雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

日本で一番早い男は誰か!?

2021-06-25 18:25:15 | 日々これ好日

     『 日本で一番早い男は誰か!? 』

    間もなく 日本陸上選手権の 100m決勝が行われる
    10秒を切る選手が 4人進出しており
    他にも 今回切るのではないかと 期待されている人もいる
    オリンピック出場枠3人を巡る 厳しい戦いとなる
    オリンピック・パラリンピックの開催については
    両手を挙げて賛成 と言うわけではないが
    競技そのものには 大いに興味がある
    複雑な気持ちもあるが
    今夜は 9秒台の走りが 期待できますよ

                  ☆☆☆

       

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今日は命の

2021-06-25 08:06:04 | 新古今和歌集を楽しむ

     昨日まで 逢ふにしかへばと 思ひしを
              今日は命の 惜しくもあるかな 

               作者  廉義公

( NO.1152  巻第十三 恋歌三 )
        きのうまで あふにしかへばと おもひしを
                  けふはいのちの おしくもあるかな


☆ 作者は、平安時代中期の公卿。( 924 - 989 ) 行年六十六歳。

☆ 歌意は、「 昨日までは 逢うこととひきかえならば 命などどうなってもよいと思っていたが お逢いした今日は 命が惜しくなりました 」といったものであろう。
この和歌の前書き(詞書)には、「 人のもとにまかり初(ソ)めて、朝(アシタ)に遣はしける 」とあるので、典型的な「後朝(キヌギヌ)の歌」といえる。 


☆ 作者 廉義公(レンギコウ)とは、平安王朝文化が絶頂期に向かう時期に、関白、太政大臣として君臨した藤原頼忠のことである。廉義公というのは諡(オクリナ)である。
父の実頼も、関白、太政大臣、摂政を務めており朝廷政治を主導したが、政治の実権は弟の師輔に後れをとりがちであった。その原因は、実頼が天皇と外戚関係を築けなかったためとされることが多い。頼忠も同様で、政権の最高位を務めながらも、師輔の子息の兼通・兼家らに主導権を握られていった。その主因も、天皇家との外戚関係とされがちであるが、それを否定することは出来ないとしても、政治的な能力の差もあったように思われてならない。

☆ やがて、一条天皇の御代になると、政権は兼家の子息の道隆、そして道長という傑物に握られていった。
一方、実頼の子孫は、政権という見地から見れば、道長の御堂関白家の後塵を拝する形に見えるが、頼忠の長男には、公任という人物が誕生している。官位は、正二位権大納言止まりであるが、和歌・漢詩に優れ管弦の名手でもあったという。当時を代表する文化人であったと評価できる。
つまり、作者頼忠の和歌の能力はともかく、その子孫は、文化人としては超一流であったと評価できると思う。もしかすると、頼忠に文化人として活躍する場が提供されていたら、まったく違う人物像が残されていたかもしれない、と思うのである。

     ☆   ☆  ☆☆
 

    

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