ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

迷惑と世話と

2018年09月15日 14時57分00秒 | 生活
わたしを含めだけど、日本人って
人に迷惑をかけることや
人の世話になることに
どこか抵抗があるみたい。

「人の世話になるくらいなら」とか
「誰にも迷惑をかけずに」とか
そうした言葉が日常的にあふれてる。
「誰の迷惑にもならず、世話にもならない」ことが
存在価値の根本的な条件みたいになって。
それはそれで悪くはないんだけど。

でも、それが行き過ぎると
「他人に迷惑さえかけなければ
何したっていい」になったり
「人の世話にならないと出来ないなら
最初からやるな」になったりもする。
それは、とてもとても悲しいこと。



だって誰かに迷惑をかけたり
お世話にならないと生きていけない、
高齢者や障がい者はどうすればいい?
小さな赤ちゃんや子どもたちは?
本当は若者だって、中年だって、
自分が気づいていないだけで
多くの人のお世話になって生きている。
多くのものに支えられて生きている。

そのことに謙虚であるためにも、
もっとお互いに世話になり合い、
迷惑をかけ合うのが当たり前の
寛容な社会になるといいのになあ。
その代わりにいっぱいの笑顔と
「ありがとう」が飛び交う社会の方が
生きやすいにちがいない。



アメリカでは5-6m後を歩く私のために
前を行く人がドアを押さえて待ってくれた。
階段でスーツケースを引きずっていたら
かならず誰かが手を貸してくれた。
わたしの掛ける迷惑に対して
返ってくるのはいつも親切と笑顔。
アメリカの全てが良い訳ではないけれど。

日本だと1m後ろに人がいても
バン!ってドアが閉まったり、
駅で大荷物にもたもたしてると
チッと舌打ちされたりしない?

日本って迷惑をかけることを嫌うあまり
社会全体に「人に迷惑をかけるな」という
無言の圧力が蔓延していないかしら。
それが弱者を追い詰めてないかしら。

誰の世話にもならずに生きることも尊い。
でも多くの世話になって生きるのも尊い。
誰にも迷惑を掛けずに生きるのも立派。
でも互いに迷惑をかけて生きるのも楽しい。
親の老いと自らの老いに向きあいつつ
そんなことに思いを巡らす秋の午後です。
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