田熊みうま会 尾道市因島から発信中

昭和40年度生まれで 田熊小学校・田熊中学校に通った人のブログ

田熊村四国八十八ヵ所四十一番札所(金山区大越中)一部修理

2023年05月11日 | 令和5年因島・田熊・仲間の話題
傷んでいた床が新しくなり、幕も交換されました。近所ので工事をしているマイハウスさんと信和工務店さんのご奉仕です(感謝)。仏花であるキンセンカとハッサクが供えられています。
かつて守りをしてくださっていた近所の女性が亡くなってから、なかなか行き届かない状態が続いていたので、取りあえず一安心です。

★田熊の村四国八十八ヵ所札所について★
四国八十八ヵ所の巡拝(遍路)は平安時代末期の始まりとされ、一般的になったのは室町時代、それから江戸時代後期になると次第に庶民にも浸透してきました。それでも四国巡拝は多くの時間(約二か月)も費用もかかるため、誰でも巡拝できるようにと、天保三年(1832年)田熊村に村四国八十八ヵ所札所を建立することになりました。他村からも多くの巡拝者が訪れるほど盛んであったようです。
明治時代になり、神仏分離令により衰退した時期もありましたが、大日本帝国憲法が発布された(明治22年)頃になると世の中も安定し巡拝も徐々に復活してきました。
ところが明治45年、因島島民あげての奉仕によって建設された島四国八十八ヵ所の整備が進むと、遍路の人気は島四国へと移り、村四国はふたたひ衰退していきました。さらに大東亜戦争ころから戦後にかけては其々の近所の人たちによって地神的にやっと守られてきた存在となり現在に至っています。
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田熊村四国八十八ヵ所について過去の記事はコチラから
田熊村四国八十八ヵ所札所巡り(長編です)平成31年3月23日記事
田熊村四国八十八ヵ所札所 不明だった3か所発見 令和2年3月8日記事
第3回ブラタクマ(田熊探訪)開催しました 令和2年4月19日記事


以前の状態


現状
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