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南英世の 「くろねこ日記」

ジレンマ


 先日、「日本の農業」というテーマで1時間授業を行った。第二次世界大戦後のコメ増産政策から、1970年の減反政策への転換、さらには1993年のウルグアイラウンドにおけるコメの一部自由化という一連の流れを説明し、現在の日本の食料自給率が39%しかないことなどを紹介した。

 今年は授業で、入試で出ることをもれなく説明するよう心がけている。入試では、法律の名前や農家の分類の定義、食料自給率の定義などが盛んに出題される。しかし、一方でそうした受験知識を教えながら、心の中では
「くだらない、実にくだらない。本当はもっと大切なことがあるのに・・・」と思う。

 日本の農業問題で一番大切なことは、日本の食料をどう確保するのかという問題である。「今の日本でなぜ農業をやろうとする人が少ないのか。将来の日本の農業はどうなるのか。毎年8000万人ずつ世界の人口が増えるなかで、人類は果たしてその食料を確保できるのか。日本は39%しか自給できないということは、ひとたび戦争にでもなれば、5000万人分の食料しかなく、著しい食糧難になることを意味する。そういう現実をどう考えるのか?」。授業ではそういうことを考えることが一番大切なことである。

 もちろん、農学部の入試では2次試験でそうした問題について小論文形式で問うてくることもある。しかし、コンピュータで採点するセンター試験では、そうした出題は絶対にできない。コンピュータで採点しやすいかどうかが作問する際の最大の基準だからだ。その結果、「本筋から離れた」「採点しやすい」「どうでもいい些末な内容」ばかりが出題されることになる。そんな内容を勉強させられる高校生に、学問のおもしろさなんか伝わるわけがない。

 一番大切なことと、受験で出題される問題との間には大きなギャップがある。学問をする本当のおもしろさと受験に必要な知識のどちらを重視するか。進学校で授業を行うときはいつもこうしたジレンマを感じる。一般に、よくできる生徒ほど学問の本質的部分を教えてほしがる。私の勤務する学校でも「教科書に書いてあることは自分で勉強をするから、もっとおもしろい話をしてほしい」という生徒がわずかながらいる。しかし、大半の生徒はそうではない。入試で出るところ「だけ」を教えてほしがる。中には入試に関係ない話をすると、「必要ないことで脳みそがいっぱいになる」とでもいわんばかりの顔をするものもいる。悲しいことだ。

 しかし、生徒のニーズを全く無視することもできない。1年に2回行われる「授業アンケート」でどんなことを書かれるかもしれず、それが原因で管理職の査定が悪くなり給料が下がるかもしれないからだ。別に生徒にこびるわけではないが、これも受験校の宿命かと自らを慰める。

「大学よ、もっと本格的な問題を作ってくれ!」と時々叫びたくなる。
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