みちのくの風の旅人 [ 愛と義の街(上杉の城下町)から情報を発信中 ]

米沢・山形・東北の自然や文化・風土を季節の便りとして届けています。HP[新・天空の流れ雲]と合わせてご覧ください。

一般社団法人 米沢工業会(山形大学工学部同窓会)創設90周年記念行事・祝賀会の案内

2014-08-31 10:11:54 | インポート

 来る10月10日(金)、下記の日程で米沢工業会創設90周年記念行事(講演会と式典)・祝賀会が開催されます。祝賀会の会費は一人4千円です。会員券購入希望の同窓生は、本部事務局に問い合わせて下さい。会場の都合上参加可能人数には限りがあるため、会員券も残りわずかになったそうです。9月上旬の早い内にお願いします。

 問合せ先(一般社団法人 米沢工業会[山形大学工学部内])
  0238-22-7866  9時~17時[月~金曜日]
 E-mail  yzkgkai@dipfr.dip.yz.yamagata-u.ac.jp
 ホームページ  http://www.ykk1910.jp/ 

  <創設90周年記念講演会>
  日時:10月10日(金) 13:30~15:45
  会場:グランドホクヨウ
  演題&御講演者
  ◆ 「真のグローバル企業に向けて」
    株式会社ブリヂストン 代表取締役COO 西海 和久 様
  ◆ 「お客様からの真の満足をいただくための原点回帰」
    アキレス株式会社       代表取締役社長    伊藤  守  様

Photo  <記念式典> 
  時間:16:00~16:30
  会場:グランドホクヨウ 

 <記念祝賀会>
  時間:17:00~19:00
  会場:グランドホクヨウ

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ブログはしばらく夏休み中

2014-08-25 11:38:12 | テレビ番組・ラジオ番組

 お盆休みから1週間以上が過ぎ、小学校・中学校・今日からは高校も普段の生活に戻った様な気配がする。
 ところで、4月半ばから今月の中旬まで、ほぼ毎日の様にブログを書いて来ましたが、しばらく夏休み入ります。9月からまたスタートしたいと考えています。

 さて、自分の好きなテレビの番組をせっかく録画しても、その放送日のサブタイトルが保存されてないと、後日見返す時に再生して中身を確認しないとどんな内容だったか分からず、大変不便な思いをしています。そこで5月に、「夢の扉+」の番組視聴者窓口に、メールでサブタイトルが付いた状態で保存出来るようにと要望しました。しかしながら、なかなか依然と変わらず諦めていたところ、7月の放送からサブタイトルが付くようになりました。3名の俳優(中井貴一・坂口憲二・向井理)が交代でナレーターを務めているので、その名も分かるように改善され、ささやかな喜びを感じました。

 ブログの題材にも取り上げた、テレビ番組の録画リストを掲載します。

 ※ 下の画像をクリックすると、鮮明な拡大画像を見ること
   が出来ます。  ?   ?   ?   ?


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山形中央高校 3回戦へ

2014-08-19 13:14:45 | スポーツ

 東海大四高との息詰まる投手戦を制し、延長10回2点を取って逃げ切り、3回戦進出を決めた。初戦の愛媛県代表の小松高校戦では、9回3点差の逆転劇を演じた。
 今日は9回まで両校が0対0だったが、何かやってくれるのではないかと期待して見ていたところ、ニュースで一時野球放送が中断していた直後の画面には、ノーアウト3塁の場面が現れた。相手チームの思いがけないエラーが絡み、2点を先制した。
 両校の高校球児の全力プレーにエールを送りたい。10回を一人で投げ切った東海大の小さな大投手西嶋君も大したものだ。悔し涙は今後の人生にとって決して無駄にはならないだろう。

++++ 朝日新聞デジタル 高校野球高校野球 +++++++

 両校投手が好投、山形中央延長戦制す
 高校野球第9日     2014年8月19日11時58分 
        (19日、山形中央2―0東海大四)

 両方の3投手が好投した接戦は、山形中央が10回、敵失から1死三塁とし、高橋隆の三遊間を破る適時打などで2点を挙げた。先発の佐藤僚が5回を無安打に抑え、6回から登板の石川が粘った。東海大四は再三、先頭打者を塁に出したが生かせず。
2014819_2
山形中央―東海大四 1回表山形中央2死、永井はチーム初安打となる左前安打を放つ。投手西嶋、捕手上野


 


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終戦の日を過ぎて(3:黙して語らぬ偉人 )

2014-08-18 06:12:19 | テレビ番組・ラジオ番組

 8月10日の夜、テレビ番組の「ありえへん∞世界」スペシャルで故「工藤俊作」氏の戦時中の話が取り上げられていた。本人は死ぬまで家族にさえ、敵兵の救出劇の事を話さなかったという。当時救出された英国人の自叙伝で明るみになり、日本の武士道精神を称えていたという。命の恩人の墓参りをどうしても生きている間にしたいと、日英の外務省の支援も受けて2008年12月、2度目の来日(当時89歳)でようやく実現できた。

Cimg5936  日本海軍の軍人としてというよりは、一人の日本人として称賛に値する人物である。山形県人として、また母校の先輩としてもこの様な人がいたことを、大変誇りに思える。

 番組終了後twitter上でも、若い世代の人達から感動のつぶやきが多く見られた。Web上で検索して出て来た中で、比較的自分にも共感できるブログがあったので、Wikipediaの記事の次に掲載することにした。

 ただ、Web上ではブログなどで愛国者気取りの人たちが、取り上げていることが多かったのは残念なことだと思う。工藤艦長が黙して語らなかったのは、この様な事を危惧していたのかも知れない。
Cimg6012 誇り高き日本人がいたことは事実だが、その他多くの日本人は、海外の戦場で戦争と言う名の下で、他国の人々の多くを苦しめた事実は消え去ることは出来ない。従軍慰安婦問題も同様であり、日本軍が強制的に連れて行ったか否かが、さも大きな問題として取り上げられがちだが、従軍慰安婦が存在した事実は消えない。近隣諸国の多くの人々の声なき声に謙虚に耳を傾ける、器量の大きな政治家が活躍できる日本であって欲しい。形容詞の使い方に違和感を感じる、積極的平和主義という言葉、自分だけだろうか?

※ 1枚目の写真は新潟県新発田市で、2枚目は福井県永平寺で撮影したものである。

 

 Wikipedia より +++++++++++++++

 工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 ? 1979年(昭和54年)1月12日)は、日本の海軍軍人、最終階級は海軍中佐。1942年3月、駆逐艦「雷(いかずち)」 艦長時、スラバヤ沖海戦で撃沈された英国艦船の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた人物である。

山形県東置賜郡屋代村(現高畠町)で、農家の工藤七郎兵衛、きんの次男として生まれる。山形県立米沢中学校を経て、1920年海軍兵学校に入学(第51期)。1940年陸上勤務となり、海軍砲術学校教官、横須賀鎮守府軍法会議判士を務めた。同年11月、駆逐艦「雷」艦長となり太平洋戦争を迎えた。

++++++++++++++++++++++++++++++

 大津秀一 オフィシャルブログ(下記のURL)に詳細の記述があります。参考にして下さい。 

見出し;昔はすごい人がいたもんだ 工藤俊作艦長の話
 黙して語らなかった偉人
http://ameblo.jp/setakan/entry-11392943467.html

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終戦の日を過ぎて(2:盆踊り )

2014-08-17 05:30:00 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg6017 終戦の日の15日と16日さらに20日の三日間、近くの熊野神社で盆踊り大会が40年以上前から毎年行われている。全国各地には様々な盆踊りがあり、されぞれ何百年以上前から続いているものもあるらしい。今は亡き先祖の霊に、今生きている人たちが元気で幸せに過ごしていることを歌と踊で伝え、慰めるのが盆踊りの起源となっているらしい。Cimg8035

 きのうの16日は送り盆、朝から昼過ぎまで断続的に強い雨が降った。しかし、夕方からはピタリと雨が止み、盆踊り2日目も賑やかに行われた。

 



Cimg8037 子供の頃、16日の夜は暗くなる頃に送り火を焚いた、13日に迎えた先祖の霊を再びお墓に帰すための儀式だった。13日の迎え盆から16日の送り盆まで、物心が付いた頃から大人になるまで、少しも変わらなかった。

Cimg8043  昭和40年代の高度経済成長の時代、急速に車が増え交通事故で毎年亡くなる人が、全国で1万人以上を越え、現在の2倍以上の人達が命を落としていた。当時交通戦争と形容されていた時代である。その様な時代背景の中で、熊野神社交通安全祈願盆踊り大会がスタートし、今年で46回目を迎えた。江戸時代やそれ以前に始まった盆踊りとは異なったいきさつで始まった盆踊りであるが、昔から米沢や置賜地域全般で踊られていた、盆踊りそのものである。

 Cimg8039 Cimg8054

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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終戦の日を過ぎて(1:無益な戦争 )

2014-08-16 13:15:47 | 日記・エッセイ・コラム

 日本の人口の80%以上が戦後生まれの人達になっている。自分自身も戦争時代の事は知らない。まして自分の子供達や孫は殆ど戦争の事に関心が無い。子供にはまだ生きている祖父母がいるいれば、貴重な話を聞くことが出来る。残された時間は少ない。
Cimg6015  シベリア抑留から帰国した伯父は90歳を超えたが、夫婦で元気に農作業をしている。捕虜になった当時、所属した日本の所属部隊のまとまりが良かったことと、ソ連軍の関係した部隊の運に恵まれて酷い扱いをあまり受けなかったという。多くの抑留者が過酷な労働と飢餓で再び故郷の土を踏むことが出来ず、6万人以上命を落とした。伯父にも辛い記憶があったはずだが、あまり語りたがらない。40年以上前に内臓の大手術をしているが、20代の頃の戦場やシベリアでの生活が、少なからず影響しているものと思う。

Cimg6014  無益な戦争を起こさないためには、アジアの周辺国である中国や韓国、北朝鮮、さらにロシアとの関係を良好に保つ以外の道は無い。一番大切なのは外交力であって、軍事力ではない。日本の政治家は、一部の声高な声に乗せられることなく、冷静に将来の日本のために行動してもらいたい。
 尖閣諸島の国有化の問題は、明らかな外交上の失敗に近いものである。中国の横暴さにも目に余るものが有るが、石原慎太郎元東京都知事の中国をいたずらに刺激する言論や行動によって、その後の中国国内の暴動で失われた損失は、計り知れない。その責任を政治家として何も取ろうとしない身勝手さには呆れるばかりであるが、都民の中には石原氏の支援者が沢山いるのだろう。日本の首都にそのような人たちが沢山いることが心配だが、こんな思いを抱くのは自分だけではないだろうと思う。

 ※ この数日のブログには、本文と無関係の写真を載せている。これらは6月末から7月初めにかけて訪れた、東尋坊や永平寺の写真である。ちなみに今日と明日は永平寺で撮影したもので、終戦の前の日のものは東尋坊である。

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終戦の日 ~戦争と平和~

2014-08-15 16:04:13 | 日記・エッセイ・コラム

 69年前日本の無条件降伏によって太平洋戦争は終結した。多くの軍人のみならず、沖縄での激しい戦いによる一般人、東京はじめ日本各地の空襲での犠牲者、広島と長崎の原爆の犠牲者、尊い命が失われた。2度と戦争をしてはならないと誓い69年、こらからも平和な日本を世界に発信続けなければならないと思う。
 そのためには、戦争の被害者としてばかりではなく、加害者としての側面を併せ持っていることを忘れてはならない。このことを履き違えると、近隣諸国に誤解と更なる反感を招きかねない。
 昨晩遅く、NHKスペシャル「少女たちの戦争」を見た(詳細は以下の記事の通り)。当時小学生だった人たちの、生の声にはとても説得力があった。子供たちの心に忍び寄る戦争の影。二度と戦争はしてはならない。

***** NHKスペシャルの記事を引用 *****

 少女たちの戦争   ~197枚の学級絵日誌~
      http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0814/
 2014年8月14日(木) 午後10時00分~10時49

Thum_01

  滋賀県大津市に、太平洋戦争末期の1年間小学5年生の少女たちが書き続けた絵日誌が残っている。この絵日誌が今、銃後の戦争を知る貴重な資料として、海外の大学の研究者から注目を集めている。日誌が描かれ始めたのは昭和19年4月。「感じたことをそのまま書きなさい」と若いImg_01女性教師の指導の下、日々の学校生活や友人関係、家族のことが瑞々しく綴られた。 ところが秋を過ぎると、少女たちは感じたことを書けなくなっていく。町に次々と届く戦死者の報せ、出没する米軍機。他人の前では感情を押し殺し矛盾した行動を繰り返す大人たちの不可解な姿。ヒタヒタと迫ってくる戦争の影は、農村の小学校の1学級も覆っていく。
Img_02 

 今80歳を超える元少女たちは、日誌を書き始めて70年となる今年、改めて当時の自分たちの心の変化や大人たちの不可解な行動、そして教師が何故日誌を書かせたのか、関係者を辿って振り返ろうとしている。「自分たちの体験した戦争とは何だったのか」。彼女たちの戦争を見つめ直す軌跡に同行しながら、当時多くの地域が経験した戦争の実感・心の移ろいを見つめる。

 

 

 

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山形中央、逆転で初戦突破

2014-08-15 11:20:33 | スポーツ

 県代表の山形中央高校は、県大会の決勝戦を彷彿させるような鮮やかな逆転勝利を挙げた。7月24日の県大会では酒田南との2点差を、きのう8月14日の第4試合では、愛媛県代表小松高校との3点差を、見事に逆転した。県大会は投手戦だったが、今回は激しい打撃戦となった。8回を終わり3点差、県大会の様な逆転劇がもしかしたらあるかも知れないと微かに期待はしていたが、まさか本当になるとは思わなかった。

 以下、やまがたニュースオンラインから引用 ********

山形中央、逆転で初戦突破  2014年08月14日 18:52
Img_2014081400240  第96回全国高校野球選手権大会は第4日の14日、兵庫県西宮市の甲子園球場で1回戦4試合を行った。本県代表の山形中央は小松(愛媛)と対戦。九回に3点差をひっくり返す猛攻を見せて9-8で劇的な逆転勝ちを収め、夏の甲子園初勝利を挙げた。県勢の初戦突破は2年連続で、公立校の勝利は1977(昭和52)年の酒田工(現・酒田光陵)以来、37年ぶりとなる。
Img_2014081400244  序盤から点の取り合いとなり、山中央は三回に4点を奪われるなど、相手にリードを許す苦しい展開。5-8で迎えた九回、山中央は無死二、三塁の好機から適時打などで同点に追い付くと、6番中村颯の中前適時打で逆転に成功。四回途中から継投した佐藤僚亮が粘り強い投球を見せ、1点差を守りきった。

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終戦の日を前にして(2:伯父たちの戦死 )

2014-08-14 20:41:36 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg5984 私が生まれる8年前には、まだ戦争中だった。物心の付いた昭和30年代の前半は、まだまだ貧しい時代だった様に記憶している。ラジオが有っただけで、文明の利器と呼ばれる物は何も無かった。当時子供の頃、両親や祖母、伯父や伯母から戦争の事や、戦死した伯父の話を聞いた。祖父は戦死した息子の悲しみを抱きつつ、私が生まれる2年前に亡くなった。伯母達の夫も戦死している。不幸な戦争が無ければ伯父たちと会えたと思うと、運命Cimg5989を恨むしかない。

 

 36・37年前伯母がよく行く浦和の氷川神社に、朝の散歩に一緒に出掛けたのを、今でもよく覚えている。伯母は戦死した夫の慰霊のために毎日の様に訪れていた。

 

 自分の子供たちは、昭和から平成に変わる時代に生まれ、戦争の事は殆ど知らない。戦争の理不尽さを知らない人がますます多くなり、反戦・平和の運動も下火になりつつあり、若者は殆ど関心を示さない。今から40年以上前の高校生の頃「戦争を知らない子供たち」と言うフォークソングが流行した。今でもよく覚えている。

以下、Googleの検索記事を引用した。

戦争を知らない子供たち(ジローズ)の歌詞
 戦争が終わって 僕らは生まれた 戦争を知らずに 僕らは育った おとなになって 歩きはじめる 平和の歌を くちずさみながら 僕らの名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 若すぎるからと 許されな...

 
1970年に発表されたジローズ(第二次)のヒット曲。作詞は北山修、作曲は杉田二郎。 1971年2月5日にレコードが発売されるとオリコンチャート最高11位、196,000枚を売り上げるヒット曲となった。

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終戦の日を前にして(1:戦争の悲劇 )

2014-08-14 07:08:09 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年この時期になると、太平洋戦争の特集番組が放送される。今なお広島と長崎の原爆の悲劇は終わる事無く、原爆を知らない2世・3世の人たちも、体に原爆の傷を負い苦しめられている。

Cimg5981  戦況が悪化し人間魚雷の製造に関わった91歳の人が重い口を開いた。今自分が生きている間に、どうしても伝えておきたいという、使命感からの行動だった。能登半島の珠洲市で市民を前に、戦争の悲劇を伝える姿がとても印象的だった。

2014年8月13日放送 5:00 - 6:30 NHK総合
NHKニュース おはよう日本 (リポート)

石川県珠洲で杭田忠三さんは戦争体験について語った。内容は人間魚雷「回天」携わった経験だった。杭打さんは戦争当時、広島の呉海軍工廠に見習いとして入り、訓練後に配属されたのは回天を運ぶ潜水艦の設計部門であった。金沢で会社を起こした杭田さんは当時の仲間が亡くなる中で回天について伝えようと考えたという。回天について思い出そうと石川県白川にいる、乗組員の三納寛のもとを訪れ話を伺った。そうして迎えた講演の日、杭田さんは回天について語り出した。

 シベリア抑留には多数の女性がいた事について、本人や姉妹のドキュメンタリーの番組もあった。筆舌を尽くし難いとしか、形容できない。二度と戦争は起こしてはならない、同じ不幸は2度と繰り返してはならないという、強い思いを戦争を知らない世代の人々に伝えておきたいと使命感から、辛い体験を話されていた。

 シベリア抑留者の苦難の歴史を掘り起こす、全国抑留者補償協議会の戦後の歩みと活動の中で、斎藤六郎会長(山形県出身 故人)の果たした役割の大きさを仲間たちが語っていた[参加者の高齢化により、協議会の役割と意義について一定の成果があったとして、平成23年に解散した。  

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