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南英世の 「くろねこ日記」

ゆとりを失った学校教育

昔、教わったY教授。元大蔵官僚で、大学では財政学を講じていた。そのY教授いわく「普段は6~7割の力で仕事をして、いざというときに力を発揮すればよい」

40年も前に聞いたこの言葉が、妙に心に残っている。この先生は優秀だったから、普段の6~7割の力でも我々以上の力だったのかもしれない。また、いざというときの「いざ」という意味は「月に300時間の残業をする」ということだったのかもしれない。それにしても「普段は6~7割の力で仕事をして、いざというときに力を発揮すればよい」という言葉は、卓見だと思う。

考えてみれば、いまの社会はそんな悠長な生き方を許してくれそうにないくらいピリピリしている。昨日、大阪府立高校の2校について、普通科をなくして全クラス文理学科にするというプレス発表が教育委員会からあった。トップ・テンにさらに格差をつけるつもりらしい。そして、最終的には大阪における「かつての日比谷高校」を作るつもりであろう。教育界における競争の嵐はますます激しさを増すばかりである。

ただし、日比谷高校OBの名誉のために言っておかなければならないが、当時の日比谷は、決して進学一本やりの高校ではなかったらしい。たしかに外から見れば、2人に1人が東大に入るので、クラスの真ん中くらいにいれば東大「当確」ということになる。しかし、日比谷の中ではそうした外向けの顔とは別の独特の文化をもっていたらしい。

「日比谷では真面目に受験勉強をすることが禁忌だった。定期試験の前に級友からのマージャンの誘いを断って『今日は早く帰るよ』と言うためには捨て身の勇気が必要だった。『勉強したせいで成績がいい生徒』は日比谷高校的美意識からすると『並の生徒』にすぎなかったからである。努力のせいで得たポジションで同級生からのリスペクトを得ることはできない。試験直前まで体育会系のクラブで夜遅くまで汗を流したり、文化祭の準備で徹夜したり、麻雀やビリヤードに自堕落に明けくれたり、フランス語で詩を読んだりしていて、それでも抜群の成績であるような生徒だけが『日比谷らしい』生徒とみなされたのである。いやみな学校である。」(『街場の大学論』内田樹 角川文庫)

 もっとも日比谷に限らず、以前私が勤務していた大阪の進学校でもそうした雰囲気があったから、当時の進学校には大なり小なりそうした雰囲気があったのかもしれない。 

むかし、教員免許を取る時、英語 school(スクール)の語源は古代ギリシャ語での schole(スコレー、暇)だと習った。しかし、今の高校生にそういうゆとりはない。生徒は授業が終わってからクラブ活動をやり、それから塾に通って、家に帰ってくれば夜11時。それが毎日続く。

教える教員も同じである。大学入試で結果を求められるあまり、有名大学に何人合格させたかが「目的化」してしまい、それに合わせた授業を強いられる。悲しいことに生徒もそうした授業を求める。それって、どこかおかしくない?

歴史は常に振り子のごとく揺れ動く。戦後の行き過ぎた平等教育の反動が今、教育界を襲う。あるべき高校教育の姿とは? と考えるこのごろである。
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