田熊みうま会 尾道市因島から発信中

昭和40年度生まれで 田熊小学校・田熊中学校に通った人のブログ

因島田熊町の人口(令和5年)

2023年09月12日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
今月の公民館だよりから。前年度から27人減少して、3218人となっています(7月31日現在)。
人口ピラミッドを見ると、後期高齢者28%、その予備軍47%と圧倒的勢力なのが判ります。ベテランの皆さんにはまだまだ頑張って貰らわないといけませんね。

過去の人口は下記リンクからご覧になれます。
田熊町の人口(令和4年)
田熊町の人口(令和3年)
田熊町の人口(令和元年)昭和28年から掲載しています。


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初秋の空

2023年09月08日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
因島はここ2日ほど午前中は涼しくなりました。空も初秋を感じさせますね。広角レンズで撮影してみました。
1枚目 田熊西浜港から眺めた生口島、岩城島
2枚目 旧田熊小学校のクスノキ
3~5枚目 田熊のお宮(赤とんぼが飛んでいました)









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田熊村 愛国号献納戦闘機

2023年08月23日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
「郷土将兵慰問写真帳」(令和5年8月15日記事)で触れた村上重道村長(村上医院)の在任時には、戦闘機の献納が行われています。
献納機とは企業や一般人の方たちが国防献金 等として集めたお金を軍に供出し軍用機を献納したもので、昭和7年の陸軍あいこく1号から始まり、瞬く間に全国的レベルに広がりました。献納者には一企業や同業組合による献金、一市民から区民、市民、県民といったグループ献金、大人のみならず大学生や中学生、女学生のおこづかいを倹約した献金、更には朝日新聞の呼びかけで献金したものまで多種多様な献納が行われています。
村上村長は村議会議員を経て、昭和13年から21年まで村長を務めました。昭和12年、広島県から飛行機献納の指令があり、田熊村でも戦闘機献納の雰囲気が高まりました。しかし村民寄付という大事業に議会も及び腰で、村上村長の「不足分は自分が負担する」(現在では考えられませんがw)という姿勢に議会でも議決がされ、予定より早く達成できたとのことです。
写真から一式戦隼と判り、献納番号は「1626」と読み取れます。記録には残っていませんが、「1623」と「1629」が昭和18年9月20日に献納されており、命名式は複数同時に開催されていることから、同機もこの日に献納されたとみて良いでしょう。愛国1626「田熊号」として村民の誇りと期待を背負った同機でしたが、翌年被弾損失の通知があったそうです。
昭和10年の国防大写真帳によると戦闘機の献納額は7万円とされていて、現在の価格だと約2億円というところでしょうか。
決して戦争を賛美するものではありませんが、機運意見が澎湃(ほうはい)として起きたとき、地域全体に沸騰する活力は現在にもきっと受け継がれていると信じたいです。



参考文献
田熊の文化財第5巻
陸軍愛国号献納機調査報告
国防大写真帳

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ローズパン再登場(岡野製パン所)

2023年08月21日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
給食でもお世話になった岡野製パン所の田熊工場が7月から配送機能を残して松永工場に一本化してから初のローズパンです。2015年以来の記事となります。特徴あるパッケージから透明の物に変更されていました。パン生地は少しパサパサ感が強くなった気がしますが、いつも懐かしい記憶が戻ってくるパンです。

以前の記事はコチラから「ローズパン」知っとる ?(岡野製パン所)平成27年3月4日記事
アベックパンの記事はコチラから 平成27年3月18日記事







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送り盆でかき氷(灯ろう流し)

2023年08月18日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
因島モールから聞こえる盆踊りの太鼓をBGMに、田熊桟橋近くでミニ屋台。かき氷とビール、お茶、宝石すくいなど。夏の風物詩「灯ろう流し」も私たちの子供の頃と比べるとずいぶん寂しくなりました。屋台の準備があるので17時過ぎに早めに流しましたがモール桟橋からの高速艇がとても遅く走ってくれました。
同級生のさとちゃん、なこちん、やっちゃんとも遭遇。なこちんのお孫さんは宝石すくい得意です笑





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郷土将兵慰問写真帳(田熊村)

2023年08月15日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
今日は終戦の日。令和3年の今日「田熊村回想録(昭和16年)」としてYouTubeを投稿しました。今年、田熊町文化財協会の資料でも公開されタイトルは「郷土将兵慰問写真帳」とありました。管理人の所有は表紙が欠損していたので、公民館の他の資料から「田熊村回想録」をタイトルとして採用していました。
支那事変が泥沼化し、この年の12月には日米開戦と戦時色が濃い時代、村上重道村長(村上医院)の時に出版され戦地に届けられた本稿は、郷土出身兵士の心を存分に癒したことでしょう。
ここに改めて再投稿し、戦後国土回復に尽力された先人に感謝しと、英霊の御霊に哀悼の意を捧げます。
BGMには、当時の世相を意識して「紀元二千六百年」「愛国行進曲」を使用しました。
YouTube(5分50秒)

令和3年8月15日投稿の「田熊村回想録(昭和16年)」
コチラから















YouTube(5分50秒)

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今年は開催 田熊の盆踊り

2023年08月04日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
令和元年以来の開催です。
8月18日18時30分から因島モールひまわり東側駐車場にて。19時45分頃からお楽しみ抽選会(300本・空くじなし)。田熊在住又は帰省の方が対象です。
管理人(田熊商工振興会)は灯ろう流しに合わせて。マルナカ商店でかき氷やってます。こちらもお立ち寄りください。

盆踊りの定番「因島小唄」「海賊節」はコチラから
「因島小唄」(管理人ブログ)
YoTube(3分21秒)

「海賊節」(管理人ブログ)
YouTube(3分48秒)

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いんのしま水軍花火大会 4年ぶり開催

2023年07月22日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
本日7月22日、令和元年以来の開催となります。
田熊でも、弁財天祭、明神祭、天神祭のイベントが4年ぶりに開催されました。
今年は水軍まつりや田熊町盆踊り(8/18)も開催されます。
第9波云々と言われていますが、かつての日常、平常を感じている今日この頃です。

過去の記事はコチラから
明神祭 大盛況でした(管理人ブログ)7月2日記事
天神祭 先週に続いて盛況(管理人ブログ)7月9日記事
2023因島水軍まつり バザール部会管理人ブログ)7月19日記事
因島宮島祭花火大会の思い出平成30年7月22日記事



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還暦記念の皆さん(昭和40・41・42年)

2023年06月19日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
田熊八幡宮に奉納されている還暦記念の集合写真です。私たちが生まれたころの写真ですね。
激動の戦時を生き抜き、戦後の復興に汗を流した皆さんの生きざまを感じる写真です。
当時は、一応55才が定年の時代ですので、リタイヤされている人も多かったのではないでしょうか。1985年に定年60才が努力義務とされ1998年に定年60才歳が施行され、2013年には65才までの雇用化が施行されています。
田熊みうま会も2年後には還暦を迎えます。みんなで集まれることを祈念する次第。。。


昭和40年


昭和41年


昭和42年

令和5年6月21日 加筆修正しました
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最後の田熊町民体育大会

2023年05月21日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
第70回を区切りに長い開催の歴史に幕を閉じることとなりました。第1回は戦後間もない昭和21年11月。優勝は島前(現港区)でした。暑いくらいの晴天に恵まれ各区の精鋭が躍動。優勝は1回大会と同じく港区というのもめぐりあわせを感じます。69回大会優勝の我が金山区は最下位に沈みました。会場では玉入れに出場するえりちゃんに遭遇、閉会後お宮でまゆどんと遇いました。
過去の町民運動会の記事はコチラから
今回で終了 田熊町民体育大会(令和5年5月7日記事)















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田熊村四国八十八ヵ所四十一番札所(金山区大越中)一部修理

2023年05月11日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
傷んでいた床が新しくなり、幕も交換されました。近所ので工事をしているマイハウスさんと信和工務店さんのご奉仕です(感謝)。仏花であるキンセンカとハッサクが供えられています。
かつて守りをしてくださっていた近所の女性が亡くなってから、なかなか行き届かない状態が続いていたので、取りあえず一安心です。

★田熊の村四国八十八ヵ所札所について★
四国八十八ヵ所の巡拝(遍路)は平安時代末期の始まりとされ、一般的になったのは室町時代、それから江戸時代後期になると次第に庶民にも浸透してきました。それでも四国巡拝は多くの時間(約二か月)も費用もかかるため、誰でも巡拝できるようにと、天保三年(1832年)田熊村に村四国八十八ヵ所札所を建立することになりました。他村からも多くの巡拝者が訪れるほど盛んであったようです。
明治時代になり、神仏分離令により衰退した時期もありましたが、大日本帝国憲法が発布された(明治22年)頃になると世の中も安定し巡拝も徐々に復活してきました。
ところが明治45年、因島島民あげての奉仕によって建設された島四国八十八ヵ所の整備が進むと、遍路の人気は島四国へと移り、村四国はふたたひ衰退していきました。さらに大東亜戦争ころから戦後にかけては其々の近所の人たちによって地神的にやっと守られてきた存在となり現在に至っています。
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田熊村四国八十八ヵ所について過去の記事はコチラから
田熊村四国八十八ヵ所札所巡り(長編です)平成31年3月23日記事
田熊村四国八十八ヵ所札所 不明だった3か所発見 令和2年3月8日記事
第3回ブラタクマ(田熊探訪)開催しました 令和2年4月19日記事


以前の状態


現状
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今回で終了 田熊町民体育大会 

2023年05月07日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
コロナ禍で3年未開催でしたが、今回の第70回を区切りに今年で終了となります。戦後、日本が主権を回復する以前から開催されてきた大会だけに残念ですが仕方ありません。私たちが子供の頃は中学校と併催でしたね。画像の文書は金山区発行のものです。種目も大幅に減らし昼までに終了します。管理人は得意の?「ざる引き」に出場予定です。「百足競争」→「二人三脚」→「満員電車」と出場してきましたが、最近は「ざる引き」のレギュラーでした笑。いつぞやのように肉離れしないように気をつけますwww

過去の町民体育大会の記事はコチラから
第9回田熊町民体育大会は東区が優勝(令和2年8月17日記事)
令和元年田熊町民体育大会(令和元年5月19日記事)
平成30年田熊町民体育大会にて(平成30年5月27日記事)
第69回田熊町民体育大会(優勝金山区)管理人ブログ
第68回田熊町民体育大会 管理人ブログ
第67回田熊町民体育大会 管理人ブログ
第66回田熊町民体育大会 管理人ブログ
第65回田熊町民体育大会 管理人ブログ
第61回田熊町民体育大会 管理人ブログ
第60回田熊町民体育大会 管理人ブログ
第59回田熊町民体育大会 管理人ブログ

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ノバァさんに遭う

2023年04月10日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
夕方、ハローズ付近を散歩中「オイッ」。
振り返ったらノバァさんでした笑
仕事の帰りだそうで
管理人「カッコええバイクじゃのぉ」
ノバァさん「ナンよ~るんじゃろうか、この頃の通勤通学はみんなこれが普通で」
管理人「ウソつけ笑」
ノバァさん「ワシも、よぉやっとスマホデビューよ。ガラケーがとうとううとうてのぉ」
管理人「そういや、みうま会のグルーブライン入っとったのぉ」
てな感じでウダウダ。。。久しぶりの会話を楽しみました。

ヘルメットとマスクなので背景以外画像の加工はしていません。


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青影山~奥山ダム~地蔵鼻

2023年04月02日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
桜も見頃を迎えたのでちょっとお花見。
先ずは青影山へ。六松公園から登りました。25分程で到着。区長会の清掃奉仕で公民館から徒歩した10年前と比べると楽だろうと思っていましたが、寄る年波には勝てないことを痛感した次第です(笑)。山頂からは三庄を除くの因島と周辺海域を見渡せ、他の城との連絡拠点として村上水軍の重要な場所だったことがわかります。
下山後、奥山ダム(中庄)へ。すっかり水位が下がり、ため池の様相でした。たくさん鯉のぼりが満開の桜を背景に泳いでいます。
続いて、三庄の地蔵鼻へ。引き潮だったので回り込んでお参りできました。その後、五柱神社に参拝、ホテルいんのしまで汗を流しました。


標高275m


中庄方面


田熊方面




鯉のぼりと桜


地蔵鼻へ
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"ばんそうこう"の呼び方

2023年03月28日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
先日のテレビ番組から。
ちょっとしたケガ、傷口に活躍する"ばんそうこう"。都道府県で呼び方に傾向があるそうで、広島県では"サビオ"らしいです。周りの岡山、島根、鳥取、山口、愛媛が"カットバン"というのも不思議ですね。因みに管理人は今も昔も"バンドエイド"です。富山県だけ"キズバン"と呼ぶのも興味深いです。くだらない理由で"ばんそうこう"のお世話になるのも、今も昔も変わりません(笑)。
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ネットにもページがありました。引用元(ばんそうこうの呼び方マップ)

サビオは、元々はスウェーデンのセデロース社の絆創膏ブランドです。セデロース社は、1963年に、ニチバン株式会社を通して日本市場に進出。その後、サビオブランドは、ライオン歯磨株式会社【現:ライオン株式会社】に譲渡され、全国で販売されました。

カットバンは、佐賀県に本社のある祐徳薬品工業株式会社の商標です。1961年から発売されている老舗ブランド。

バンドエイドは、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社の商標です。全国で大々的にテレビコマーシャルを展開していることもあり、絆創膏のことを「バンドエイド」と呼ぶ人は、全国に広く分布しています。

リバテープは、熊本県に本社のあるリバテープ製薬株式会社の商標で、発売開始は1960年という老舗ブランドです。

キズバンが富山県だけというのは不明だそう。



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