「海賊と呼ばれた男」に続き、
百田直樹のデビュー作にして、超ロングベストセラーの名著、
「永遠の0ゼロ」を読みました。
まず、
架空の話とドキュメンタリーの混ぜ方が絶妙!!
なので、読んでいて自然にぐいぐい引き込まれていきます。
もうひとつ、この作品が絶妙なのは、
思想的なバランスのよさです。
左にも右にも偏りすぎていないので、安心して読めました。
太平洋戦争当時の書物を読むときに注意が必要なことがあります。
どちらか(主に左側)の思想に誘導しようとする意図が明確なことが多いので、
その辺を理解して読まないといけないことです。
私は、TVをみてもなんらかの記事や本を読む時でも、
それらは、どんなバイアスがかかっているかを注意深く読み取るクセがあるのですが、
この「永遠の0」は、(「海賊~」もそうでしたが)
バイアスが見受けれないという点で秀逸だと思いました。
極力、史実をありのままに伝えようという気持ちが、
読んでいて伝わってきます。
ですので、戦前の日本を美化していなければ貶めてもいません。
そういう点で安心して読めるので、
幅広く様々な人に読まれ、
8年もたってなお、ベストセラーであり続けることができるのだろうと感じました。
この本が、
ジャーナリストとしての腕がいかんなく発揮されていると感じる、
大きなポイントは、
この話は、主人公の祖父:宮部について、
宮部と関わりがあった人々に、
インタビュー形式で宮部のひととなりや、
その時の出来事について少しづつ展開していくことろです。
最初、宮部という人物について、大きなマイナスイメージをもたせてから、
少しづつ少しづつ、
彼の真実に迫っていく様子が、本当に見事でした。
ページの半分近くまで読み進めると、
もはや、最後まで一気に読み終わらずにはいられなくなってしまいます。
もちろん、すばらしいのは構成だけではありません。
内容もまた、素晴らしいのひと言につきます。
宮部という人物が少しづつわかっているのに連動して、
この戦争がどのような戦いだったか、
ある種の人には理解不可能な「特攻隊」とはなんだったのか、
「特攻隊」は何を思って自らの命を捧げたのか、
その全容がはっきりと見えてきます。
同時に、
切なさや悲しさ、悔しさ、怒りなどの様々な感情が込上げてきます。
この時代は、
ほとんど全てのことにおいて「否」という権利が認められていないということは、
周知のことと思いますが、
「死ね」と言われて拒否する権利がない、ということがどういうことか、
現代に生きる私たちには、想像しようとしてもできるものではありません。
ですが、
この時代の兵士たちは、
徴兵されたのなら、戦わねばならないのなら、死なねばならないのなら、
せめて無駄死にではない死に方をしたい、と思っていたのです。
ですが、ここに登場する「宮部」という、秀逸した天才パイロットは、
敢然として、「否」といい、
「死にたくない、生き続けたい」と口にします。
彼は、実在の人物ではないのですが、
実在でない宮部だからこそ、当時の兵士たちが、本当は思っていても言えなかったこと、
あるいは、疑問にすら思っていなかったことで彼らの奥底に潜む何か、を、
代弁することができたように感じました。
こう敢然と口にすることが、許されなかった時代なのです。
ですが、執着とすら言える生き抜くことへの思いの強さが、
彼を天才パイロットにしたのでしょう。
簡単に命を捨てること、無謀、猪突猛進は勇気とは言わない、
それが、実在した「撃墜王」と呼ばれている名パイロット達をみても
よくわかります。
空戦で生き延びるには、かなりの集中力と勇気と忍耐力と、恐ろしいまでの注意深さを必要とすることは、
戦闘機に詳しくない私でさえも、容易に理解できました。
日本には、米国から恐れられた、極めて優秀なパイロットが多数いたのです。
米軍のエースたちが、一度は誰もが撃墜された、
というような猛者が日本にはいた、という事です。
ここで、おや?と思いませんか?
「一度は撃墜された」というフレーズは、日本人なら、奇妙に聞こえると思います。
撃墜=死が一般的なイメージだからです。
そう、米軍と日本軍の最たる違いはまさにここです。
日本の敗因は枚挙にいとまがないくらい、様々あるのですが、この点は非常に大きいと思います。
作中でも触れてあったのですが、
すなわち、兵士を人間として扱っているか、消耗品として扱っているか、という違いです。
日本の場合、資源の確保が非常に困難であることが、恐らくそういう土壌をつくったのでしょう。
武器を作るにも、戦闘機や戦艦を作るにも、莫大な資源と高度な技術が必要、なのにない。
何より、戦闘機や戦艦を動かす燃料である石油がないので、
そこを人的資源…つまり人間で補充しようという考えに至ったのだろうという事は、
わからなくもないのですが、その決定を下した人間、つまり軍上層部は、
自らは安全な場所にて、戦死を玉砕と賛美しながら兵士に死を厳命したわけです。
しかも、ただ戦って死ね、という方がまだしもましであるような、
残酷な人間兵器を考案し、使用し、多くの兵士を無駄死にさせたのです。
余談ですが、私個人は最大の戦犯は陸軍の牟田口だと思っています。
ここまで無能な輩が、なぜ中将の地位にいたのか・・・。
官僚的な組織になると、公務員だろうが民間企業だろうが、
能力があって、本気で国や会社の事を考えている人間は出世できないということは、
世の常なのだろうな、とつくづく思います。
早い話が、日本兵の最大の敵はアメリカと言うよりも、
無能な上官だったと言えるでしょう。
当人達に、当時はそんな認識はなかったと思いますが、
会った事もない敵兵よりも、
無能な上官の方が、よほど憎たらしかったのではないでしょうか。
自らは安全なところにいるくせに、
「生きて帰ってくるな」と命令されるのですから。
対してアメリカは、兵士を人間として扱っていました。
できるだけ、兵士を生かそうとする、様々な安全策がとられています。
「生きて虜囚の辱めを受けるな」という言葉にように、
日本軍では、捕虜になることを禁じていました。
ですが、この事に関して、永遠の0でも書かれていない、とある事実もあります。
実際、全てではないかもしれませんが、
米軍の捕虜になってしまえば、非人道的な扱いが待っていました。
そもそも、この「生きて虜囚の辱めを受けるな」という言葉ができたのは、
日清戦争の時に、清軍の日本人捕虜に対する残虐非道な扱いを見たことにはじまります。
ですが、この言葉を表面だけ見ると、
ただの非人道的な訓令にしか思えません。
ましてや特攻などのような作戦を遂行するのであれば…。
ですが、もともとは、人間としての最後の尊厳を守るために、
下されていたものなのです。
実際、近年でさえも、「アブグレイブ刑務所」のような事があることを考えれば、
あながち、それは間違ってもいないように思います。
思うに、開戦当初~日本がまだ優位だった頃は、
軍記も徹底しており、秩序ある組織として日本軍も機能していたけども、
戦況が不利になってくるにしたがい、もはや軍が機能しなくなったのだろうと推察します。
それもこれも、戦争でもっとも重要な補給を軽んじてしまったことが大きな理由で、
これがないと、ハードウェアも人間も、軍そのものが機能しないということに、
軍の陸軍上層部が気付いていなかったからだと思います。
その証拠に、陸軍は戦死者というよりも、餓死者が多かったのですから。
そのあたり、燃料がないと軍艦を動かすことができない海軍は、
不利さをよく分かっていたのではないでしょうか。
とはいえ、陸軍も海軍ともに、
いたずらに兵士の命を軽んじる作戦行動をとってしまうのですが。
そんな中で、なんとしてでも、
生きて帰ってもう一度、家族に会いたいと思いながら、
亡くなった兵士達の思いは如何ばかりかと、察するに余りあります。
特に、婚約者や、妻や、生まれる前あるいは生まれたばかりの我が子がいる方たちは…。
そんな思いを、口にすることすら許されなかった時代に、
彼らの真の思い、本心を1つにして出来上がった人格が宮部だと感じました。
本当は喜んで戦地に行ったわけでもなければ、死んだわけでもない、
だけど、命令に背くことも許されない彼らは、
戦う理由と死ぬ理由を、
愛する人を守るため、だと思うしかなかったではないでしょうか。
そして当然、
見送る側、送り出す側も、
悲しむことも引き止めることもできないこの時代の女性達は、
きっと、
愛する人が、必ず帰ってくることを信じて、
その事を信じて必死で生き、
子供を守り育てたのだと思います。
その思いは、きっと、どんな姿でもいいから、
生きてさえいてくれればいいから、という思いにちがいないのではないでしょうか。
この時代の女性は、
男性に養ってもらう、という発想は恐らくなく、
必死で支えたに違いないと思うのです。
必ず生きて帰ってくる、という約束は、
悲しいことに多くは果たされいません。
そして、よしんば生きて帰ってきても、
手足を失ったり、失明したりと戦傷を受けることもあるでしょう。
こうなれば、生き残った側も、支える側も、
大きな苦労が待っています。
それでも、私は、見送る立場であるなら、
別れ際にこういって欲しい…。
生きてさえいてくれればいい、と本当に思います。
そうでないなら、そもそも一緒になるべきではない。
その人の腕がなくなっても、
私の腕があるし、
その人の足がなくなっても、
私の足がある。
それが、どれほど困難な生活であっても、その方がいい。
その人自身が消えてしまって、二度と会えなくなるよりは…。
きっと、この時代の多くの妻たちは、
そういう思いで彼らの帰りを待っていたのではないでしょうか?
ですが、それさえも許されなかったのが、
当時の日本なのです。
その事が、痛いほどに伝わってきたのが、
この本でした…。
百田直樹のデビュー作にして、超ロングベストセラーの名著、
「永遠の0ゼロ」を読みました。
まず、
架空の話とドキュメンタリーの混ぜ方が絶妙!!
なので、読んでいて自然にぐいぐい引き込まれていきます。
もうひとつ、この作品が絶妙なのは、
思想的なバランスのよさです。
左にも右にも偏りすぎていないので、安心して読めました。
太平洋戦争当時の書物を読むときに注意が必要なことがあります。
どちらか(主に左側)の思想に誘導しようとする意図が明確なことが多いので、
その辺を理解して読まないといけないことです。
私は、TVをみてもなんらかの記事や本を読む時でも、
それらは、どんなバイアスがかかっているかを注意深く読み取るクセがあるのですが、
この「永遠の0」は、(「海賊~」もそうでしたが)
バイアスが見受けれないという点で秀逸だと思いました。
極力、史実をありのままに伝えようという気持ちが、
読んでいて伝わってきます。
ですので、戦前の日本を美化していなければ貶めてもいません。
そういう点で安心して読めるので、
幅広く様々な人に読まれ、
8年もたってなお、ベストセラーであり続けることができるのだろうと感じました。
この本が、
ジャーナリストとしての腕がいかんなく発揮されていると感じる、
大きなポイントは、
この話は、主人公の祖父:宮部について、
宮部と関わりがあった人々に、
インタビュー形式で宮部のひととなりや、
その時の出来事について少しづつ展開していくことろです。
最初、宮部という人物について、大きなマイナスイメージをもたせてから、
少しづつ少しづつ、
彼の真実に迫っていく様子が、本当に見事でした。
ページの半分近くまで読み進めると、
もはや、最後まで一気に読み終わらずにはいられなくなってしまいます。
もちろん、すばらしいのは構成だけではありません。
内容もまた、素晴らしいのひと言につきます。
宮部という人物が少しづつわかっているのに連動して、
この戦争がどのような戦いだったか、
ある種の人には理解不可能な「特攻隊」とはなんだったのか、
「特攻隊」は何を思って自らの命を捧げたのか、
その全容がはっきりと見えてきます。
同時に、
切なさや悲しさ、悔しさ、怒りなどの様々な感情が込上げてきます。
この時代は、
ほとんど全てのことにおいて「否」という権利が認められていないということは、
周知のことと思いますが、
「死ね」と言われて拒否する権利がない、ということがどういうことか、
現代に生きる私たちには、想像しようとしてもできるものではありません。
ですが、
この時代の兵士たちは、
徴兵されたのなら、戦わねばならないのなら、死なねばならないのなら、
せめて無駄死にではない死に方をしたい、と思っていたのです。
ですが、ここに登場する「宮部」という、秀逸した天才パイロットは、
敢然として、「否」といい、
「死にたくない、生き続けたい」と口にします。
彼は、実在の人物ではないのですが、
実在でない宮部だからこそ、当時の兵士たちが、本当は思っていても言えなかったこと、
あるいは、疑問にすら思っていなかったことで彼らの奥底に潜む何か、を、
代弁することができたように感じました。
こう敢然と口にすることが、許されなかった時代なのです。
ですが、執着とすら言える生き抜くことへの思いの強さが、
彼を天才パイロットにしたのでしょう。
簡単に命を捨てること、無謀、猪突猛進は勇気とは言わない、
それが、実在した「撃墜王」と呼ばれている名パイロット達をみても
よくわかります。
空戦で生き延びるには、かなりの集中力と勇気と忍耐力と、恐ろしいまでの注意深さを必要とすることは、
戦闘機に詳しくない私でさえも、容易に理解できました。
日本には、米国から恐れられた、極めて優秀なパイロットが多数いたのです。
米軍のエースたちが、一度は誰もが撃墜された、
というような猛者が日本にはいた、という事です。
ここで、おや?と思いませんか?
「一度は撃墜された」というフレーズは、日本人なら、奇妙に聞こえると思います。
撃墜=死が一般的なイメージだからです。
そう、米軍と日本軍の最たる違いはまさにここです。
日本の敗因は枚挙にいとまがないくらい、様々あるのですが、この点は非常に大きいと思います。
作中でも触れてあったのですが、
すなわち、兵士を人間として扱っているか、消耗品として扱っているか、という違いです。
日本の場合、資源の確保が非常に困難であることが、恐らくそういう土壌をつくったのでしょう。
武器を作るにも、戦闘機や戦艦を作るにも、莫大な資源と高度な技術が必要、なのにない。
何より、戦闘機や戦艦を動かす燃料である石油がないので、
そこを人的資源…つまり人間で補充しようという考えに至ったのだろうという事は、
わからなくもないのですが、その決定を下した人間、つまり軍上層部は、
自らは安全な場所にて、戦死を玉砕と賛美しながら兵士に死を厳命したわけです。
しかも、ただ戦って死ね、という方がまだしもましであるような、
残酷な人間兵器を考案し、使用し、多くの兵士を無駄死にさせたのです。
余談ですが、私個人は最大の戦犯は陸軍の牟田口だと思っています。
ここまで無能な輩が、なぜ中将の地位にいたのか・・・。
官僚的な組織になると、公務員だろうが民間企業だろうが、
能力があって、本気で国や会社の事を考えている人間は出世できないということは、
世の常なのだろうな、とつくづく思います。
早い話が、日本兵の最大の敵はアメリカと言うよりも、
無能な上官だったと言えるでしょう。
当人達に、当時はそんな認識はなかったと思いますが、
会った事もない敵兵よりも、
無能な上官の方が、よほど憎たらしかったのではないでしょうか。
自らは安全なところにいるくせに、
「生きて帰ってくるな」と命令されるのですから。
対してアメリカは、兵士を人間として扱っていました。
できるだけ、兵士を生かそうとする、様々な安全策がとられています。
「生きて虜囚の辱めを受けるな」という言葉にように、
日本軍では、捕虜になることを禁じていました。
ですが、この事に関して、永遠の0でも書かれていない、とある事実もあります。
実際、全てではないかもしれませんが、
米軍の捕虜になってしまえば、非人道的な扱いが待っていました。
そもそも、この「生きて虜囚の辱めを受けるな」という言葉ができたのは、
日清戦争の時に、清軍の日本人捕虜に対する残虐非道な扱いを見たことにはじまります。
ですが、この言葉を表面だけ見ると、
ただの非人道的な訓令にしか思えません。
ましてや特攻などのような作戦を遂行するのであれば…。
ですが、もともとは、人間としての最後の尊厳を守るために、
下されていたものなのです。
実際、近年でさえも、「アブグレイブ刑務所」のような事があることを考えれば、
あながち、それは間違ってもいないように思います。
思うに、開戦当初~日本がまだ優位だった頃は、
軍記も徹底しており、秩序ある組織として日本軍も機能していたけども、
戦況が不利になってくるにしたがい、もはや軍が機能しなくなったのだろうと推察します。
それもこれも、戦争でもっとも重要な補給を軽んじてしまったことが大きな理由で、
これがないと、ハードウェアも人間も、軍そのものが機能しないということに、
軍の陸軍上層部が気付いていなかったからだと思います。
その証拠に、陸軍は戦死者というよりも、餓死者が多かったのですから。
そのあたり、燃料がないと軍艦を動かすことができない海軍は、
不利さをよく分かっていたのではないでしょうか。
とはいえ、陸軍も海軍ともに、
いたずらに兵士の命を軽んじる作戦行動をとってしまうのですが。
そんな中で、なんとしてでも、
生きて帰ってもう一度、家族に会いたいと思いながら、
亡くなった兵士達の思いは如何ばかりかと、察するに余りあります。
特に、婚約者や、妻や、生まれる前あるいは生まれたばかりの我が子がいる方たちは…。
そんな思いを、口にすることすら許されなかった時代に、
彼らの真の思い、本心を1つにして出来上がった人格が宮部だと感じました。
本当は喜んで戦地に行ったわけでもなければ、死んだわけでもない、
だけど、命令に背くことも許されない彼らは、
戦う理由と死ぬ理由を、
愛する人を守るため、だと思うしかなかったではないでしょうか。
そして当然、
見送る側、送り出す側も、
悲しむことも引き止めることもできないこの時代の女性達は、
きっと、
愛する人が、必ず帰ってくることを信じて、
その事を信じて必死で生き、
子供を守り育てたのだと思います。
その思いは、きっと、どんな姿でもいいから、
生きてさえいてくれればいいから、という思いにちがいないのではないでしょうか。
この時代の女性は、
男性に養ってもらう、という発想は恐らくなく、
必死で支えたに違いないと思うのです。
必ず生きて帰ってくる、という約束は、
悲しいことに多くは果たされいません。
そして、よしんば生きて帰ってきても、
手足を失ったり、失明したりと戦傷を受けることもあるでしょう。
こうなれば、生き残った側も、支える側も、
大きな苦労が待っています。
それでも、私は、見送る立場であるなら、
別れ際にこういって欲しい…。
生きてさえいてくれればいい、と本当に思います。
そうでないなら、そもそも一緒になるべきではない。
その人の腕がなくなっても、
私の腕があるし、
その人の足がなくなっても、
私の足がある。
それが、どれほど困難な生活であっても、その方がいい。
その人自身が消えてしまって、二度と会えなくなるよりは…。
きっと、この時代の多くの妻たちは、
そういう思いで彼らの帰りを待っていたのではないでしょうか?
ですが、それさえも許されなかったのが、
当時の日本なのです。
その事が、痛いほどに伝わってきたのが、
この本でした…。