雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

指導者の条件 ・ 小さな小さな物語 ( 1758 )

2024-04-15 08:00:25 | 小さな小さな物語 第三十部

近くの公園に併設されているグランドで、子供たちがサッカーの練習をしていました。
日の出がずいぶん早くなったとはいえ、早朝から小学校の低学年くらいの子供15人ばかりが、元気な声でボールを追っかけ回しています。
少しばかり見ただけですが、正式なサッカークラブではないらしく、ユニフォームらしい物を着ている子は半分ほどで、シューズも普通の運動靴を履いている子の方が多いようです。
そのグランドも、野球のバックネットらしい物は設置されていますが、サッカーのゴールポストはなく、それに当たる辺りの両側に椅子が置かれていて、その間を通せば「ゴール」ということのようです。まあ、遊びと言えばそれまでですが、子供たちの元気な声に、思わず足を止めてしまいました。

審判役や監督などを務めている人など大人も五人ばかりいますので、近くの町内の行事なのかもしれません。審判を務めている人は、かなりキビキビとした動きを見せていますが、それ以外の大人の人は、男女ともにサッカーの経験などないように一見しただけで感じられました。
こうした集まりが定期的に行われているのかどうか分りませんが、とてもスポーツというレベルとは思えないのですが、子供たちの中には本格的に練習しているのではないかと思われる子も数人混じっていました。全員が楽しんでいるのかどうかは分りませんが、スポーツが苦手な子がこうした経験から身体を動かす喜びを知ってくれると良いな、と思ったり、馴染みきれない人もいるのかな、といらぬ心配をしてみたり・・・。

中学や高校のクラブ活動について、スポーツクラブを中心に時々問題が発生しています。
一つは、教師の負担の問題です。関わり具合によって、教師の負担は様々でしょうが、時には私生活を相当犠牲にしているようですし、仕方なしに名前だけの顧問になっているような場合には、歪んだ活動が懸念されます。
もう一つは、大学も含めて、スポーツクラブに限らないのでしょうが、指導者による暴力、虐待、性犯罪といった類いの事件が後を絶ちません。しかも、内部で隠蔽しようとした動きと疑える事例も少なくありません。
こうしたクラブ活動を学校教育の一環と考えるのであれば、スポーツ指導者に対しての教育をもっと重視すべきだと思うのです。

常々私は、スポーツ指導者に対して、せめて最低限のモラルだけは習得させるべきであって、校外のスポーツクラブや同好会などのリーダーに対しても習得の機会を設けるべきだとの考えを持っています。
しかし、早朝から、サッカーと言うより「ボール蹴り」とでも表現した方が正しいようなレベルの競技に、子供たちが歓声を上げ、休日とはいえ貴重な時間を子供たちのために参加している人たちを見ていると、私の考えも「正しくないのだなあ」と感じさせられました。
年々、スポーツや身体を動かす遊びを好まない子供が増えているとも言われます。家の中で、しかも一人で遊ぶ手段に困らないため、環境の良くない屋外に出るとか、苛められたり意見の合わない人といるよりは、スマホさえあれば何の不自由も感じないという子供が増えつつあるとも言われます。
身近な感触だけですが、地域の子供会などで屋外活動が激減しているような気がします。子供の数が減ったことや、外に出たくない子供が増えたことなどの理由が大きいのでしょうが、子供たちを集めてサークルのような活動を世話する大人が減ったことにも原因があるような気がします。
社会保険料の負担を増やして子供たちの費用に回すという施策には、文句を付けるのは難しいのですが、地域で子供たちを集めて活動を主導する大人が激減していることに懸念を感じています。そして、その理由の一つが、子供たちが怪我をしたりトラブルに巻き込まれた場合、世話役が厳しく責任を問われるようになってきた社会のあり方にも原因しているような気がしています。
もしかすると、私のスポーツ指導者に対する考え方は、世話役を減らす方向になっていたのかもしれません。


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