「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

護衛艦「いせ」による戦艦伊勢の洋上慰霊式~⑤戦艦伊勢の洋上慰霊式~

2014年01月20日 | 護衛艦いせ
「…5回に渡ってお届けします」と言ったのですが、


あの事故に言及したことで、2回増えてしまいました(笑)


結局、全7回でお送りいたしますので、もうしばらくお付き合いくださいませね。





…5回目にして、ようやく本題の洋上慰霊式をお届けいたします。


今回、護衛艦いせが、あの軍艦伊勢の洋上慰霊式を行う…


これがどれほど大きな意義のあることか、ということです。


ご存じの方も多い事と思いますが、


現・海上自衛隊が保有する最新鋭の大型護衛艦2DDHひゅうが型には、


ひゅうが、いせの2隻があります。


このひゅうが、いせ、の名は帝国海軍ファンには語るまでもないことですが、


あの軍艦日向、伊勢の名を受け継いでいるという点で、


海軍&海自ファンにとっては、なんとも思い入れ深まる護衛艦と言えると思います。


以前、いせがフィリピンのレイテ沖に派遣された時に、


航空戦艦伊勢についてふれましたが、


伊勢は、大東亜戦争において、その主砲を発射した最後の帝国海軍の軍艦でもあり、


三ツ子島海岸にて壮烈な最後を遂げる最後の最後まで、勇壮に戦った名誉ある軍艦です。


その伊勢の洋上慰霊式が、護衛艦いせにおいて行われるというのは、


非常に大きな意義のあることです。


「洋上慰霊式」について、


私が初めてその事を知ったのは、昨年7月の護衛艦はるゆきのレセプションパーティの席でした。


たまたまお隣になった、はるゆきの方から様々なお話しを伺った中で、


私が靖国神社参拝の件や、英霊方への感謝や敬意ということについてお話していた時、


その方が仰いました


「実は、あまり知られていないことですが、海上自衛隊では、戦争中に艦艇が撃沈された場所を航海で通る時、

 艦上で洋上慰霊式を行うんですよ。もちろん、みんな正装して弔銃も発砲します」


と。


この話を聞いた時、なんといいますか、


感謝と感動が入り混じった驚きでいっぱいでした。


海上自衛隊は、ご周知の通り伝統墨守と揶揄されるほど、海軍の伝統を守り続けていますが、


国家元首が靖国神社に参拝するだけで、非難されるようなこの国において(非難するのはマスコミとサヨクだけですが)


彼らは人知れず、英霊方に対して慰霊式を取り行ってくれていたのだという事に、


言葉にできない思いがこみ上げてきたのです。


戦前の全てを否定する事からスタートした戦後、


自らも否定や非難の対象になりながら、それでも、慰霊の儀を取り行うという事が続けれられてきた事に…。


もちろん、12月にフィリピンレイテ沖の時も、


いせでは、洋上慰霊式が行なわれています。


伊勢にとって、浅からぬ縁のある場所ですので、行われないはずはありません。


この時は、陸上自衛隊もいらっしゃいましたが、


おそらく、はじめて目にするであろう、海上自衛隊の洋上慰霊式を


どのような思いで参列していらしたのかな、などど思っておりました。


それにしても、できることなら、一度でいいので洋上慰霊式に参列してみたいと思っていましたが、


まさか、こんなに早くその機会が巡ってこようとは思いもしませんでした。






この日は思ったよりも天気がよく、甲板上でもさほど寒くありませんでした。


なぜか、タイミング良く(ずうずうしく?)最前列に立たせて頂くという栄誉を授かりました。





お隣にお立ちの、識別帽をかぶられたご老人は、


慰霊式の間、目に涙をいっぱいためていらしたのを、懸命にこらえておいででした…。


おそらくは、伊勢にゆかりのある元帝国海軍人でいらっしゃったのでしょう。


喇叭が鳴り、海に、お供物やお花を捧げられ、弔銃が鳴り響くまでの間、


この海の底に、艦長以下190名が伊勢と共に眠っておいでなのなのだと思うと、


言葉に表しようのない感情と涙が溢れました。


献花をされる参列者の中には、御歳90歳になられる、


伊勢の一番砲台の砲手だった方もいらしたようです。


一体どのような想いで献花をされたのでしょうか…


御心中、察するに余りあります。






このような貴重な場にいることが許された事に、


感謝でいっぱいです。


現在の日本において、


戦前の日本の文化を最も色濃く受け継ぐ組織が、海上自衛隊ではなかろうかと、


私は思っています。


それには、批判もあるでしょうし、全てが素晴らしいという気もありません。


ですが、


その多くは、現在の日本において残念ながら失われてしまった、


美しい伝統であるように、私は感じるのです。


私にとって、海上自衛隊は、


失われた戦前の日本と現在の日本とをつなぐ、細い一本の糸のような存在なのです…。


そのことを確信できた機会でもあったように思います。


護衛艦いせの皆様、


大変貴重な機会を賜り、本当にありがとうございました。