みちのくの風の旅人 [ 愛と義の街(上杉の城下町)から情報を発信中 ]

米沢・山形・東北の自然や文化・風土を季節の便りとして届けています。HP[新・天空の流れ雲]と合わせてご覧ください。

別れの季節 ~ あっという間の1年 ~

2015-03-31 21:19:17 | 日記・エッセイ・コラム

 ちょうど1年前定年退職の日を迎え、職場の多くの仲間から見送られて学校を後にした。あの時からあっという間の1年が過ぎた。きのうまで1ヶ月間だけ仕事に就いていたが、残りの11ヶ月間は毎日が日曜日の様な生活だった。

 定年退職後の2年目を迎えるに当たり、ホームページの制作にチャレンジしたいと考えている。ブログ東日本大震災の直後に始めて4年、習うより慣れよで、ほぼ思い通りに扱えるようになり、絵日記代わりになっている。

 下の画像が、現在制作中のホームページの最初の部分である。まだまだ、ブログはひな形(テンプレート)があったが、ホームページは全くゼロからの出発なので、失敗を恐れず、紆余曲折しながら完成度を上げたいと考えている。

 時々ホームページを覗いてみて下さい。入口は ここ からです。左のサイドバーのブックマーク1番目の項目、天空の流れ雲[HP工事中]をクリックしても、ホームページに入ることが出来ます。 

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みちのくの春 2015 ~ 松川河岸と吾妻山 ~

2015-03-29 09:48:50 | 米沢の自然と文化

 朝は氷点下、昼は15度前後の寒暖の激しい日々がつづいている。みちのく米沢の春も一歩一歩近づいていることを実感する毎日である。

  松川右岸の堤防を歩いていると、澄み切った青空の向こうに吾妻山がくっきりと見える。天元台スキー場の一番上のゲレンデの残雪の形を、米沢では白馬の騎士(馬上の謙信公)と言っている。上杉家の藩祖謙信公を祀っている上杉神社に足を向けて寝るなどということは、米沢人としては恥ずべきタブーの一つである。

 河川敷にはいまだ40cm前後の雪が残っている。吾妻山を源とする、最上川の源流松川左岸の河川敷では、毎年5月3日に上杉祭りのハイライト川中島の合戦が行われる。昨年はの開花が平年より1週間前後遅く、満開の桜並木の下から合戦を眺めることが出来た。

 ※ 以下の写真は27日(金)の午後3時頃に撮影したものです。

 

 
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ギャラリー停車場 ~ 人面石 ~

2015-03-27 19:43:18 | アート・文化

 彼岸の墓参りに長井に出掛けたついでに、ギャラリー停車場(フラワー長井線の駅舎内)に立ち寄って来た。10年以上前に人面魚が話題になったことがあったが、人面石を見るのは初めてだった。梅の花の様な石も大変珍しい物だった。

 百万年あるいは一千万年以上の歴史が刻まれている事を思うと、これらの石に比べて人の一生は、まばたき程度の一瞬の時間に等しいものかも知れない。

   石の顔 停車場に座し 春彼岸

 

 

 

 

 日曜日の昼下がり、駅前通りにはほとんど人影が無い。郊外に出来たショッピングセンターに人は吸い寄せられてしまった。 

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春の足音 ~ 福寿草 ~

2015-03-25 17:24:41 | 北国山形の春夏秋冬

 2日前の23日からまた季節が冬に逆戻りして、きのうは時々吹雪模様となった。今朝も2・3cmの淡い新雪が積もり、日中になっても時々雪の舞う風の強い一日だった。

 ところで、3・4日前の彼岸の休みは、ポカポカの春の陽気だった。長井の両親初め先祖の眠る山に墓参りをした。杉の林の日陰になっている所などには、まだ30cm程の雪が積もっていたが、陽当たりの良い所はもう雪がなかった。かつて住んでいた家の裏の山裾には、福寿草が顔を出していた。その周りには残雪がまだあったが、この花を見るといよいよ北国の春が近づいてきたことを実感する。

 2枚目の写真は50年以上前に、歩いた通学路である。昭和40年代を待たずに小学校の分校は廃校となり、その後しばらく児童館として分校の一部残った校舎は使われたが、平成になってからは障害者関係の用途に使われるようになった。通学路からは元気な子供たちの声が聞こえなくなって久しい年月が経った。

 国道287号線沿いの最上川右岸堤防に桜づつみがある。20年以上前に造成され桜の木が植樹された。つつみの上に立って西の山並(朝日連峰)を見ていると、遠い少年時代を思い出す原風景が広がっている。

 

 

 

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21世紀の主役のみなさんへ

2015-03-23 11:22:17 | 日記・エッセイ・コラム

 今から23年前、山形県を会場に国民体育大会が開催されました。米沢は水泳競技のメイン会場となり、
現在の市民プールが建設されました。私も仮設スタンドから開会式の様子を見る機会がありました。

 さて、その時の国体のスローガンに「おもいっきり躍動 21世紀の主役たち」 というのが、ありました。

 生徒の皆さんは、1990年代の後半(20世紀の世紀末)に生まれ、21世紀の世界で高校生まで成長し
ました。

 まさに、みなさんひとり一人が21世紀の主役です。今後の活躍を学校の外から見守り、そして応援し続
けたいと考えています。

 

 3月2日から14年振りに、急きょ元の職場に勤務することになりました。18年前の生徒会誌に載っている自分の文章を見せてもらい、当時の様子を懐かしく思い出しました。本校での勤務も余すところ1週間になりました。1ヶ月弱の短い勤務になりますが、勤めたことの証に、下記の文章を残すこととしました。

 

   ↓  下の文章は、18年前に書いたものです。  ↓  

 


 

  14年前に転勤して校舎を去る時に作った短歌です。

  

 

     振り向けば 学び舎の灯が さよならと

           言った気がして 頬に風花

 

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15の春 ~ 高校入試合格発表の日 ~

2015-03-17 20:23:05 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は山形県公立高校の入学試験の合格発表の日。今年一番の暖かい日になった。米沢でも最高気温が15度以上の4月の様な陽気になった。オフィスアルカディア(米沢市内の東部、川井地区にあるオフィス誘致用の分譲地)の向こうには、吾妻山もくっきりと見えた。まだ学校の校庭は1m近い雪に覆われている。

 午後3時の発表前には、受験生や一緒に来た家族で、生徒昇降口付近の発表場所が一杯になった。

 

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春の嵐 ~ 雪国の子供たち ~

2015-03-16 21:36:03 | 米沢の自然と文化

 大震災から4年目の11日を前後して、真冬並みの寒波がやって来た。そんな中、子供たちは元気に登校している。

 最初の4枚は12日、最も吹雪の酷かった日である。風に向かって歩く中学生たち。2枚目は米沢の街中を集団登校している小学生たち。

 

 地吹雪で前が良く見えない状態だった。

 

 13日ようやく嵐が収まった。高校生たちが米沢駅から郊外の学校まで歩いている。白い丘の様に見えるのは、東北中央道の建設中のかさ上げ道路である。2年後には、東北道の福島ジャンクションから30分以内で米沢に到着できるようになる。

 市内の循環バスが2台並んでいた。滅多にない光景である。青バスは右回り、黄色バスは左回りのバスである。

 

 
 
 15日の日曜日、ようやく春の暖かさが戻ってきた。市内の大きな道路の歩道には、1ヶ月前は2m以上の雪の壁があったが、今はすっかり小さくなった。しかし、郊外に行くとまだ90cm以上の積雪がある。
 
 
 

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東日本大震災に寄せる想い ~ 震災から4年 (2) ~

2015-03-12 18:30:16 | 東日本大震災に寄せる想い

 きのう3月11日を前後して、真冬の様な寒波が戻って来た。今朝も新雪が15cm程積もった。

 現在米沢の積雪はまだ1mを越えている。待ち遠しい北国の春は、足踏みをしたままである。

  ~   

 もの心が付いた頃から見ているお地蔵さん、その前を通り30段程の緩やかな傾斜の石段を登ると、正面に
観音堂が見えて来る。子供の頃の格好の遊び場だった。

森観音堂前のお地蔵さん

  平成の世になってからは、年に1・ 2回この道を通り
先祖の墓参りをするが、ここ(森観音:置賜三十三観音
の三十二番札所)で遊んでいる子供達を見かけたことが
ほとんどなくなった。 

 変わり行くのものと変わらぬもの、死んでゆくものと

 新しい命を輝かしているもの。

 百年以上前からこのお地蔵さんは村の人達を見守って
 きた。

 三つ子の魂百までと言うが、私の記憶から生涯離れる
 ことはない。

 祖父母や両親への祈りの他に、4年前からは東日本大
 震災の被災者への祈りが加わった。 

 森観音堂

 ※ 2枚の写真は昨年11月のブログから
  コピーしています。詳細については、
  下記のタイトルをクリックしてみて下さい。  

森観音  ~ 置賜三十三観音 32番札所 ~

2014-11-03 11:06:49 | 日記・エッセイ・コラム

 

 
 

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東日本大震災に寄せる想い ~ 震災から4年(1) ~ 

2015-03-11 20:33:13 | 東日本大震災に寄せる想い

 東日本大震災から今日で丸4年、朝から吹雪模様の1日になった。

 午後2時46分、政府主催の東日本大震災の追悼式典の中継に合わせて、職場で仕事の手を休め黙祷を捧げた。岩手県、宮城県、福島県の被災者の代表の方々も追悼の言葉を述べていた。

 宮城県の15歳で津波に飲まれて母親を亡くし、自分だけは助かった少女の苛酷な体験には、身に詰まされる想いがした。

 同じことの繰り返しが続く平凡な毎日の暮らしが、「退屈でつまらないな あ~」と、つい愚痴をこぼしたくなるのが世の常である。しかしながら、この大震災で傷ついた多くの被災者の人達は、「元の平凡な毎日の暮らしが出来る様になりたいなあ~」と、口をそろえて話しているのをよく目にする。
 [毎週木曜日の昼:NHK-TV「被災地からの声」より]  ※ 仙台放送局制作の東北限定の番組 

 大切な家族を亡くした人、全ての家財を津波に流された人、原発事故で県外に避難している人など、みんな震災前の平凡な毎日の暮らしが奪われてしまった。人は失って始めて、平凡な毎日の暮らしが出来ることが如何に恵まれて幸せなことかに気付く。 

 もっともっと生きたかったはずなのに、無念な想いで亡くなった方々に、ただひたすらに合掌。

 私に出来ることは、被災した人々に想いを寄せ続けることだけです。


  昨年11月上旬、三陸地方に一人旅をした。下の写真は、3泊4日の旅の最終日、宮城県南三陸町で撮影したものです。

 その時の関連記事と写真は、次のタイトルにリンクを貼付けていますので、クリックしてみて下さい。

                    南三陸ひとり旅 ~ 6:南三陸町防災対策庁舎 ~

  

 

 

 

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東日本大震災に寄せる想い ~ 震災から3年後の記事より ~ 

2015-03-10 19:12:59 | 東日本大震災に寄せる想い

 今日は平成27年の山形県公立高校の入学試験があった。天候は最悪の状態に向かっていた。朝は小雨が降り、昼前から強風が吹き始め、午後からは吹雪になった。真冬並みの寒さである。吹雪の中帰る受験生たちは少し可愛そうだった。

  さて、大震災から3年が経った記事(昨年の3月11日作成)を読んでみると、被災地の現状は、一年後の現在でもあまり変わっていない様な気がする。

 米沢市には現在でも、約400世帯、1200人以上の福島県出身者が避難している。3年前のピーク時には3000人を超えていたと思う。福島県内にいる家族との二重生活による経済的負担から、子供の入学時期に合わせて、戻る人たちが増えている。

 声なき声が聞こえてくる。「原発の事故さえなかったら、こんなに苦しむ必要も無かったはずなのに・・・」 

 

 ※ 震災から3年後の記事を再掲載します 


東日本大震災から3年  2014-03-11 20:42:37 

 季節はずれの寒さが連日続いている。ちょうど3年前、仕事中に大きくて長い揺れを経験した。米沢では震度5強、立っているのがやっとだった。

 震災の特集番組を見るに付け、心が痛くなる。仮設住宅での慣れない暮らし、家族が離ればなれの生活、未だに行方不明の人達、身元不明の引き取り手のない遺骨など、時計は14時46分で止まったままの状態が今なお続いている。さらに、福島では深刻な原発事故の後遺症が3年経ってもまだまだ収まっていない。

  定年退職の日まであと20日。平凡な日々の幸せに感謝するのみである。1年2ヶ月を過ぎた孫娘は先月末からようやく歩くようになり、今では10歩以上歩く様になった。

  来年の3月11日は、被災地で迎えたいと思う。[ ※ 1


               ※ 1  昨年の3月考えていたことがとても実現できそうにない。
            最大の理由は、急きょ3月の1ヶ月間だけ仕事を依頼されたからである。
            5年目を迎える来年は、是非とも実現させたい。福島県の浜通り辺りで。
            3月1日、これまで一部未開通部分のあった福島県内の常磐自動車道が、全線開通した。 


[  平成25年5月福島県相馬市訪問の写真集 ]

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※ 詳細については、下記のブログをご覧ください。

相馬市訪問~大震災の予震に遭遇~ 2013-05-18 22:10:00 

 

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