26日初雪を観測しましたが、車のフロントガラスにみぞれ雪が少し積もった程度の事でした。例年に比べ初雪は10日以上遅く、冬タイヤの交換も先日ようやく済ましたところです。
ところで、3年8ヶ月前に始めた「ブログ人」みちのくの風は、明日で閉鎖になります。そこで、そちらのブログにアクセスした時、自動的に「gooブログ」みちのくの風の旅人に誘導されるようになりました。
自動誘導で初めてこちらのブログにお出での方は、今後ともよろしくお願い申し上げます。
10日程前にインフルエンザの予防接種をしましたが、その後東京周辺に1泊2日の旅行をして帰ってから2・3日後、風邪で体調を崩してしまい未だに良くなっていない。鼻水・のど・咳・痰が収まらず、体がだるい。きのう、小春日和だったので、つい外で長時間居たのも良くなかったのかも知れない。
ブログをご覧いただき、ありがとうございました。 (*^-^*)
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吾妻の山々も雪化粧をし、斜平の山も中腹に白い雪が積もり始めました。今週末には天元台スキー場がオープンすると、米沢新聞の一面に広告が載っていました。
最近テレビを見ていて、滑稽に感じることがあります。東京の街中で太いマフラーと分厚いコートを着た人が、1・2割はいる様に見えました。みちのく米沢は最低気温が氷点下、最高でも5・6度の日もあります。東京の最低気温は米沢の最高気温より高いことが多い様です。米沢ではまだ、真冬の格好をした人はあまり見かけません。冬本番の1・2月になると1m前後の銀世界に覆われ、真冬日(最高気温が氷点下の日)も時々あります。その頃、初めて雪国米沢らしい格好をした人が多くなります。
ところで、9月半ばから今月の中旬まで、「ブログ人」から「gooブログ」に移行して、ほぼ毎日の様にブログを書いて来ましたが、しばらくの間冬支度のために休みに入ります。今月末から再スタートしたいと考えています。
半年以上前の記事に付いては、旧ブログをご覧ください。このgooブログからも見ることが出来ますが、100%完全な形での移管は出来ていません。大震災直後の記事や、桜や紅葉、冬景色や雪灯ろうなど、以下の旧ブログ名をクリックしてご覧ください。リンクを貼り付けています。
なお、旧ブログは今月末でブログ運営会社の都合により閉鎖になります。
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可愛い孫娘も早いもので、1ヶ月後には2歳になります。
ブログをご覧いただき、ありがとうございました。しばらく休みますが再開をお待ち下さい (*^-^*)
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11月4日から7日、岩手県釜石から宮城県石巻にかけての南三陸の地を大震災後初めて訪問した。震災後、福島から宮城県の東松島市までは訪れた事があったが、さらに北へは行った事が無かったので、今回雪が降る前に訪問することを決めた。
一瞬にして家族の命を、家族の思い出も残る物も全て失った人たちの悲しみを、理解することは簡単ではない。ただ自分たちに出来ることは、みちのくの同じ東北人として、現場に身を置き大地の叫びと海からの風の声に耳を傾けるだけである。
次の3枚の写真は、宮城県南三陸町「四季の歌せせらぎ公園」跡で撮影したものである。地元の人達の憩いの場の公園が無残な姿のままだった。震災直後に瓦礫は撤去されたと思われるが、雑草や崩れた石、何よりも四季の歌の情景とそのせせらぎが失われていた。
200m先には防災対策庁舎も見える場所だった。
もう一度せせらぎが流れる公園が復興したら、訪れたいと考えている。
今も残る多くの仮設住宅を行く先々で目にした。「東日本大震災」から3年8ヶ月、海岸近くの広く平らな土地は津波で全ての物を流されてしまい、山間の狭い空き地や駐車場、小学校やスポーツ公園の広場などに、所狭しと仮設住宅の長屋が建てられていた。
岩手の陸前高田市のかつての市街地には、巨大な10m以上の高台がいくつも築かれ、宮城の南三陸町の市街地の多くは、まだ手付かずで大人の身長を上回る様な雑草の生えた、荒廃した土地が沢山あった。
ひっそりとした一つひとつの佇まいの中には、多くの家族との数だけの物語があることだろう。じっと寒さを耐え忍びながら、仮設住宅で4年目を迎えようとしている人たちが、まだまだ沢山いる。
こんな時、にわかに衆議院の解散の話がささやかれている。4年任期の半分も残っているので、無駄な選挙でおよそ800億円とも言われる税金を使う金があったら、被災地の支援に回した方が国民のためになるだろうと考える。政治家の考えることは、分からない。国民の生活より自分たちの選挙の方が大事なのだろう。特に、自民党は。学年2~3クラス規模の中学校ならば、津波で壊れた学校の代わりに、800億円で30校程度新しく建替えが出来るだろう。
ところで、振込詐欺の被害が巧妙化し、その被害金額は1年間で700億円に迫ろうとしているとのことだった。詐欺グループは念入りに個人情報を調べ上げ、時期と狙いを絞って特に一人暮らしの老人(女性が多い)を騙すらしい。朝7時のNHKのニュースで放送していた。
もし今回選挙が行われれば、正に国民を詐欺にかけるに等しい行為である。
きのう白布温泉では時々の天気だったそうである。米沢の平地でも、冷たい雨にみぞれが混ざることもあった。とうとう斜平山の中腹まで雪化粧をした。
11月5日釜石にある「鉄の歴史館」を見学に訪れた。駐車場から上の高台を見上げると、仮設住宅の棟が3つあった。昼近くだったので、若い人たちは働きに出掛けて、年寄りだけが残っているのか人影は見えなかった。
しばらくすると、仮設住宅から出て来た訪問販売の車が2台、駐車場の端に止まった。大きい車からは男性、小さい方からは女性が降りて来た。
自分もたばこは止められずに吸っているが、30前後の女性のタバコを吸う姿には、見ていて嫌な印象を受けてしまう。
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「南三陸ひとり旅」の途中、いくつかの道の駅で休憩した。それぞれを訪ねた時期や印象についてまとめてみることにした。道の駅にはそれぞれの顔があり、その土地ではの特徴が大変良く生かされていると感じた。
ただ一つ、心の痛む想いをした道の駅「高田松原」があったことを、忘れることは出来ない。
道の駅 かわさき 岩手県一関市川崎町
旅の初日、4日東北道を福島飯坂から岩手県の南の玄関口である一関まで北上し、その後国道284号線で宮城県の北端気仙沼に向かう途中に立ち寄った所である。天気は良かったが風は強く、午後3時を過ぎて肌寒かった。
道の駅 さんりく 岩手県大船渡市三陸町
旅の2日目、気仙沼から釜石に向かう途中午前10時過ぎ、最初に休憩した所である。三陸の海産物が沢山あったので、まだ旅の前半だったが土産物を少し買うことにした。
この日は朝から好天に恵まれ、風もなくとても穏やかな日だった。釜石の鉄の歴史館を見学した帰りに、再び休憩した。その日はさらに南へ戻り、海の見える国道45号線沿いの陸前高田のホテル三陽に泊まった。
道の駅 津山 宮城県登米市津山町
旅の最終日の7日の午前11時過ぎ、気仙沼から石巻に向かう途中に立ち寄った。クラフトショップもくもくハウスには、実用的な木工製品やアクセサリー、子供のおもちゃなどが沢山売っていた。来月2歳になる孫娘の誕生日プレゼントなどを買った。しばらくの間、内緒にして置かなければならないのは、少し心苦しく感じがする。
道の駅 高田松原 岩手県陸前高田市高田町
旅の3日目の6日の午前中、奇跡の一本松を見た後で、東日本大震災追悼施設のあるこの場所を訪れた。日本百景にも数えられた名勝地の道の駅だった。現在は震災遺構として保存が検討されている。
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今回の旅の最後の訪問先は石巻だった。今からちょうど1週間前の7日の昼、復興商店街の東を流れる旧北上川の中州にある、石ノ森章太郎漫画館に辿り着いた。駐車場と商店街側からも、独特な形の建物を写真に収めた。海から約1kmと近く、津波で相当大きな被害を受けたらしいが、現在は完全に復旧していた。乗用車なら100台近く入りそうな大きな駐車場には、5・6台の車があるだけだった。20代の数人のグループが見学に訪れていた。
今回は、時間が無く内部の見学はしなかったので、次回訪問する時は是非見たいと考えている。
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3泊4日の旅を時系列で7回に分けて、ブログの記事を書きましたが、書き残したことについては、
「番外編」として旅の証を残すつもりです。 (*^-^*)
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11日は東日本大震災から3年8ヶ月の節目の日でした。その日にUPしたのが、以下のグログです。
[ タイトルにリンクしていますので是非ご覧ください。]
7日、南三陸町を後にして一路石巻を目指した。途中道の駅「津山」で休憩し、石巻復興商店街に着いた時には正午過ぎだった。
海鮮丼で腹ごしらえを済ましてから、復興の様子を展示している「石巻まちなか復興マルシェ」を見学した。その後、仮設店舗で土産物を買ってから、午後2時頃に米沢に向けて出発した。ちょうどその頃、宮城県内陸部にある栗原市から来た観光バスの客たちが、土産物を沢山抱えてバスに乗り込むところだった。
三陸道、仙台東部・南部道、東北道を進み、福島を経由して米沢の自宅に着いたのは、陽が沈んで間もない5時過ぎの夕暮れ時だった。4日振りに孫娘のあどけない笑顔を見て、旅は無事終わった。
ブログをご覧いただき、ありがとうございました。 (*^-^*)
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