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南英世の 「くろねこ日記」

おしん

NHKの朝ドラ「おしん」(全297話)が放映されたのは1983年4月4日から1984年3月31日である。1983年というと、私が金沢から大阪に出てきて初めて府立高校教諭として勤務し始めた年であり、思い出深い年でもある。

あの頃は全くゆとりがなかった。一部の荒れた生徒に対してどう接していいかわからず、授業に行くのに苦痛さえ感じる毎日であった。だから、「おしん」を見るどころではなかった。

作者の橋田壽賀子さんといえば、与謝野晶子と並ぶ泉陽高校卒の女傑である。二校目の勤務校である三国丘高校のすぐ近くに泉陽高校があったことから、この二人には何となく親近感を感じていた。

今年その橋田さんが亡くなった。それでこのドラマを改めて見てみたいと思った。なにしろ平均視聴率52.6%、最高視聴率62.9%というドラマ史上最高の記録を出した作品である。とはいっても297話全部を見るのは時間がかかるので、総集編のDVDで間に合わせることに。

ドラマは貧農に生まれ7歳にして丁稚奉公に出されたおしんの一生を描く。おしんが生まれたのは昭和天皇と同じ明治34年(1901年)とされる。これはこのドラマを昭和天皇に見てもらいたかったからだといわれる。両親が口減らしのためおしんを丁稚奉公に出す「最上川の川下りのシーン」は、貧困による窮乏と悲惨さを象徴するものであり、何度見てもジーンとくる。

 

このドラマを見ながら、知らないうちに自分の人生を重ねてしまう。私が生まれたのは1951年であるが、当時は日本全体が貧しかった。ドラマの中に出てくる「大根飯」は私の実体験でもある。子どもながらに大根飯が嫌いで嫌いで仕方なかったのを思い出す。

加山雄三がかつて莫大な借金を抱えた時「卵かけごはん」を食べて頑張った時期があるというような話をしていた。これを聞いたとき思った。私が小さいとき卵かけごはんは大御馳走だった。家に鶏を飼っていたから卵は買わなくても済んだが、それでも卵は貴重で、「卵を食べたい」とは容易に言い出せなかった。

 

貧困をいかに追放するか。それは昔も今も変わらぬ経済学の最大の課題といってよい。1980年代から始まった新自由主義の台頭により、近年、日本でも貧富の格差が拡大している。

おしんの「しん」は、辛抱の辛、信念の信、真実の真、芯棒の芯、新しい新、神様の神。ドラマの中で小作農運動の活動家である浩太が登場するが、橋田が浩太に込めたメッセージとは何であったのだろうか。

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