大相撲の第56代横綱2代目若乃花の下山勝則さんが死去したと18日、日本相撲協会が発表した。69歳。青森県出身。現役時代は優勝4度で、引退後は間垣部屋を興した。横綱照ノ富士の入門当時の師匠だった。(以上、山形新聞記事を引用)
定年退職してからは、大相撲中継をほとんど毎日見る様になった。子供の頃以来である、10代半ばから50代までは、時々見る程度だった。それでも、自分と同年代の横綱北の湖と2代目若乃花には関心があった。
憎らしい程強かった北の湖や輪島らと熱戦を繰り広げ、大相撲を盛り上げた。横綱引退から約40年、大変残念である。
間垣親方としては大相撲協会理事を務めたが、早くに協会を引退している。
ちょうど1年前に引退した白鵬が、現在間垣親方となって、後進指導に当たっている。先日テレビの解説もしていた。
※ 日刊スポーツオンライン記事を以下に掲載します。
【悼む】2代目若乃花の下山勝則さん波乱人生、細やか心遣いで支えたおかみさん長生きしていれば [2022年7月18日17時22分]
元横綱2代目若乃花の下山勝則氏が、死去したことが18日、分かった。69歳だった。関係者によると、肺がんを患い16日夕方に亡くなったという。
下山さんを初めて取材したのは、引退した83年の初場所前だった。稽古場、支度部屋でも、笑みはなく、口数も少なかった。進退はもちろん、再婚、病気、引退後の年寄名跡、独立…。悩みも多かった。2勝3敗となると引退。発表の翌日早朝に自宅マンションを直撃取材した。ドアが開くと、晴れやかな笑みを見せた。その傍らにいた侑子夫人も笑顔で応対してくれた。
現役時は口は重かったと聞いたが、引退後はマスコミと積極的に交流。有望新弟子入門のニュースを教えてくれたこともあった。誕生日会にクリスマス会。年賀状、暑中見舞い、番付も欠かさず送られてきた。細かな心遣いは、7歳年上で銀座のクラブのママだった、おかみさんのなせるわざだった。
若三杉時代から芸者に入れ込まれるなど、色白の美男で見栄えもいい。力ずくでなく柔軟な相撲は、玄人にも評価され、華があった。夜汽車で上京して入門から波乱の人生。おかみさんがもっと長生きしていれば、親方の晩年も明るかったはず。天国でもおふたりで仲良くやってください。【河合香】
※ 山形新聞ニュースオンライン記事を以下に掲載します。
横綱、2代目若乃花が死去 照ノ富士入門時の師匠、69歳
7/18 13:14
大相撲の第56代横綱2代目若乃花の下山勝則さんが死去したと18日、日本相撲協会が発表した。69歳。青森県出身。現役時代は優勝4度で、引退後は間垣部屋を興した。横綱照ノ富士の入門当時の師匠だった。
元横綱初代若乃花が師匠の二子山部屋に入門し、1968年名古屋場所で初土俵。切れ味鋭い右上手投げを得意とし、78年夏場所後の横綱昇進と同時にしこ名を若三杉から若乃花に改めた。北の湖や輪島らと熱戦を繰り広げたが、昇進後はけがに悩まされ、83年初場所限りで引退した。
間垣親方としては協会理事を務めたが、体調不良のため2013年12月で協会を退職した。
※ 再び日刊スポーツオンライン記事を掲載します。
花田虎上氏「早すぎます」元横綱2代目若乃花の下山勝則さん悼む 3人いた「横綱若乃花」1人に
[2022年7月18日18時34分]
74年9月、新入幕以来4場所連続勝ち越しを決め支度部屋で笑顔がほころぶ東前頭3枚目若三杉(本名・下山勝則、56代横綱若乃花)
元横綱2代目若乃花の下山勝則氏が、死去したことが18日、分かった。69歳だった。日本相撲協会の発表によると、大阪市内の病院で肺がんのため、16日午後6時47分に亡くなった。
故人とは親戚関係にあった、3代目の横綱若乃花を受け継いだ日刊スポーツ評論家の花田虎上氏(51)も、冥福を祈った。花田氏の伯父が初代横綱若乃花の花田勝治さん(故人)で、勝治さんの長女が、2代目若乃花の下山氏と結婚(その後に離婚)。「私のいとこのご主人が若乃花さんでした。小さい頃から稽古場でよく見ていましたが、力士というより親戚という感じでした。小さい頃の私の中では、横綱といえば若乃花さんと隆の里さん(元鳴戸親方=故人)でした。ご冥福をお祈り申し上げます」と話した。
数年前に大阪市内のデパート地下で買い物をしていた時、偶然にも下山さんと会ったという。「本当に偶然だったんですが『おおっ、元気か!』と声をかけてくださったのが最後でした」と懐かしんだ。3人いた「横綱若乃花」は、これで2人が他界。「1人だけになりましたね。みんな(他界するのが)早いです。69歳は早すぎます」と故人を悼んだ。
現在開催中の名古屋場所、10日目(7月19日)の勝敗結果
優勝争いが混とんとしている。全勝や1敗力士がいない。若手のホープ琴ノ若を応援しているが、昨日は勝ち越しならず、3敗を喫した。