『 琵琶湖が小さくなった 』
琵琶湖の水位が低くなっている と
滋賀県知事が 会見で 水不足への危機を訴えた
水位が 例年より30cmほど低くなっていて
水際が 大きく後退している
しばらくは 雨も期待できないようだが
今すぐ 取水制限までは行かないらしいが
水資源への無関心さを 痛感させられた
これは 何も琵琶湖だけのことではなく
大雨や洪水への対策も 大切なことは確かだが
わが国が いつまでも 水資源に困らないと思っているとすれば
この方が もっと危険な気がする
☆☆☆
『 誇り高き女性 』
常陸へまかりける時に、藤原公利によみてつかはしける
作者 竉
あさなけに 見べき君とし 頼まねば
思ひたちぬる 草枕なり
( No.376 巻第八 離別歌 )
あさなけに みべききみとし たのまねば
おもひたちぬる くさまくらなり
* 歌意は、「 もう朝な夕なに お逢いできるお方だとは 頼りにしませんと 固く決心した 旅立ちでございます 」といった、決別の歌でしょう。
なお、歌中には、「みべききみとし」には歌の贈り先の『公利』が組み込まれており、「おもひたちぬる」には『常陸』が組み込まれています。また一説によれば、作者の名前を『くら』として「くさまくらなり」に入っているとされているようです。
厳しい決別の歌の中に、このような技巧がこめられていることに、もしかしますと、作者の人柄の一端が垣間見えているのかも知れません。
* ただ、作者に関する消息は、現代まで伝えられているものは極めて少ないようです。
生没年は、どちらも確認できておりませんし、名前も「竉」という難しい文字で伝えられていますが、その読み方はよく分かっていません。伝えられているものや研究者の推定からは、「うつく」「うづく」「チョウ」「ウツク」「てう」「くら」などが伝えられています。
また、贈歌の相手である藤原公利も、備中介を務めたことがあるらしいこと以上のことは、よく分かりません。
* このように、作者に関する情報は少ないですが、その血統ということになりますと、皇統に極めて近い女性であることは確かです。
作者の父は源精(ミナモトノクワシ)で、母は未詳です。源精の官位は従四位上大和守ですから、中級貴族といった家柄ですが、精の父の源定(ミナモトノサダム)は正三位大納言であり、その父は嵯峨天皇なのです。つまり、作者は嵯峨天皇の曽孫にあたる女性なのです。
* 作者の祖父である源定は、皇位に就く可能性さえあった人物なのです。
嵯峨天皇は、同じ桓武天皇を父に持つ異母兄弟の淳和天皇に譲位しました。定はこの時九歳くらいで、嵯峨天皇にたいへん可愛がられていたようです。そうしたこともあってか、ほどなく定は淳和天皇の猶子となり、淳和天皇にも可愛がられ、皇太子候補として嵯峨天皇に打診して拒絶されたらしいのです。
その理由は分かりませんが、定は決して凡庸な人物ではなかったようですから、生母に問題があったのかもしれません。
定の生母は、従五位上百済王教俊の娘です。百済王という姓は、当然渡来系であることを示していますが、祖先が百済王という姓を賜ったのは持統天皇の御代のことですから、二百年も前のことです。また、桓武天皇の生母も渡来系の家柄ですから、それが障害になったというより、むしろ官位が低い家柄であることが理由なのかも知れません。
* 作者の竉は、こういう環境に育っているわけですから、少なくとも中級貴族以上の生活や教育も受けて育った女性と考えられます。
その女性が、掲題の歌を詠んだことを推定しますと、まず、意志の強さが感じられ、同時に誇り高い人物のような気もします。そして、この別離を伝えるものでありながら、実にウイットに富んだ歌が詠めることを考えますと、教養の高さと自信のようなものが感じられるのです。
作者が私たちに伝えてくれる情報はあまりにも少ないのですが、高貴な血統とあまり恵まれない父の官職を真っ正面から受け止めて、悠々と生きた女性であったように思えるのです。
☆ ☆ ☆