mimosa days

ピアノのこと その他・・・気の向くまま綴ります

最高のハッピーエンド

2012年03月25日 | 大切な思い出の写真
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
そして、
○○は幸せに暮らしましたとさ。
めでたし めでたし。』

と お伽噺の最後は結ばれますが

現実の人生は決して そんなに単純なストーリーではないですね!

一瞬のピークの後にドツボにハマってみたり・・
人によって差はあれど
生きている限り、悲喜こもごもの波乱万丈ストーリーが続くのです。



2012年3月15日
99歳の祖母は
考えられる限り最高のハッピーエンドを迎えました。

                               

幼いころに母親を亡くし
年の離れた姉に導かれ成長した子供時代。
女学校では勉強やお裁縫よりスポーツが得意なお転婆娘でした。
(私が何とか泳げるのは祖母の指導のお蔭です!)

結婚後 幼い二人の娘を残して夫が出征。
姑、大姑、娘たちを疎開させて独り夫の留守を守ることになります。

そして福山大空襲!
当時6万人程の小都市が焼け野原になりました。
毎夜、靴を履いたまま布団に入って サイレンが鳴ると重い敷布団を被り
ヒュルヒュルと音を立てる焼夷弾の下を1キロほど先の芦田川へ避難。
B29の気配がなくなると 数え切れないほどの屍を越えながら自宅に帰ったそうです。
(祖母が見た地獄絵など想像もつきません!)
幸運にも奇跡的に家が戦火を免れたので
戦地に赴いた祖父より壮絶な戦争体験をしながら
祖母が命がけで留守を守ってくれたことが
家族の戦後復興にとって大きな礎となりました。

戦後、2年経って旧・満州に抑留されていた祖父が無事帰還。
それでも物の乏しい時代 大変な苦労があったようです。

高度成長期には祖母の人生も実りの時を迎え
私が小学生のころから祖母は旅行にハマっていて
(海外旅行はしていませんが)国内は旅行し尽くしました。
いそいそと楽しそうに気に入りのボストンバッグを準備しては
祖父を引き連れ(?)元気よく出かけていく姿が思い出されます。

99歳になってからも好奇心は全く衰えず
眼鏡をかけて大きな虫眼鏡を持って
新聞の隅々まで読むのを日課にしていました。
広告で気になった本があると電話で近くの書店に配達を依頼。
「時々注文した覚えのない本が突然届くからビックリする」と両親が言っていました。
また、祖母は(私にはその醍醐味が全く分からない)国会中継をかぶりつきで『観戦』するのも好きで
常に社会の動きに関心を持つことを元気の源にしているようなところがありました。

天真爛漫というのか天衣無縫な性格というのか???
ハッキリ物を言いすぎて ヒトさまを怒らせることもあったようですが
人を妬んで悪口を言ったり、故意に人を傷つけたり不愉快な思いをさせようとしたり・・
などという悪意は微塵も無く 裏表のない気持のよい人でした。

                              


通夜の日、叔母が
対面しようと棺に向かっていた私を呼びとめて 
「おばあちゃん、これからお嫁に行くような顔をしているのよ!」
と言いました。

これを聞いて 内心、「いや・・そんな・・いくらなんでも《お嫁》はナイでしょう???」と思いました。
曾祖母、父方の祖母、夫の祖母が90代で逝ったので 
そういう年齢で亡くなられた方の顔は大体想像できます。

でも!!!
実際に祖母を見たときには本当に驚きました!!!
もともと抜けるような色白で肌が綺麗だったので羨ましかったです・・
でも皺はそれなりにあったはず・・
それが・・顔も肌も凄く小さく縮んだせいか奇跡のようにツルっとしてるんですね。

(私もつけたことのない)ラメ入りキラキラファンデーションを薄っすらと施され、
叔母の選んだお洒落なベージュ系の口紅がよく似合っていました。
白い着物の胸元には 6羽の水引きの鶴が飾られていて
思わず自分の目を疑ってしまいましたが・・本当に!可憐な花嫁さんに見えました。

葬儀の最後に 皆が泣き笑いで「ありがとう」と言いながら棺に花を手向けたのですが
数え切れないほどの花に埋もれた祖母の顔が信じられないくらい綺麗で
こんな美しいラストシーンで人生を締めくくれる祖母は何て幸せなんだろう!!
と(不謹慎にも)悲しみより感動のあまり止めどなく涙が溢れてきました。

昨年11月入院する前夜、ふたりでゆっくり色んな話をした時、
「本当に良い人生だった!!これ以上のことは無いと思う。私は世界一の幸せ者よ!」
と 声を振り絞るように言っていましたが
きっとあの時祖母が思い描いた以上のエピローグが待っていたんですね。

                             

若い頃、私にとって《死》は忌み嫌うべきもので チラと考えるのも嫌でした。
でも この度のことで考え方が変わったような気がします。

私は決して悲観論者ではありませんが
つくづく 人は死ぬために生きているんだなぁ と思いました。
どんな華々しい人生でも
どんな悲惨な人生でも
ごく平凡な慎ましい人生でも
死だけは平等に訪れるのですもの。

愛し愛された人たちから
「これまでありがとう! そして・・ おめでとう! 本当にいい人生だったね!」
と拍手で送られるような
最高のハッピーエンドを迎えるために
ちゃんと自分の人生を最大限に生きなきゃ!!ですね。


祖母がよく口にした言葉があります。
彼女の人生のキーワードとも言うべき言葉でしょうか。。
『気力』『食べ力(ちから)』『友達』
(祖母によれば・・同年輩の友達はとっくに亡くなるかボケるかしたそうで・・汗
仲良くさせていただいていた一回り、二回りも若いお友達がたくさん葬儀に参列してくださいました)

バランス良くモリモリ食べて シッカリ気力を充実させて
「良い友達がいれば人生が何倍も楽しくなるよ!」と よく祖母が言っていたように
人との繋がりを大切にしていけば
いつか私も『人生の達人』になれるのかなぁ?

いつも好奇心いっぱい 明るく前向きに自分の人生を生き切った祖母を見習って
私も悔いの無い人生を生きたいです。

ちゃんと人生全うできたら その時は
『○○ちゃん、こっち こっち!!」と祖母が手を振って呼んでくれることでしょう。
とびっきりの笑顔で再会できるように頑張ります!! 


 

実家にて。
左から:二人の叔母、祖母、私(着物)母



私達が帰省すると よく一緒に出かけた
高台にある祖母の気に入りのレストランの前で。

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8 コメント

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ハッピーエンド~♪ (Mrin)
2012-03-25 08:54:59
おばあさまの最高のハッピーエンドを
まるで 映画のラストシーンのように…

mimosaさんが昨年から ご心配されていた
ので いつも気になっていました。

波乱万丈の人生も 素敵なご家族に見守られ
最後はきっと幸せな日々を送られていたのでしょうね。

おばんさまのご冥福をお祈りいたします。

ご家族の皆さまには お疲れがでませんように…


天国でお式を... (ペンネ)
2012-03-25 09:57:54
mimosaさん、おばあさまのご冥福をお祈り致します。

おばあさまの人生を伺って、私も祖母の人生を
思い返してしまいました。
ちょっと似たような人生だと思います。
年齢もほぼ同じですし。
(うちの祖母は一昨年98で逝きました。)

花嫁さんのようなお姿だったとの事。
きっと今頃、おばあさまは天国で
おじいさまとお式を挙げていらっしゃるかもしれませんね。

人は死ぬために生きている、というお言葉が
ずーんと胸に染みます。

本当にそうだなぁと思います。

私もハッピーエンドを迎えられるよう、
いろんな力を持って、蓄えて、人様を大事にして
生きて行きたいと改めて思いました。

大好きなおばあさまが、これからを見守っていてくださいますね。

ほんと、お疲れが出ませんように。。
忘れられない光景 (mimosa)
2012-03-25 22:47:06
Mrinさん

天寿を全うして
満足しきって亡くなった人の葬儀は
温かい雰囲気に包まれているのだなぁ
と思いました。

別れは哀しいのですが
それと同時に
祖母のこれまでの人生に拍手を送り
旅立ちを祝福する
美しい儀式だったと思います。

ご心配をいただきありがとうございました。
お優しいお言葉が身に沁みます。
大切な一部 (mimosa)
2012-03-25 23:23:55
ペンネさん

ペンネさんのおばあさま、
祖母と同い年でいらしたのですね!

大正、昭和、平成・・
激動の時代に翻弄されながらも
私達より『濃い人生』を生き抜いた女性達は
本当に逞しかったなぁと思います。

気合いの入り方がハンパじゃなかったような・・
だからこそ あの年齢まで元気いっぱい生きられたのでしょうね!

『死』は決して忌み嫌うべきものではなく
人生の大切な一部なんだなぁ
と今、心から思います。

これ以上は無いくらいの
ハッピーエンドを迎えるために
自分の人生を精一杯生きたいですね!

お優しいお言葉、本当にありがとうございました。
大往生でしたね!! (ブレンダ)
2012-03-27 22:27:17
心からお悔やみ申し上げます。

ずっと気にかけてらしたおばあ様がとうとう旅立たれてしまいましたね。でも天寿をまっとうされて、周囲の方からも大切に思われ本当に素敵な最期だったのではと想像できます。

本当に小説のような人生でしたね。

戦争でご苦労なさって・・・・・たくさん旅行に行かれて・・・・・

これからもずっとおばあ様は天国からmimosaさんを見守っていられるのではないかと思います。

私も困ったときだけでなく、常に亡くなった祖父母を気にかけて寝る前に語りかけたいと思います。困ったときだけよろしくお願いしますなので・・・・・

好奇心旺盛なDNAはmimosaさんにもしっかり受け継がれましたね!!

少し落ち着かれたらまたmimosaさんのブログの復活を楽しみにしてます。
祖母を見習って・・ (mimosa)
2012-03-28 00:17:59
ブレンダさん

いろいろご心配いただいて
本当にありがとうございました。
優しいお言葉が心に沁みます。

別れは寂しいのですが
祖母は身体の痛みから完全に解放されて
幸せそのものの顔で旅立ったので
ホッとしたような気持もあります。

あの世代の人たちは私達が想像もできないくらいの
激動の時代を逞しく生き抜いたのですよね!

それぞれが物凄く濃い人生で、
ブレンダさんが仰るように小説化できそうだと思います。

ブレンダさんのおじい様おばあ様は
すでに天国にいらっしゃっていて
ブレンダさんを見守ってくださっているのですね。。
ぜひ語りかけて差し上げてください。
私もそうするつもりです。

私が元気でいることが祖母の供養になると思うので
これ以上ふさぎ込まず
とにかく出かけるのが大好きで社交的だった祖母を見習って
私も積極的に生きれるようになりたいです。 
お悔やみを申し上げます (タケ)
2012-04-02 14:26:19
遅ればせながら、お悔やみを申し上げます。
歳に不足は無いとは言え、近しい方の旅立ちはやはり悲しみが大きかったことでしょう。

読み進むに連れ、私も思わず涙ぐんでしまいました。
義父の今の姿がダブって見えてしまうせいかもしれません。

でも・・何て言ったらいいのか、不謹慎かもしれませんが
死とは生き切ることだと思え、おばあさまの旅立ちに拍手を送りたくなりました。

最期のお顔がおきれいだったとのことが余計にそう思わせたのかもしれません。
きっと今頃はあちらからニコニコとmimosaさんを見守って下さっていますね。

いずれあちらに行く日まで我々はこちらで精一杯「生き切る」ことにしましょうね。
どうぞお悲しみが和らぐ日が早く来ますように。
お祈り申し上げます。
今を大切に・・ (mimosa)
2012-04-03 23:11:48
タケさん

ご丁寧なお言葉有難うございます。m(__)m
レスが遅くなり申し訳ありません。

私はこの年齢まで祖母が健在で いつも気にかけてくれていたので
本当に幸せだったと思います。

あれから暫くは寂しい気持ちになって
涙ぐむこともありましたが
やっとここ数日で全てを肯定的に考えられるようになりました。

祖母本人も「これ以上は無い最高の人生だった!」
と言っておりましたので
棺に花を手向けるとき、
車を見送るとき、
手を合わせながらも
心の中では精一杯の拍手で見送りました。
そういう別れは
送られる人にとっても
送る家族親族にとっても
ある意味本当に幸せなことだなぁと思います。

そうですね!
一度しかない人生、
今を大切に精一杯生き切りたいですね!

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