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南英世の 「くろねこ日記」

真理は多数決では決まらない


 学問には流行がある。1980年代のテーマは「国際政治」だった。ベルリンの壁が崩壊し、社会主義が崩壊していく様をつぶさに観察でき、歴史の証人となれたことに感激したものだ。続いて1990年代を支配したテーマは「環境問題」だった。1992年に地球サミットが開かれ、地球温暖化やオゾン層破壊が大きく取りあげられた。2000年になってからは、小さな政府への回帰・規制緩和がテーマになった。

 われわれはその時代時代の「通説」を教科書に書き、授業で紹介し、そして、さもそれが絶対に正しいような顔をして教えてきた。それぞれの専門家の出した結論を勝手に書き換えるわけにはいかないからである。

 しかし、ふと立ち止まって考える。学問の真理は多数決では決まらない。みんなが天動説を唱える中で、本当は地動説が正しいということだってあり得る。地球温暖化を論じている人の中で、本当の専門家はどれくらいいるのだろうか。ほとんどの人が自分で検証する力を持たず、一部の人の発言を信じそれが雪だるま式にふくらんでいるだけなのではないか。

 確かに、地球の平均気温は少しばかり高くなっている。また二酸化炭素量も増えている。しかし、二酸化炭素量が増えたために平均気温が上がったと断定できるのか。地球が別の要因で暖かくなったから、結果として二酸化炭素量が増えたと言う見方もできるのではないか。

 経済でよく引き合いに出されるのが、国民所得とビールの消費量の因果関係である。国民所得とビールの消費量の間にははっきりした相関関係がある。その二つの動きを見て、ある人が「ビールの消費量が増えたから国民所得が伸びた」と考えたとする。そこから導き出される結論は、「国民所得を伸ばすためには、国民がみんな”飲んべー”になればよい」ということになる。もちろんそんな馬鹿なことはない。相関関係が必ずしも因果関係をあらわさないことは統計学のイロハである。

 それと同じことが地球温暖化問題についても言えるのではないか。地球の平均気温を決める要因には様々なものがある。丸山茂徳東京工業大学教授は次の5つをあげる。
 1.太陽の活動度(11年の周期、55年の大周期がある)。
 2.地球磁場
 3.火山の噴火(煤煙で太陽が遮られる)。
 4.ミランコビッチの周期(太陽と地球の距離は10万年周期で近くなったり遠くなったりする)
 5.温室効果ガスの量(二酸化炭素だけではない)。

 今の環境問題の議論は、地球45億年の歴史の中で、直近のわずか300年ほどを対象に議論しているにすぎない。これは言ってみれば、30センチの物差しの一番右端の1ミリメートルだけを取り出して、あーでもない、こーでもないと議論しているに等しい。地球の歴史を見れば分かるように、地球の平均気温が3度や5度変化し、海水準が100メートルくらい変化することは当然にあった。

 かつてのソ連が崩壊し(1991年)、マルクス経済学では食えなくなった人たちの中には環境問題の「専門家」に転身した人たちも少なくないと聞く。レッドからグリーンへの転身である。社会主義が崩壊した時期と環境問題への関心が高まった時期が重なっているのは、たまたまなのか、それとも何か関係があるのか。
 今教えていることがウソかもしれない。そう考えると、人に教えることは大変罪深いことだと恐ろしくなる。
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