鉱山から助けられる ・ 今昔物語 ( 14 - 9 )
今は昔、
美作の国[ 欠字 ]多の郡に鉄(クロガネ)を取る山があった。
安倍の天皇(アベノテンノウ・称徳天皇)の御代に、その国の国司に[ 欠字あり。姓名が入るが不詳。]という人がいたが、土地の住民十人を召し出して、その山に入れて鉄を掘らせた。
住民たちが穴に入って鉄を掘っていると、突然穴の入り口が崩れ落ち塞がりそうになったので、穴に入って鉄を掘っていた住民たちは、恐れ驚きわれ先に逃げだした。九人は逃げ出すことが出来たが、あとの一人は逃げ遅れ、崩れた穴が塞がってしまい、出ることが出来なくなってしまった。
国司をはじめ、これを見たすべての人は気の毒に思い悲しむこと限りなかった。
その穴に閉じ込められた者の妻子は、泣き悲しんで、その日から経文を書写し始め、七日ごとに仏事を営んで、彼の死後を弔ったが、やがて七七日(ナナナヌカ・四十九日)が過ぎた。
一方、その穴の中に閉じ込められた男は、穴の出口を塞がれたとはいえ、穴の内には空間があり、命は無事であったが、食べ物はなく、死ぬのを待つばかりであったので、「私は、先年に法華経を書写し奉ろうと思って願を立てましたが、未だ遂げないうちに、突然災難に遭ってしまいました。どうぞ私をお助け下さい。もし私の命を助けてくだされば、必ず経文を書写いたします」と、心の内で祈念した。
こう祈り続けていると、穴の口が少し壊れて隙間ができ、向こうに通り抜けている。日の光がわずかに差し込んでいると見ていると、その僅かな隙間から一人の若い僧が入ってきて、食べ物を取り残されている男に与えた。それを食べると、飢えがすっかりおさまった。
そして僧は、「あなたの妻子は家において、あなたのために七日ごとの法事を営み、わたしに食事を下さった。それゆえに、わたしはあなたに食事を持ってきたのです。今しばらく待っていなさい。わたしがあなたを助けよう」と言って、隙間から出て行った。
その後、いくらも経たないうちに、この穴の出口は、誰も掘らないのに自然に開き、通れるようになった。遥かに見上げると大空が見えた。開いた穴は、幅が三尺ほどで高さが五尺ほどである。しかしながら、男がいる所から通り抜けられるようになった穴は遥かに高く、とても登れそうもなかった。
そうしているうちに、その辺りの者三十余人が葛を切るために奥山に入り、この穴の近くを通った。
その時、穴の底にいる男は、通っている山人(山中で仕事をする者)たちの影が差し込んでくるのを見て、声を挙げて、「助けてくれ」と叫んだ。山人たちは、かすかに蚊の鳴くような声が穴の底から聞こえてくるのを聞き取り、奇怪に思って、「もしやこの穴の中に人がいるのではないか」と思って、いるかいないかを確かめるために、石に葛の蔓を括り付けて、穴に落し入れた。穴の底の男は、それを引っ張って動かした。そこで、「誰かいる」と分かって、すぐに葛をもって籠を作り、縄をつけて落し入れた。
穴の底の男はこれを見て、喜んで籠に乗り込んで座った。上にいる人たちは力を合わせて引き上げてみると、穴に閉じ込められた男であった。そこで、家に連れて行った。
家の人は男の姿を見て大いに喜んだ。国司もこれを聞いて、驚いて召し出して事情を訊いたので、男は詳しく語った。この話を聞いた者も皆、この事を尊び感動した。
その後、この男は国内の人々から喜捨を募って、写経の料紙を手に入れた。そして、多くの人々が力を合わせて法華経を書写し供養し奉った。
必ず死ぬと決まったような災難に遭いながら、願の力によって命が助かることは、ひとえに法華経の霊験のいたすところであることを知って、この男はますます信仰心を高めたのである。
また、これを見聞きした人は尊いことだ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
悪人も兜率天に昇る ・ 今昔物語 ( 14 - 10 )
今は昔、
陸奥国に壬生良門(ミブノヨシカド・伝不祥)という勇猛な男がいた。弓矢を常にもてあそび、人を打倒し、鳥獣を殺すのを仕事としていた。夏は川に行って魚を捕り、秋は山に入って鹿を狩る。
このようにして、季節に従って罪をつくって年月を重ねていた。
その頃、その国に一人の聖人がいた。名を空照(クウジョウ・伝不祥)という。知恵があり仏道心が深かった。
この空照聖人が、良門の悪心が強く、罪業ばかりつくって三宝(サンポウ・仏、法、僧を指すが、ここでは仏道といった意。)を見向きもしないのを見て、慈悲の心を垂れて、これを教え導くために、つてを求めて良門の家に行った。
良門は聖人に会って、来訪の目的を訊ねた。聖人は、「入り難くして出で易きは人間界である。入り易くして出で難きは三途(サンズ・・地獄・餓鬼・畜生の三悪道。)である。また、たまたま人間界に生まれたとしても、仏法に出会うことは難しい。罪をつくった者は必ず悪道に堕ちる。これはみな仏がお説きになったことである。されば、そなたはぜひとも殺生や勝手気ままな行いを止めて、慈悲・忍辱(ニンニク・仏教語で、もろもろの侮辱迫害を忍受して恨まないこと。)の心を持つようにしなさい。速やかに財産を投げうって、功徳を積みなさい。財産はいつまでも身についているものではないのだ」と教えた。
良門はこれを聞いて、もともとある前世の因縁がそうさせたのか、たちまち道心を起こして、悪心を棄てて善心を抱くようになった。弓矢は焼き棄て、殺生の道具を打ち砕き、以後殺生を断ち、仏法を信仰した。そして、すぐさま金泥(コンデイ・金粉をにかわでといたもの。)の法華経を書写し、黄金(コガネ)の仏像を造立して、心をこめて供養した。また、仏道心ますます強くなり、願を立てて、「私は、今生において金泥の法華経千部を書き奉ります」と誓って、長年の貯えを投げ出して、金(コガネ)を買い求め、十余年かけて、金泥の法華経千部を書写し終わって供養を遂げた。
その供養の場には、不思議な瑞相があった。あるいは白い蓮華が空から降り、あるいは音楽の音がお堂の中から聞こえてきた。あるいは端麗な童子が花を捧げて現れた。あるいは見知らぬ鳥がやって来て鳴いた。また、夢の中に、天人が下りてきて手を合わせて礼拝した。
このように、不思議なことがあった。
良門が、いよいよ最期の時に臨んで、沐浴精進して、そばの人に言った。「多くの天女が音楽を奏でて、空から下って来る。私は、あの天女に連れられて、兜率天(トソツテン・天上界の一つ。内院は弥勒の浄土。)に昇ろうとしています」と。そして、端座したまま合掌して亡くなった。
きっと、兜率天に生まれ変わったのであろう。
されば、悪人といえども、智者(人を仏道に導く優れた僧。)の勧めによって、心を改めて仏道を得ることが出来るのは、かくの如しである。
これはひとえに法華経の威力であると、この話を聞いた人々は尊んだ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
天王寺の法華八講 ・ 今昔物語 ( 14 - 11 )
今は昔、
天王寺(四天王寺)の別当定基(ジョウギ・別当は一山の事務を統括する役僧。諸大寺に置かれた。)が僧都になって、御堂(御堂関白藤原道長のこと)の御為にその寺で法華八講(法華経全八巻を四日間かけて結願する法会。)を初めて行うことになり、法華経を講じようとした。
その頃、藤原公則という者が河内守であったが、御堂関白殿の側近でもあったので、この八講の費用にとして河内国の田を寄進した。それで、その田の地租をこの八講の費用にあてたので、後々の別当もこの八講を途絶させることなく執り行うことが出来た。
ところが、斉祇僧都(サイギソウズ)という人が別当であった時、僧都は、「この寺で行う八講には、聖徳太子がお作りになった一巻の䟽(ショ・注釈書。「法華義疏」を指す。)があるので、それを用いて講ずべきである。ところがその䟽は外にない。太子がお住まいになっていた法隆寺の東の院に、太子がお使いになっていた御物が置かれている中にその䟽はある。それは、太子自らの御手書きであるので、外に持ち出すことは出来ない。そこで、当時の上座(ジョウザ・事務を統括する役僧。)の僧に文字の上手な僧を数人をつけて法隆寺に遣わして、書写させるべきだ」と思い定めて、僧たちを派遣した。
そこで、上座の僧が文字の上手な僧たちを引き連れて法隆寺に行き、南大門の所に立って取り次いでもらった。「然々の事によって、天王寺より参りました」と。
しばらくして、甲の袈裟(地色とは別に縁などに黒布を用いた袈裟。高位の僧官が着用。)を着た僧が十人ばかりが香炉を捧げてやって来て、天王寺の僧たちを迎え入れた。
天王寺の僧たちは、不思議に思いながら、この寺の僧たちについて入って行った。夢殿の北にある家が前もって準備されていた。
その後、あの䟽を取り出してきて書写させたが、その時、「昨夜、この寺の老僧が夢を見ましたが、天王寺から僧たちがやって来て、太子がお作りになった一巻の䟽、上宮王(ジョウグウオウ・聖徳太子の一名)の䟽と申しますが、それを天王寺で行う八講で講じるために、書写させてほしいと、今日僧たちがやって来る。快く迎え入れて、䟽を惜しむことなく取り出して、書写させるように、というものでした。『もし、来られた時には、一行をきちんと法衣をつけてお待ちしよう』ということで、お待ちしていましたところ、夢の通りにおいでになられたのです。まさしくこれは、太子のお告げであります」と言って、皆泣いている。天王寺から来た僧たちも、これを聞いて、涙を流して尊ぶこと限りなかった。
こうして、天王寺の僧たちはその䟽を書写したが、法隆寺の僧の中からも文字の上手な僧が多数やって来て、それぞれが一、二枚ずつ書くと、たちまち書き終えて、みな天王寺に帰って行った。
これから後は、この䟽を八講で講ずるようになった。
されば、この八講は太子が夢でお示しになったものであるので、極めて尊いものであると人々は言い合った。十月に行う仏事であるので、季節もまことに趣深い。
心ある人はお参りして、聴聞すべきことである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
失われた二文字 ・ 今昔物語 ( 14 - 12 )
今は昔、
醍醐寺に一人の僧がいた。名を恵増(エゾウ・伝不詳)という。
剃髪して以来、法華経を習い、日夜読誦して、決して他の経は読むことがなかった。また、真言(シンゴン・祈祷の際に唱える経文、偈頌などを梵語のまま読み上げる呪文の総称。ここでは密教の意味か。)を受持せず、顕教(ケンキョウ・密教の対。)も習わない。いわんや、仏典以外の書などは好まず、ただ一心に法華経を読み奉っているうちに、長年の修行が熟して暗唱できるようになった。
ところが、方便品の比丘偈(ホウベンボンノビクゲ・法華経の一部)にある二字だけを忘れて、どうしても記憶できない。長年、熱心に覚えようとするが、その二字だけは忘れてしまい、どうしても覚えられない。経典に向かっている時は分かるが、経典を離れると忘れてしまう。
そのため、誦するたびに、この箇所まで来ると、我が身の罪の深いことを嘆かわしく、「覚えることが出来ないのであれば、他のあちらこちらを忘れるはずなのに、この二字に限って忘れてしまうのは、きっとわけがあるのではないか」と思って、長谷寺に参詣して、七日間籠り、観音に申し上げた。「願わくば、大悲観世音、私にこの二字を覚えさせてください」と祈請した。
すると、七日目の夜明け、恵増の夢に、御帳の内より老僧が現れて、恵増に告げた。「わしがお前が願っている経の二字をそらで読めるように覚えさせてやろう。また、この二字をお前が忘れるわけを説いてやろう。お前は、前世、現世と二度人間に生まれた者である。前世では、播磨国の賀古郡の[ 欠字あり。郷名が入るが不詳。]郷の人であった。お前の父母は今もその地にいる。お前は、前世ではその地の僧であったが、火に向かって法華経第一巻を読誦していた時に、その火がはねて経の二字に当たって、その二字が焼けてしまった。お前はその焼けた二字を書き綴らずに死んでしまったのだ。それゆえ、今生において経を誦しても、その二字を忘れて思い出せないのだ。その経典は、今もその地におわします。お前は、速やかにその国に行って、その経典を礼拝して二字を書き綴り、前世の罪を懺悔せねばならぬ」と。そこで夢から覚めた。
その後、経を誦すると、その二字はそらで覚えていて忘れていなかった。恵増は喜んで、観音を礼拝して醍醐に帰った。
ところが、前世のことが知りたく思われて、夢のお告げに従って、さっそく播磨国の賀古郡[ 欠字。]郷へ出掛けた。
夜になる頃、その地に至り、ある家に泊まった。
その家の主が出てきて恵増を見ると、先年亡くなったわが子の僧に少しも変わらないほど似ている。夫婦は共に、「あの子が帰ってきた」と言って、激しく泣いた。
恵増もまた、観音のお告げにより尋ねてきたことを詳しく語った。父母はそれを聞いて、涙を流しながら、先年わが子の僧が若くして亡くなったことを話した。
亡くなった若い僧が日常用いていた経典を捜し出して見てみると、確かに二字が焼けてなくなっている。それを見ると、悲しみが込み上げてきた。
そこで、その焼失した二字を書き綴って、長く手元において読誦した。父母も、恵増を前の子と同じように大切に可愛がった。
こうして、恵増は現世の身において、四人の父母に仕え、最後まで孝養を尽くし報恩したのである。
法華経の威力と観音のご利益によって、前世のことが分かり、ますます信仰心を深めた、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
経文を食う ・ 今昔物語 ( 14 - 13 )
今は昔、
入道覚念(カクネン・天台宗の僧。)は、明快(ミョウカイ・のちに大僧正。)律師の兄である。道心を起こして出家して後、戒律を守り法華経を習ってそれを訓読み(経文は字音で棒読みするのが普通。)で読誦していた。
ところが、経の中に三行の文だけが、どうしても読むことが出来ない。その箇所にくるごとに、その三行の文を忘れている。覚念はそれを嘆き悲しんで、三宝(サンポウ・仏法僧を指すが、ここでは仏といった意味か。)に祈り申し上げて、この三行の文を誦せることを願ったところ、覚念の夢に、気高く尊い老僧が現れて、覚念に告げた。
「お前は、前世の因縁によってこの三行の文を読誦することが出来ないのだ。お前は前世では、衣魚(シミ・書籍や衣類につく虫。)の身となっていて、法華経の経典の中に巻き込まれていた時、この三行の文の所を食ってしまったのだ。お前は、経文の中にいたおかげで、今生では人間の身として生まれ、出家入道して法華経を読誦することが出来るのである。だが、経典の三行の文を食ってしまったことにより、その三行の文を誦すことが出来ないのである。そうとはいえ、お前は今、心から懺悔しているので、わしの力で読めるようにしてやろう」と。そこで夢から覚めた。
その後、その三行の文を読誦することが出来るようになった。これは前世の罪業を懺悔して読誦したからである。
覚念は、一生涯、毎日法華経三部を読誦して怠ることがなく、永く現世の名誉や欲望を捨てて、ひたすら後世の無上菩提(ムジョウボダテイ・最高の悟り)を願い続けた。
法華経の威力により、前世の報いを知り、いよいよ心をこめて読誦するようになったのだ、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
前世の因縁を知る ・ 今昔物語 ( 14 - 14 )
今は昔、
行範(ギョウハン・伝不詳)という僧がいた。この僧は大舎人の頭(オオトネリノトウ・中務省大舎人寮の長官。下級の官人。)の藤原周家(チカイエ・従四位下まで上っている。)の長男である。また、千手院の定基(ジョウギ・天台宗の僧)僧都の弟子である。
出家した後、熱心に法華経を読誦した。法華経一部はみな覚えてそらで読誦した。ところが、第七巻の薬王品だけは覚えられない。経典に向かっている時は読誦できるが、向かっていない時は忘れてしまう。そのため、長年の間心をこめて読誦したが、どうしてもそらで覚えることが出来ない。
そこで、覚えさせてくれるよう三宝(サンポウ・仏法僧を指すが、ここでは仏といった意味。)に祈り、お願いした。すると、行範の夢の中に、尊い僧が現れて告げた。「お前は、前世の因縁によって、この薬王品が覚えられないのである。お前の前世は黒い馬であったが、法華持経者に飼われていて、時々法華経をお聞きしていた。しかし、薬王品は、お聞きしなかったので、その品をそらで読むことが出来ないのである。ただ、経を聞いた功徳によって、今生で人間として生まれ僧となり、法華経を読誦することが出来るのだ。しかし、薬王品に結縁しなかったので、覚えることがが出来ないのだが、今生においてよくこの品を読誦して、来世ではそらで覚え、速やかに菩提(ボダイ・悟りの境地。極楽往生。)を得るようにしなければならぬ」と。そこで夢から覚めた。
その後、行範は前世の因縁を知って、いよいよ法華経を信奉し、日夜読誦して怠ることがなかった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
蟋蟀から転生 ・ 今昔物語 ( 14 - 15 )
今は昔、
越中の国に海蓮(カイレン・伝不詳)という僧がいた。
若い時から法華経を習い、日夜に読誦していたが、序品より観音品に至るまでの二十五品はそらで誦することが出来た。しかし、残りの三品も長年暗誦したいと努力していたが、どうしても覚えることが出来なかった。そのため、この事を嘆いて、立山、白山に参って祈請した。また、諸国の霊験所に参ってお祈り申し上げたが、それでも覚えることが出来ない。
そうした時、海蓮の夢に、菩薩の姿をした人が現れ、海蓮に告げた。
「お前が、この三品をそらに覚えることが出来ないのは、前世の因縁によるものである。お前は前世では蟋蟀(キリギリス・現在のコオロギ)の身を受けて、僧房の壁にとまっていた。その僧房には僧がいて、法華経を誦していた。蟋蟀は壁にとまって経を聞いていたが、一の巻より七の巻まで誦し終えて、八の巻の初めの一品を誦したところで、僧は湯を浴びて、休もうとして壁に寄りかかった。その時、僧の体が蟋蟀の頭に当たって、押し殺されてしまったのである。
法華経の二十五品を聞いた功徳によって、お前は、蟋蟀の身から転じて人間として生まれ、僧として法華経を読誦している。だが、三品を聞かなかったので、その三品をそらで覚えることが出来ないのだ。お前は、前世の報いを悟って、熱心に法華経を読誦して、菩提(悟りの境地)を心がけなくてはならぬ」と。
そこで、夢から覚めた。
その後、海蓮は前世の因縁を知って、いよいよ心をこめて法華経を読誦して、仏道成就を願って、熱心に修業を続けた。
この海蓮は、天禄元年(970)に亡くなった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
法華経を聞いた犬 ・ 今昔物語 ( 14 - 16 )
今は昔、
美作の国に蓮尊(レンソン・伝不詳)という僧がいた。もとは元興寺(ガンコウジ・奈良にあった大寺。)の僧である。ところが、本寺を去って、生国に下って住んでいた。
幼くして師僧について法華経を習い読誦していたが、そらで覚えて誦したいという志が生まれ、長年誦しているうちに二十七品までは覚えることが出来た。ところが、普賢品(フゲンボン・法華経の最終品。)を覚えることが出来なかった。
そこで、心を尽くして普賢品の一句一句を数万べん誦して覚えようとしたが、どうしても覚えることが出来ない。それでもなお、一夏九旬の間(夏の九十日。夏安居の修業期間。)、普賢菩薩の御前で難行苦行して、覚えさせてくれるよう祈った。
一夏ももはや過ぎようとする頃、蓮尊の夢の中に天童(童子姿の天人。護法童子とも。)が現れて、蓮尊に告げた。
「我は普賢菩薩の御使いである。お前の前世の因縁を知らせるためにやって来た。お前は、前世においては犬の身であった。お前の母犬は、お前と一緒にある人の板敷の部屋の床下に住んでいた。板敷の部屋では、法華経の信奉者が法華経を読誦していた。序品よりはじめて、妙荘厳王品(ミョウショウゴンオウボン・法華経の第二十七品。)に至るまでの二十七品を誦するのを犬は聞いていたが、普賢品のところで母犬は立ち去ろうとした。お前も母犬について一緒に立ち去ったのである。そのため、普賢品を聞かなかったのだ。
お前は、前世において法華経をお聞きしたことによって、犬の身から転じて、今生では人間として生まれ、僧となって法華経を読誦している。ただ、普賢品を聞かなかったので、その品をそらで覚えることが出来ないのである。しかし、今熱心に普賢品を念じ奉っているので、必ずそらで覚えられるようにしてやろう。もっぱら法華経を信奉して、来世において諸仏にお会いして、この経の真意を悟ることが出来るだろう」と。そう告げると天童は姿を消したが、そこで蓮尊は夢から覚めた。
その後、蓮尊は前世の因縁を知って、たちまちのうちに普賢品をそらで覚えることが出来て、大変喜んだ。
これによって、いよいよ信仰心を起こし、涙ながらに礼拝し法華経を誦することを怠ることがなかった、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
毒蛇からの転生 ・ 今昔物語 ( 14 - 17 )
今は昔、
金峰山(ミタケ/キンプセン)に僧がいた。名を転乗(テンジョウ・伝不詳)という。大和国の人である。
心は極めて猛々しく、常に怒ってばかりいた。幼い時から法華経を習って日夜に読誦して、そらで覚えたいという志を立てて長年誦しているうちに、六巻までは覚えることが出来た。ところが、第七、第八の二巻は、そらで覚えようとする気持ちが起こらないのである。
それでも、「何としても、七、八の二巻を覚えよう」と思って、暗誦しようとしたが、長年経ってもどうしても覚えることが出来ない。転乗は、それでもなお出来ぬはずはあるまいと、むりやりに第七、八巻の一句一句を二、三べんずつ誦したが、まったく覚えられない。
そこで転乗は、蔵王権現(蔵王菩薩とも。修験道の祖とされる役行者が感得したとされる悪魔調伏の菩薩。)の御前に参って、一夏九十日の間籠って、六時(ロクジ・・僧が念仏・読経などの勤行を行う時刻。一日を昼三時と夜三時に分け、午前六時ごろから四時間ごとに、晨朝(ジンチョウ)・日中・日没(ニチモツ)・初夜・中夜。後夜とし、その総称。)に閼伽(アカ・仏に供える水、花、香などの供物。)・香炉・灯を供えて、夜ごとに三千ぺんの礼拝をし、この二巻の経を暗唱させてほしいと祈請した。
安居(アンゴ・夏安居のこと。九十日間籠って修業する期間。)が終わることになって、転乗の夢の中に、竜の冠を被った夜叉姿の人が天衣、瓔珞(ヨウラク・珠玉を連ねたインドの装身具。)で美しく装い、手には金剛杵(コンゴウショ・密教で煩悩を断ずる知恵の利剣とされる。)を持ち、足には蓮華の花の雄しべを踏み、従者に囲まれて現れ、転乗に告げた。
「お前は、前世の因縁がないため、この第七、八の二巻をそらで覚えることが出来ないのだ。お前は、前世においては毒蛇の身であった。その形は長く大きく、三尋半(ミヒロハン・一尋は成人が両手を広げた長さ。)あった。播磨国赤穂郡の山駅に住んでいた。その時、一人の聖人がその宿場に泊まった。毒蛇はその宿の棟にいて、『我は長らく何も食わず飢えている。ところが、たまたまこの人がやって来て宿泊した。今こそ我は、この人を食ってやろう』と思った。
宿泊した聖人は、自分が蛇に食われようとしていることを知って、手を洗い口を漱いで、法華経を唱えた。毒蛇はこの経を聞いて、たちどころに聖人を食おうという気持ちがなくなって、目を閉じて一心に経を聞いた。第六巻まで唱えた時、夜が明けたので、聖人は第七、八の二巻は読誦することなく、その宿を出立していった。
その毒蛇というのは、今のお前である。聖人への害の心を止めて法華経を聞いたために、果てしなく長い過去から転じて、人間の身として生まれ僧となり、法華経の信奉者となった。ただ、第七、八の二巻は聞いていないので、今生ではこの二巻を暗誦することは出来ない。また、お前は心が猛々しく常に怒りの心を抱くのは、毒蛇の習性が残っているからである。お前は、一心に精進して法華経を読誦するがよい。されば、今生では願うことがみな叶い、後生では生死の苦を離れることが出来よう(成仏できる)」と。そこで夢から覚めた。
転乗は深く道心を起こして、いよいよ熱心に法華経を誦した。
転乗は、嘉祥二年(849)という年に、ついに尊い最期を遂げた、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
諸仏を尋ねる ・ 今昔物語 ( 14 - 18 )
今は昔、
明蓮(ミョウレン・伝不詳)という僧がいた。
幼くして親の家を出て、法隆寺に住み、師について法華経を習い、日夜に読誦していた。後には、そらで誦し奉ろうと思い立って、第一巻より第七巻に至るまではそらで誦することが出来た。ところが、第八巻に至ると忘れてしまってそらで誦することが出来なかった
そこで、長年にわたって暗誦しようと唱え続けたが、ますます忘れて、第八巻はどうしても覚えられない。わが資質の鈍なるのを嘆いて、「そうであれば、前の七部も覚えられないはずだ。もし資質が聰敏であるならば、第八巻も覚えられるはずなのに、どういうわけで、前の第七巻までは一年で覚え、第八巻だけは何年経っても覚えられないのだろう。されば、仏神に祈請して、この事を教えていただこう」と思い、稲荷に参って、百日籠って祈請したが、何の験(シルシ)もなかった。
長谷寺、金峰山(ミタケ/キンプセン)に、それぞれ一夏の間(夏安居の九十日間)籠って祈請するも、やはり験がない。さらに、熊野に参って百日籠って祈請すると、夢の中に熊野権現のお告げがあった。
「我はこの事については何も出来そうにない。速やかに住吉明神にお願いするがよい」と。そこで明蓮は、すぐさま住吉明神に参って、百日籠ってこの事を祈請すると、明蓮の夢の中で住吉明神が、「我もまたその方法を知らない。速やかに伯耆国の大山に参ってお願いするがよい」と告げた。
明蓮は、また夢のお告げに従って、すぐさま伯耆国の大山に参って、一夏の間、心を尽くしてこの事を祈請すると、夢の中に現れて、大知明菩薩(ダイチミョウボサツ・「知明」部分は欠字なっている。大智明神とも。)が告げた。「我が、お前の前世の因縁を説いてやろう。疑うことなく、信じるべし。前世のことであるが、美作国の人が、食糧用の米を牛に載せて、この大山に参詣し、牛を僧房につないでおいて、主人は神殿にお参りした。その僧房には、法華経の信奉者がいて、初夜(午後八時頃)から法華経を読誦していた。第七巻まで読んだとき夜が明けた。牛は、夜もすがら経を聞いていたが、主人が帰ってきたので、第八巻は聞くことなく、主人に連れられて本国に帰ってしまった。その牛というのは、お前の前世の身である。法華経をお聞きしたことによって、畜生の身を離れて人間の身となり、僧となって法華経を誦している。だが、第八巻を聞かなかったので、今生において、その巻を覚えることが出来ないのだ。お前は、三業(サンゴウ・業を三分類したもの。身(身体)口(ク・言語表現)意(心)の三つに基づく行為によって生ずる罪障の総称。)を正しく保って法華経を読誦すれば、来世には兜率天(トソツテン・天界の一つで、内院は弥勒の浄土。)に生まれることが出来るだろう」と。そこで明蓮は夢から覚めた。
その後、明蓮は前世の因縁を明確に知り、心をこめて権現(大知明菩薩を指す)に申し上げた。「愚かな牛が法華経を聞いて、畜生の苦しみから離れ、人の身として生まれ法華経を信奉する僧となりました。ましてや、人として仏説の如くに修業をすれば、その功徳はいかばかりでしょうか。ただ、仏のみがご存知のことでしょう。願わくば、私はこれから先の世々において諸仏にお会いして、将来生まれつく生々において法華経をお聞きし、常に怠ることなく修業を続けて、無常菩提(最高の悟り)を悟りたいものです」と。このように願を立て終わると、権現を礼拝して帰って行った。
その後の明蓮の消息は分からない、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆