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南英世の 「くろねこ日記」

支えあう社会


昨年の夏、不整脈の治療のためにアブレーション(焼灼)手術を受けた。そのことはブログにも書いた。
https://blog.goo.ne.jp/minami-h_1951/e/6d634d03f041fe0f01f351b58f195ca0

1回の手術で完治する確率は70~80%と言われた。手術によって幾分症状は和らいだものの完治までには至らず、この夏2回目のアブレーション手術をした。今回も4時間ほどかかる手術だった。



去年、手術のためにかかった費用が約200万円。そのうち私が支払ったのは10万円ほどだった。今回も同じだけの費用がかかったが、私の自己負担分はいろいろ事情があって2倍に膨らんだものの、それでも20万円で済んだ。実費の1割ほどを負担しただけである。残りは[国民健康保険限度額適用認定」制度が適用され、医療保険から支払われる。

日ごろ、国民健康保険料として毎月8万円(年間約80万円)を支払っている。保険とは助け合いであり支え合いであることを改めて実感した。医療費の大半は70歳以降になってからだといわれるが、私の医療費が膨らむのもこれからなのかもしれない。


(資料 厚生労働省)


ところで、1980年代から世界中を「新自由主義」という妖怪が跋扈し始めた。日本も小泉純一郎内閣あたりから本格的な新自由主義の導入が始まった。要するに、競争を促進させ、競争社会で生き残れなかった人たちは「自己責任」の名のもとにばっさり切り捨てられる政策である。その結果、通信業界も、タクシー業界も、航空会社も、金融業界も、保険業界も、農業も、教育も、みんな競争・競争・競争の社会になった。

競争政策の結果、良くなった面ももちろんある。しかし、非正規雇用の増加、かんぽ生命の悪質商法、市中心部のシャッター通りの増加などに見られるように、負の側面も見逃すことができない。

そんな中で、比較的まだましなのが医療関係である。国民皆保険が実現したのは1961年。日本は3割の自己負担さえ支払えば、誰でも安心して医療機関を受診することができる制度を作り上げた。しかも、医療費が高額な場合、今回私が利用させてもらった[国民健康保険限度額適用認定」制度もある。

しかし、いま、日本の医療業界にアメリカ流の民営化を持ち込む動きがある。アメリカでは医療も保険も市場原理の下で供給され、「金儲けの手段」となっている。公的保険制度を作れば民間の保険会社の利益を奪うことになるから、アメリカでは日本のような公的保険制度はない。盲腸で1週間入院しただけで180万円請求される。だから、みんな民間の保険に入る。もちろん保険料は高い。もし、保険料を払えなければ「無保険」とならざるを得ない。

無保険の人は医者にかかるお金がない。したがって、歯が痛ければ自分でペンチで抜くしかない。病気になってもぎりぎりまで我慢するため、結局手遅れになることも少なくない。要するに、金のない人は医療機関を受診することもできない。これがアメリカ流「自己責任」というやつである。

今、日本では、何百万円もする高額治療でも、高額療養費制度があるから、わずかなお金で世界最高水準の医療を受けることができる。しかし、もしこれがアメリカのように命もカネで買う社会になったら・・・

そんな社会になるはずがないと思っている人が少なくないかもしれない。しかし、日本はアメリカの圧力に弱い。公的医療保険の適用範囲を少しずつ狭めていけば、医療が金もうけの手段となる日はあっという間にやってくる。アメリカの保険会社の力をなめてはいけない。

市場原理の適用範囲をどこまで認めるべきか。どこまでカネの力で買うことが認められるべきか。宇沢弘文は、少なくとも教育と医療には市場原理を適用すべきではないと主張している。賛成である。医療までカネで買う社会は健康とは思えない。これまで日本が築いてきた「支えあう社会」を壊すべきではない。
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