mimi-fuku通信

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奇祭:御願神事 「竹割り祭り」 ~加賀市/菅生石部神社 その1

2008-02-10 16:48:47 | 街ネタ(写真館)

ごんがんしんじ
御願神事(県無形民俗文化財)
通称:竹割祭り
毎年2月10日に行われる例祭です。
http://www.tenjin.or.tv/take/wari.htm

【場所】
菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)
石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81-2

【開催日】
毎年:2月10日:午前11時頃より。

【神事について】

御願神事(竹割まつり)は青竹を打ち砕き悪を払う勇壮な神事として、
菅生石部神社(加賀大聖寺)において毎年2月10日に行われている神事です。
伝承によると、
この地に大蛇が住んでおりその大蛇を退治するために行われた神事で、
祭りが近づくと大蛇になぞらえた大縄をつくり青竹が約2~300本用意されます。

【神事の進行】

神事はまず宮司による祝詞(のりと)の奏上。
第一板の合図で境内の中央にある高さ3メートル程の竹を骨組みにした藁のアズマヤに点火。
炎が燃え上がる頃に第二板の合図とともに境外の鳥居前に待機していた白装束の青年たちが、
ときの声をあげながら青竹を手に境内になだれこみ石段や石畳にたたきつけ青竹を割りつくします。
青竹が割りつくされたころに青年たちは大蛇に見立てられた大縄を拝殿から引きずり出し、
掛け声とともに境内、道路、神殿の中と縦横無尽に引き回したあげく、
神門を抜け石段を駆け下り神社前の天神橋の上から大蛇を大聖寺川へと投げ込んで、
神事はすべて終了します。

割られた青竹は見物人が自由に持ち帰ることができ、
これで凧を作れば凧はよく上がり、
これで箸にすれば歯の痛みも止まると伝えられています。
かつては大蛇は河口に位置する塩屋港まで流され塩屋の漁師達の手で拾い上げられましたが、
(この大縄を網にすれば大漁になるとの言い伝えもあるようです)、
現在では環境やゴミ問題等に配慮して当日中に引き上げられるそうです。


記事その2「大蛇退散」
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/150ca103766272da732de354a7ce10a4 


記事その3
「拝殿内部」
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/7c047ea9c0936c1d9fa5fd702a5da359

【神事の豆知識】

神事に参加するのは神社の東側にある、
敷地(しきじ)町と西側にある岡(おか)町を中心とする青年達。
*古い記録によると17歳~25歳までの敷地・岡、両町の青年男子のみとされていますが、
近年では他の町や商工会からの応援もあると聞きます。

服装は“木綿の襦袢、帯、手拭い、足袋”すべて白一色で統一しています。

神事に使用する青竹の本数は若干変動はあるもの約2~300本。
長さ約2メートルの太竹が用意されています。

大蛇として見立てる大縄の長さは、
約20~25メートル、重さは約150~180キロにもなります。

神事直前の日曜日などには敷地の町内で大縄を編む光景や竹の切り出しの様子等が見られ、
こちらも迫力満点とのこと。
機会があれば一度ご覧下さい。

神事が始まるまで鈴や太鼓等の鳴り物は禁止されます。
そのため神事の合図の版木を最初の音となり、
その後に竹を叩き割る音が続きます。
古来から2月1日より鳴り物は禁止とされており神事が終了するまでは、
お参りをする際も鈴などを鳴らさないよう注意が必要です。

【神事の御利益】

神事に用いられた竹は下記のご利益があるとされています。
(1)天井裏に置くと雷避けになる。
(2)玄関先に置くと魔除けになる。
(3)箸にすれば身体健康、病気平癒、虫歯予防になる。
そのほかにも大縄の藁を魚編みに結ぶと豊漁になるなど様々な言い伝えがあります。
また神事に用いられた竹や大縄には悪事災難を除き、疾病を免れる霊験があるとされており、
なによりも1年の無事や様々の願いを祈る心こそが重要な事項となるようです。

【神事の伝説】

地元に伝わる説としては、
この地に大蛇が住んでいて毎年未婚の娘を差し出さなければ田畑を荒らされてしまうので、
これを退治するために神事が生まれたと言われています。
神事の進行の意味については、
*竹を割る大きな音によって田畑を荒らす大蛇をおびき寄せ、
*竹で叩いて大蛇を追い払い、
*退治した大蛇を川に投げ入れるとのことです。
 
神社に伝わる伝承としては、
第40代天武天皇(673年2月27日即位)による「宝作長久国家安全」の立願により、
「御願神事」をはじめられたとされており以来2月10日を例祭日と定めています。
*この説が本当なら1300年以上の歴史のある神事となります。
 
また別の説として大蛇退治の神事の意味は、
蛇行する大聖寺川を大蛇に見立て治水(水害を除き、農耕や生活水の確保)を願う
という説もあるようです。
*大聖寺地区は古来より水害の多い地域として知られ、
現在では蛇行した川も改良されていますが昭和の中期まで。
多い年は年2回以上の洪水も当たり前とされていた地域でした。

菅生石部神社について
加賀市大聖寺敷地(だいしょうじ しきじ)ル乙81-2
TEL:0761-72-0412

石川県加賀市大聖寺敷地町にある神社。
大聖寺駅の北東へ約1.5km(徒歩18分)に位置します。

創祀年代に確かな記録はないようですが、
第30代敏達天皇(572年に即位)の御宇(ぎょう=敏達天皇の納めた時代)。
菅生石部神は禁裏(きんり=皇居の中)に勧請(かんじょう=神仏の御出で御告げを願うこと)
されていたとされています。
さらに第31代用明天皇(585年に即位)の時代、
当国の五穀豊饒を願って皇居から当地鎮護のために遷し祭ったと伝えられているようです。
 
別の説としては、
第42代文武天皇(697年に即位)の頃との言い伝えもあり、
遅くとも8世紀初頭には創建されていたと考えられています。

菅生石部神社は式内社として加賀地方では、
白山市鶴来町の白山比神社につぐ大社として、
古来よりの由緒の正しい神社とされています。
(延喜式内社として加賀二宮。明治29年3月19日國幣小社に指定。)

古くは毎年4月と11月の居入祭(おりいりまつり)に勅使が出向き、
神衣・神宝を献上したほどの名社で木曾義仲ほか多くの武将の崇敬を受けました。

寺宝としては1413年の足利氏の寄進状や旧国宝「紙本墨書正親町天皇詠草」などがあります。
社殿の大部分は昭和になっての造営ですが神門は1824年山上善右衛門の設計によるものです。

現在の祭神は菅生石部神。
異説として少彦名神という説もあるようです。
 
また、
地元の俗称では『敷地天神』との俗称でも親しまれているようです。
このことは拝殿の前には牛の像があることからも推測できますが、
中世の時代に当地は北野天満宮の社領であったらしくこのことから、
当社が「菅生天神・敷地天神」と呼ばれる由縁だとされています。
 
さらに一寸見では分かりませんが、
本殿の左後方には「稲荷社」があり、
右後方には、「白山社」があります。
お時間があればご参拝ください。


【追記】:2月12日記述

2008年の御願神事は前日までの寒くどんよりとした日々とは違い、
心地の良い晴れ間の内に神事は進行し多くの観衆を魅了しました。
この日の神事についての本文では知りえなかった地元新聞の記事を紹介します。
 
「北国新聞」2月11日付け。
この日は日曜日と重なり好天にも恵まれ参拝客は例年よりも多い約1500人に上った。
この神事は2007年に国の文化審議会から、
記録作成などの措置を構ずべき無形民族文化財との要求を受けた。
そのために2008年は、
御願神事保存会が神事の準備段階からの記録保存を目的に作業に着手した。
保存会では神事の見応えを増そうと竹の本数を例年の2倍以上の800本に増やし、
参拝客が魔よけに持ち帰る「割れた竹の破片」に神社の焼印を押すサービスを行った。
*私は気が付かなかったのですが地元の友人の話では30分位の行列ができたそうです。


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