南英世の 「くろねこ日記」

おかしなこと

おかしなことも、それが長年続けば普通となる。今日はそんなお話をいくつか書いてみたい。

① 党議拘束

 国会議員は法案の採決にあたっては所属する政党の決定に従うのが「党議拘束」である。違反すると次の選挙で公認を受けられなかったり、刺客を放たれたり、場合によっては党から除名処分を受けることもある。しかし、当たり前だと思っているこの慣行も、先進国の中でここまで締め付けがきついのは日本くらいである。党議拘束がなぜいけないか。

第一に、国会議員の自由な発言が封じられ、国会における活発な議論を困難にする。いくらその政党に属しているとはいっても、すべての案件で自分の意見が党と一致するということはあり得ない。

第二に、国会議員が採決における単なる「駒」扱いされる。要するに数合わせの一人でしかなく、知名度があって当選しそうな人なら「誰でもいい」ということになる。だから、政治のことも、憲法の「ケ」の字も知らなくても国会議員になれる。実際、次の選挙で当選できるかどうかが最大の関心事である国会議員は少なくない。だからこそ「党の顔」が重視されるのである。

第三に、党の決定に従っていればいいのだから、自分は政策について勉強をする必要がない。そのことは党トップの意向が党の方向性を決めることになり、「政治の暴走」「独裁」につながる。とりわけ、小選挙区制のもとでは、公認権を党が持っていることから、この傾向は特に強くなる。これでは中国やロシアと大差ない。

そのほかにも、選挙で「あんな人に政治家になってほしい」と「人で選ぶ」ということができなくなるという弊害もある。党議拘束は百害あって一利なし。即刻廃止すべきである。

② 三権分立なんて嘘のウソ

 小学校から大学まで、日本の権力は3つに分割され、互いに「抑制と均衡」を保っていると教えられる。そして、テストでは国会、内閣、裁判所が互いにどのようなチェック機能を持っているかが問われる。

しかし、これなども茶番である。法律の原案の8割は内閣提出法案であり(すなわち行政官たる官僚が作っている)、国会議員は法律をほとんど作らない。安倍元首相がかつて「私は立法府の長でもあります」と国会で発言したが、それは本音だったに違いない。マスコミも「政府与党」とひとくくりに表現してはばからない。行政権と立法権がほとんど一体化し、仮に行政が暴走しても立法権を持つ国会がそれを阻止できない構造になっている。

一方、行政権は司法権をも支配下に置いている。なぜなら、最高裁長官を内閣が指名することになっているからである(憲法第6条)。そのため、裁判所は政府寄りの判決しか出さない。もし下級裁判所が国策に反するような判決を書けば、当該裁判官は人事面で報復される。日本には現在約3000人の裁判官がいるが(簡易裁判所を除く)、彼らの人事を一手に握っているのが最高裁の事務局である。特に、原発や自衛隊に関して反政府寄りの判決を出すと次のような制裁がなされるといわれる。

 ・今後、裁判長には昇進させない

 ・降格人事として家裁送りにし、生涯を家裁巡りで終えさせる。

 ・給料を上げない。普通に出世した人とくらべて生涯賃金で1億円以上の損をする。

だから、これまで反政府寄りの判決を書くのは定年目前の裁判官が多かった。「その良心に従い独立してその職権を行う」(憲法76条第3項)という、せめてもの最後の抵抗である。

③ 教科書検定

これも家永訴訟で争われたものの、検定制度そのものは「合憲」とされた。その結果、小・中・高で使う教科書はいまだに国の学習指導要領に基づいて作られ、検定で合格しないと教科書として使えないことになっている。

では、ほかの国の制度はどうなっているのか? たとえば、ある研究者の論文に次のような記述があった。

イギリス、フランスでは検定制度はない。教科書を使用する義務もない。手元にアメリカの高校の教科書があるが、アメリカでも検定制度はない。民間の教科書会社がおかしな教科書を作っても、売れなければ生き残れない。だから、検定制度は不要だという論理である。

一方、隣の韓国では「国定教科書」が使われている。手元に韓国の中学校及び高校の教科書があるが、国が教科書を使って反日政策を煽っている記述がある。そんなこともあるためか日韓関係はなかなかうまくいかない。

教育は最大の思想統制手段である。北朝鮮・中国・ロシアを笑ってはいられない現実が日本にもある。(ちなみに今回書いたようなことは授業では一言もしゃべっていない。念のため申し添える。)

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