ご先祖様への思いは何ら変わることなく
私たちの切ない思いを 十分にくみ取ってくれるはずだ
今 テレビを見ているが 京都五山の送り火の点火は
八時に如意ケ嶽を最初に 順次進められるケ
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