あるテレビ番組の中で、「あなたにとって幸福ってなんですか?」と呼びかける場面がありました。
ゲストやコメンテーターではなく、一般の人に呼び掛けたもので、なかなか興味がありました。
「家族が健康であること」「忘れ物が見つかった時」「思わぬところから小銭が出てきた時」「おいしいものを食べている時」「おもちゃを買ってもらった時」等々、さまざまな意見があり、中には「世界が平和になれば」などという壮大な意見を述べる小学生もいました。
同時に、「うーん」と考え込む人の数も少なくありませんでした。そして、私自身はどうかと考えると、やはり「うーん」という部類に入っていました。
「幸福」に関わらず、「豊かさ」「満足」「理想」「希望」なども同様だと思うのですが、個人的な価値観の差があり、またその折々の気分やちょっとした心境の揺らぎで変化するもののように思われます。さらに、年齢を重ねる程に、それぞれのテーマに真剣に向い合う程に、「うーん」という気持ちになる人が多くなるような気がするのです。
それともう一つ、「あなたにとって幸福ってなんですか?」という質問に即答できない人が結構多いのですが、「あなたにとって幸せってなんですか?」と質問者が言い直すと、比較的スムーズに答えられる人がいたような気がしたのです。
もしかすると、「幸福」と「幸せ」は少し違うのではないかと思ったのです。
言葉遊びのようなテーマが続いて恐縮ですが、「幸福」と「幸せ」にはどのような差があるのか考えてみました。
いつものように広辞苑のお世話になりますと、
「幸福」とは「心が満ち足りていること。また、そのさま。しあわせ」と説明されています。この説明を見る限り、「幸せ」と同意語のように思われます。
それでは、「幸せ」を調べてみますと、「しあわせ(仕合せ)③」と説明されています。
「仕合せ」とは「①めぐりあわせ。機会。天運。 ②なりゆき。始末。 ③(「幸せ」とも書く)幸福。好運。さいわい。また、運が向くこと」とあります。
やはり、「幸福」と「幸せ」には微妙な差があるような気がするのです。「しあわせ」のもともとの表示は「仕合せ」であって、かなり幅広い意味をもっているのです。
私たちは、日常の生活の中で、「幸福」であれ「幸せ」であれ、あまり意識することはありません。
実際は、私たちの生活は常に「幸福」「幸せ」を追い求めているはずなのですが、それを意識している時間はそう多くないと思うのです。
そして、ふと立ち止まった時、あるいは何らかの異常事に出くわした時に、私たちはわが身の不幸を嘆き、あるいは我が身の幸せを感じるものなのかもしれません。
「幸福」と「幸せ」に差異を感じるか否かは別にして、「あなたにとって幸福ってなんですか?」と質問された時、「さて、そう言われてみると・・・」と思い悩む間は、まあまあ「幸せ」な日々を送っているのではないでしょうか。
( 2013.08.26 )
ゲストやコメンテーターではなく、一般の人に呼び掛けたもので、なかなか興味がありました。
「家族が健康であること」「忘れ物が見つかった時」「思わぬところから小銭が出てきた時」「おいしいものを食べている時」「おもちゃを買ってもらった時」等々、さまざまな意見があり、中には「世界が平和になれば」などという壮大な意見を述べる小学生もいました。
同時に、「うーん」と考え込む人の数も少なくありませんでした。そして、私自身はどうかと考えると、やはり「うーん」という部類に入っていました。
「幸福」に関わらず、「豊かさ」「満足」「理想」「希望」なども同様だと思うのですが、個人的な価値観の差があり、またその折々の気分やちょっとした心境の揺らぎで変化するもののように思われます。さらに、年齢を重ねる程に、それぞれのテーマに真剣に向い合う程に、「うーん」という気持ちになる人が多くなるような気がするのです。
それともう一つ、「あなたにとって幸福ってなんですか?」という質問に即答できない人が結構多いのですが、「あなたにとって幸せってなんですか?」と質問者が言い直すと、比較的スムーズに答えられる人がいたような気がしたのです。
もしかすると、「幸福」と「幸せ」は少し違うのではないかと思ったのです。
言葉遊びのようなテーマが続いて恐縮ですが、「幸福」と「幸せ」にはどのような差があるのか考えてみました。
いつものように広辞苑のお世話になりますと、
「幸福」とは「心が満ち足りていること。また、そのさま。しあわせ」と説明されています。この説明を見る限り、「幸せ」と同意語のように思われます。
それでは、「幸せ」を調べてみますと、「しあわせ(仕合せ)③」と説明されています。
「仕合せ」とは「①めぐりあわせ。機会。天運。 ②なりゆき。始末。 ③(「幸せ」とも書く)幸福。好運。さいわい。また、運が向くこと」とあります。
やはり、「幸福」と「幸せ」には微妙な差があるような気がするのです。「しあわせ」のもともとの表示は「仕合せ」であって、かなり幅広い意味をもっているのです。
私たちは、日常の生活の中で、「幸福」であれ「幸せ」であれ、あまり意識することはありません。
実際は、私たちの生活は常に「幸福」「幸せ」を追い求めているはずなのですが、それを意識している時間はそう多くないと思うのです。
そして、ふと立ち止まった時、あるいは何らかの異常事に出くわした時に、私たちはわが身の不幸を嘆き、あるいは我が身の幸せを感じるものなのかもしれません。
「幸福」と「幸せ」に差異を感じるか否かは別にして、「あなたにとって幸福ってなんですか?」と質問された時、「さて、そう言われてみると・・・」と思い悩む間は、まあまあ「幸せ」な日々を送っているのではないでしょうか。
( 2013.08.26 )
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