mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

御願神事「大蛇退散」 ~加賀市/菅生石部神社 その2

2008-02-11 22:31:44 | 街ネタ(写真館)

 
昨日に続いて御願神事の話題。

“若衆たちは大蛇に見立てた大縄を拝殿から引きずり出し、
掛け声とともに境内、道路、神殿の中と縦横無尽に引き回したあげく、
神門を抜け石段を駆け下り神社前の天神橋の上から、
大蛇(に見立てた荒縄)を大聖寺川へと投げ込んで、
神事はすべて終了します”
の部分を写真でアップしました。

写真では、
荒縄(大蛇)を切るために境内の樹木に擦り付ける場面や、
2月の寒空の下で大聖寺川に飛び込む若衆の姿も紹介。
勇壮な男衆の迫力が伝われば良いのですが。

*本文→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/cd9f1e2de04db8419b08dd3c23601cb6


*天神橋と白山(2月12日撮影)

*大聖寺川の流れ(2月11日撮影)


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奇祭:御願神事 「竹割り祭り」 ~加賀市/菅生石部神社 その1

2008-02-10 16:48:47 | 街ネタ(写真館)

ごんがんしんじ
御願神事(県無形民俗文化財)
通称:竹割祭り
毎年2月10日に行われる例祭です。
http://www.tenjin.or.tv/take/wari.htm

【場所】
菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)
石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81-2

【開催日】
毎年:2月10日:午前11時頃より。

【神事について】

御願神事(竹割まつり)は青竹を打ち砕き悪を払う勇壮な神事として、
菅生石部神社(加賀大聖寺)において毎年2月10日に行われている神事です。
伝承によると、
この地に大蛇が住んでおりその大蛇を退治するために行われた神事で、
祭りが近づくと大蛇になぞらえた大縄をつくり青竹が約2~300本用意されます。

【神事の進行】

神事はまず宮司による祝詞(のりと)の奏上。
第一板の合図で境内の中央にある高さ3メートル程の竹を骨組みにした藁のアズマヤに点火。
炎が燃え上がる頃に第二板の合図とともに境外の鳥居前に待機していた白装束の青年たちが、
ときの声をあげながら青竹を手に境内になだれこみ石段や石畳にたたきつけ青竹を割りつくします。
青竹が割りつくされたころに青年たちは大蛇に見立てられた大縄を拝殿から引きずり出し、
掛け声とともに境内、道路、神殿の中と縦横無尽に引き回したあげく、
神門を抜け石段を駆け下り神社前の天神橋の上から大蛇を大聖寺川へと投げ込んで、
神事はすべて終了します。

割られた青竹は見物人が自由に持ち帰ることができ、
これで凧を作れば凧はよく上がり、
これで箸にすれば歯の痛みも止まると伝えられています。
かつては大蛇は河口に位置する塩屋港まで流され塩屋の漁師達の手で拾い上げられましたが、
(この大縄を網にすれば大漁になるとの言い伝えもあるようです)、
現在では環境やゴミ問題等に配慮して当日中に引き上げられるそうです。


記事その2「大蛇退散」
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/150ca103766272da732de354a7ce10a4 


記事その3
「拝殿内部」
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/7c047ea9c0936c1d9fa5fd702a5da359

【神事の豆知識】

神事に参加するのは神社の東側にある、
敷地(しきじ)町と西側にある岡(おか)町を中心とする青年達。
*古い記録によると17歳~25歳までの敷地・岡、両町の青年男子のみとされていますが、
近年では他の町や商工会からの応援もあると聞きます。

服装は“木綿の襦袢、帯、手拭い、足袋”すべて白一色で統一しています。

神事に使用する青竹の本数は若干変動はあるもの約2~300本。
長さ約2メートルの太竹が用意されています。

大蛇として見立てる大縄の長さは、
約20~25メートル、重さは約150~180キロにもなります。

神事直前の日曜日などには敷地の町内で大縄を編む光景や竹の切り出しの様子等が見られ、
こちらも迫力満点とのこと。
機会があれば一度ご覧下さい。

神事が始まるまで鈴や太鼓等の鳴り物は禁止されます。
そのため神事の合図の版木を最初の音となり、
その後に竹を叩き割る音が続きます。
古来から2月1日より鳴り物は禁止とされており神事が終了するまでは、
お参りをする際も鈴などを鳴らさないよう注意が必要です。

【神事の御利益】

神事に用いられた竹は下記のご利益があるとされています。
(1)天井裏に置くと雷避けになる。
(2)玄関先に置くと魔除けになる。
(3)箸にすれば身体健康、病気平癒、虫歯予防になる。
そのほかにも大縄の藁を魚編みに結ぶと豊漁になるなど様々な言い伝えがあります。
また神事に用いられた竹や大縄には悪事災難を除き、疾病を免れる霊験があるとされており、
なによりも1年の無事や様々の願いを祈る心こそが重要な事項となるようです。

【神事の伝説】

地元に伝わる説としては、
この地に大蛇が住んでいて毎年未婚の娘を差し出さなければ田畑を荒らされてしまうので、
これを退治するために神事が生まれたと言われています。
神事の進行の意味については、
*竹を割る大きな音によって田畑を荒らす大蛇をおびき寄せ、
*竹で叩いて大蛇を追い払い、
*退治した大蛇を川に投げ入れるとのことです。
 
神社に伝わる伝承としては、
第40代天武天皇(673年2月27日即位)による「宝作長久国家安全」の立願により、
「御願神事」をはじめられたとされており以来2月10日を例祭日と定めています。
*この説が本当なら1300年以上の歴史のある神事となります。
 
また別の説として大蛇退治の神事の意味は、
蛇行する大聖寺川を大蛇に見立て治水(水害を除き、農耕や生活水の確保)を願う
という説もあるようです。
*大聖寺地区は古来より水害の多い地域として知られ、
現在では蛇行した川も改良されていますが昭和の中期まで。
多い年は年2回以上の洪水も当たり前とされていた地域でした。

菅生石部神社について
加賀市大聖寺敷地(だいしょうじ しきじ)ル乙81-2
TEL:0761-72-0412

石川県加賀市大聖寺敷地町にある神社。
大聖寺駅の北東へ約1.5km(徒歩18分)に位置します。

創祀年代に確かな記録はないようですが、
第30代敏達天皇(572年に即位)の御宇(ぎょう=敏達天皇の納めた時代)。
菅生石部神は禁裏(きんり=皇居の中)に勧請(かんじょう=神仏の御出で御告げを願うこと)
されていたとされています。
さらに第31代用明天皇(585年に即位)の時代、
当国の五穀豊饒を願って皇居から当地鎮護のために遷し祭ったと伝えられているようです。
 
別の説としては、
第42代文武天皇(697年に即位)の頃との言い伝えもあり、
遅くとも8世紀初頭には創建されていたと考えられています。

菅生石部神社は式内社として加賀地方では、
白山市鶴来町の白山比神社につぐ大社として、
古来よりの由緒の正しい神社とされています。
(延喜式内社として加賀二宮。明治29年3月19日國幣小社に指定。)

古くは毎年4月と11月の居入祭(おりいりまつり)に勅使が出向き、
神衣・神宝を献上したほどの名社で木曾義仲ほか多くの武将の崇敬を受けました。

寺宝としては1413年の足利氏の寄進状や旧国宝「紙本墨書正親町天皇詠草」などがあります。
社殿の大部分は昭和になっての造営ですが神門は1824年山上善右衛門の設計によるものです。

現在の祭神は菅生石部神。
異説として少彦名神という説もあるようです。
 
また、
地元の俗称では『敷地天神』との俗称でも親しまれているようです。
このことは拝殿の前には牛の像があることからも推測できますが、
中世の時代に当地は北野天満宮の社領であったらしくこのことから、
当社が「菅生天神・敷地天神」と呼ばれる由縁だとされています。
 
さらに一寸見では分かりませんが、
本殿の左後方には「稲荷社」があり、
右後方には、「白山社」があります。
お時間があればご参拝ください。


【追記】:2月12日記述

2008年の御願神事は前日までの寒くどんよりとした日々とは違い、
心地の良い晴れ間の内に神事は進行し多くの観衆を魅了しました。
この日の神事についての本文では知りえなかった地元新聞の記事を紹介します。
 
「北国新聞」2月11日付け。
この日は日曜日と重なり好天にも恵まれ参拝客は例年よりも多い約1500人に上った。
この神事は2007年に国の文化審議会から、
記録作成などの措置を構ずべき無形民族文化財との要求を受けた。
そのために2008年は、
御願神事保存会が神事の準備段階からの記録保存を目的に作業に着手した。
保存会では神事の見応えを増そうと竹の本数を例年の2倍以上の800本に増やし、
参拝客が魔よけに持ち帰る「割れた竹の破片」に神社の焼印を押すサービスを行った。
*私は気が付かなかったのですが地元の友人の話では30分位の行列ができたそうです。

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国宝「曜変天目茶碗(稲葉天目)」公開 ~静嘉堂文庫美術館。

2008-02-09 20:34:42 | 美術・芸術・創造

 
 曜変(稲葉)天目茶碗が展示される展覧会。

 静嘉堂の東洋陶磁 partⅠ~中国陶磁名品展~
 ~2010年 9月25日(土)~12月5日(日):会期終了
 
 休館日:毎週月曜日(但し10月11日は開館)、10月12日(火)
 開館時間:午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
 入館料:一般800円 大高生500円 (一般・大高生は20名以上団体割引)
 *展覧会HP→
http://www.seikado.or.jp/sub0201.htm

 茶碗の美展  ~国宝・曜変天目と名物茶碗~
 ~2008年2月9日(土)~3月23日(日):会期終了

 休館日:毎週月曜日(2月11日は開館)、2月12日(火)
 開館時間:午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
 入館料:一般800円 大高生500円 小中学生100円

 *稲葉葉天目について(写真付)
 http://www.seikado.or.jp/sub030101.htm
 

  < mimifukuの見方。>

 
日本には世界に誇る三つの美しい輝きを持った天目茶碗が存在する。
 天下の三絶として我国に伝わる曜変天目は、
 元来は中国で作られた茶碗なのだが、
 現在では中国にも存在していない。
 その希少価値の高い工芸品が、
 曜変天目(ようへんてんもく)茶碗である。
 
 mimifukuは既に実物の3点(あるいは5点)をすべてこの目で確認済みだが、
 特に静嘉堂文庫所蔵の物は「稲葉天目」と呼ばれ数年に一度、
 この美術館でのみ展示される(門外不出だと記憶している)美術品で、
 その美しさと神秘的な輝きは比類がない。

 稲葉天目と言えば青の天目のイメージが強いが、
 実は白の美しさが他の2点にはない柔らかな反射を生み出し、
 青と白の対比の美しさを堪能して欲しい。
 また、
 写真の撮影の仕方によっては、
 ギラギラと油質の含んだ冷たい光に感じることもあるが、
 展示物(本物)が持つ光の柔らかさはあたたかく、
 長時間眺めていても飽きることはない。

 鑑賞する時にどうしても見込み(内側)の星紋に目がいくが、
 外側の漆黒に浮かぶ曜変の美しさや、
 側面から見た完成された天目茶碗としての、
 形状の美しさも見逃さないで欲しい。
 
 3点の国宝を見た感想を述べれば、
 「静嘉堂の曜変は青と白の天目 ~銀河天目。」
 「藤田美術館の曜変は緑の天目 ~オーロラ天目。」
 「龍光院の曜変は黒の天目 ~蛍光天目。」
 とイメージすると覚えやすいように思う。
 
 稲葉天目の値段をつけることはできないが、
 一説には50億円以上の価値があるとされる、
 国宝の中の国宝
 
 ~茶道具や茶碗に興味のない人でもこの天目茶碗を見ておけば、
 その筋の人と話をする時に、一生自慢できるはずです。
 お時間が許せば是非ご覧ください。
 小さな宇宙を知る機会になれば幸いです。

 
 <2008年春の展覧会:主な展示作品 >
 
 国宝  曜変天目 宋時代 
 重文  油滴天目 宋時代
 重文  井戸茶碗 越後 朝鮮時代
 重美  御所丸茶碗(黒刷毛) 朝鮮時代
 
  井戸茶碗 越後 朝鮮時代
  黒楽茶碗 紙屋黒 長次郎作 桃山時代 
  銹絵染付春草図筒茶碗 乾山作 江戸時代 
    灰被天目(伊達家伝来)南宋~元時代
  呉州染付山水人物図茶碗 明時代末期
  大徳寺呉器茶碗 銘 おぼろ 朝鮮時代
  御本雲鶴茶碗 銘 玉鬘 朝鮮時代
  黒楽茶碗 紙屋黒 長次郎作 桃山時代
  黒楽茶碗 銘 風折 長次郎作 桃山時代
  赤楽茶碗 銘 ソノハラ 道入作 江戸時代
  黒織部茶碗 銘 うたたね 桃山時代
  天目形数茶碗 十八口 仁清作 江戸時代

 <中国陶磁名品展(2010年秋)>

 大正初期より国内のコレクターや研究者・古美術商たちの中に、
 陶磁器を伝統的な茶道具の価値観からはなれ、
 造形的な美しさによって鑑賞してゆこうという機運がおこりました。
 岩崎小彌太は父・彌之助が明治期に一括購入した、
 お雇い外国人:F・ブリンクリーの西洋的な価値観によって形成された、
 陶磁器コレクションを下地とし20世紀に中国大陸から新たに出土した作品を、
 積極的に購入し「鑑賞陶器」の一大コレクターとなりました。
 国内有数の中国陶磁コレクションの公開です。
 

 【国宝:曜変天目茶碗(稲葉天目) 
  
建窯(けんよう)南宋時代(12~13世紀)
   
 
 「曜変(ようへん)」とは、
 元来「窯変(ようへん=カマの中での変化」や
 「容変(ようへん)」の意味を持ち、
 唐物茶碗「土之物(陶器の茶碗)」の筆頭として、
 分類格付けされてきました。
 
 「星」または「輝く」という意味を持つ「曜」の文字を当てて、
 文献に記載されるようになるのは、
 十五世紀前期の頃からです。
 
 静嘉堂文庫が所蔵・管理する「曜変天目茶碗」は、
 もと将軍家の所蔵品であったものを淀藩主/稲葉家が拝領し、
 代々秘蔵したことから「稲葉天目」と称されています。
 
 産地は中国福建省建陽県に位置する建窯(けんよう)であり、
 窯址(かまあと)調査から蘆花坪窯(ろかへいよう?)である可能性が、
 考えられていますが今のところ曜変の明瞭な斑文を伴なった陶片は、
 出土していません。

 世界中を見渡してみても現存する曜変天目茶碗は3点。
 (京都・大徳寺龍光院、大阪・藤田美術館、静嘉堂文庫)
 が存在し斑文の美しさはそれぞれ異なった趣(おもむき)を持っていますが、
 それぞれの寸法や器形が酷似しています。
 
 いずれも焼成前に決定されているはずの素地土は最良のものが用いられており、
 さらに高台の削り出しも精緻を極めていることから、
 「曜変天目」は焼成中に偶然に現れた所産であったばかりでなく、
 陶工が試行錯誤の果てに辿り着き僅かばかりの完成をみた、
 究極の作品であった可能性もあると考えられています。
                  
          
~以上静嘉堂文庫美術館ホーム・ページより転載、編集。

 伝来:徳川将軍家(柳営御物)→淀藩稲葉家→小野哲郎氏(三井)
 →岩崎家(三菱)
 大正7年3月に売り出された「曜変天目茶碗」を、
 小野哲郎氏が16万8千円(現代に換算すると約20億円位とされる。)で入手。
 その後、昭和9年におよそ9万円位の値で岩崎小弥太氏の手に渡った。

 静嘉堂文庫美術館
 〒157-0076 東京都世田谷区岡本2-23-1  
 TEL.03-3700-0007
 下記交通案内へのリンク
  http://www.seikado.or.jp/sub0500.htm
 (注)交通の便は良くないのでお仲間3~4人で行動し駅からタクシーの利用をおすすめします。


 <資料:国宝指定のある3箇所の曜変天目茶碗>

東京世田谷区/静嘉堂蔵 (高さ7・2 口径12・2 高台径3・8)数年に一度公開。
京都大徳寺内/龍光院蔵 (高さ6・4 口径12・2 高台径3・8)原則的に非公開。
大阪都島区/藤田美術館 (高さ6・8 口径12・3 高台径3・6)数年に一度公開。
 
 非公開とされる龍光院のものは、
 時に東京及び京都の国立博物館での特別展に於いて公開される。
 近年では2002年の京都国立博物館での、
 「日本人と茶」展において公開された。
 他には、
 MIHOミュージアム、徳川美術館に曜変とされる天目茶碗が存在する。

コメント (5)
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吹奏楽の王道/ギャルドの日本公演 ~mimi-fuku番組情報

2008-02-07 20:15:11 | クラシック・吹奏楽


 
パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団

 放送局:NHK/BS2 (放送終了)
 放送日:2008年2月12日(火曜日)
 時間  :午前10時55分~11時50分

 <mimifukuから一言>

 昨年の11月に来日したギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の、
 演奏会の模様です。
 場所は、
 東京有楽町の国際フォーラムAホール。
 5000席以上の客席を誇る巨大ホールで吹奏楽が奏でる音楽は、
 どのようなものなのか?

 実はこの11月3日の昼は、
 東京でモーター・ショーを見に行ってた日で「ぴあ」でこのコンサートは、
 当日券を売り出すとの情報を得ていたのですけど、
 残念ながら行くことはできませんでした。

 昨年の3月にNHK-FMで放送された、
 1961年の日本公演(下記に資料あり)が耳に残っていて、
 行きたかったのだけど幕張から有楽町までの距離が躊躇させ手しまいました。

 でも、
 放送の情報に嬉しいなのmimifukuでした。

 <mimifuku的評説。>

 第1曲目の「ローマの謝肉祭」は精彩の欠いた平板な演奏だったと思う。
 大きな会場独特の現象で、
 ホールの空調なのか観客の熱気がもたらす湿度不足なのか、
 原因は分からないが大きなホールでは最初の20~30分位は、
 音に伸びがなく聴こえる事があるがその感じなのだろうか?

 第2曲目の「ダフニスとクロエ」は、
 パントマイムのフルート・ソロのあたりから徐々に表現力が豊かになり、
 模範となるような演奏だったと思う。
 フランス人らしい?
 決して“がなり立てることのない”演奏スタイルはギャルド流。

 第3曲の「カルメン」のアルカラの竜騎兵は楽しく聴けた。
 しかし有名な闘牛士(第一幕への前奏曲)は押さえすぎた演奏で、
 バランスの悪いものに感じた(編曲が悪いのかも?)。

 第4曲の「ボレロ」は各独奏者の技術力が遺憾なく発揮されていた。
 ピッチの合わない部分もあったが吹奏楽での表現は興味深く聴けた。
 ただし管楽器では音のユラギの表現が難しく、
 オーケストラで表現される抑揚感が不足することは仕方のないことだろう。

 吹奏楽と言うと“うるさい”といったイメージがあるが、
 ギャルドのサウンドは抑制の取れた職人気質な演奏であったように思う。

 1961年に来日した折に“絹のような滑らかさ”と表現されたサウンドは健在。
 それと軍楽隊であるにもかかわらず多くの女性が在籍し、
 ソロ・パートにも優れた演奏を聴かせてくれ時代の変遷を感じる演奏会だった。
 
 
 【放送された曲目】

 1. 序曲「ローマの謝肉祭」 作品9  ( ベルリオーズ作曲 /デュポン編曲 )

 2. 「ダフニスとクロエ」 組曲 第2番  ( ラヴェル作曲 /ブラン編曲 )

 3. 「カルメン」組曲 第1番 から
   アラゴネーズ   
   アルカラの竜騎兵
   間奏曲      
    闘牛士  ( ビゼー作曲 /デュポン編曲 )

 4. ボレロ  ( ラヴェル作曲 /デュポン編曲 )


 吹奏楽 : パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団 
 指 揮 : フランソア・ブーランジェ 

 ~ 収録:2007年11月3日, 東京国際フォーラム ホールA ~

 *このコンサートに行かれた方のブログの紹介。
 → http://buglers-holiday.way-nifty.com/maya/2007/11/post_7872.html

 → http://nasso.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_c699.html

 → http://24hirofumi.at.webry.info/200711/article_3.html


 【資料:ギャルド1961年東京公演】

 1 序曲「ローマの謝肉祭」(作曲:ベルリオーズ)

 2 ハンガリー狂詩曲第2番(作曲:リスト)

 3  大空(作曲:須摩洋朔)

 4 交響詩「はげ山の一夜」(作曲:ムソルグスキー)

 5 交響詩「ローマの松」全曲(作曲:レスピーギ)

 6 「アルルの女」組曲 第2番より(作曲:ビゼー)
   <田園曲>
   <間奏曲>
   <ファランドール>

 7 ボレロ(作曲:ラヴェル)

 8 歌劇「ウィリアム・テル」序曲(作曲:ロッシーニ)

 指揮:フランソワ・ジュリアン・ブラン少佐 (1,2,5,6,7,8) 
    :須摩洋朔 (3,4)
 演奏:ギャルド・レプュブリケーヌ吹奏楽団

 <1961年11月11日(土)東京文化会館でのライブ録音>

  放送:NHK-FM 「今日は一日吹奏楽三昧」 (放送終了)
 
2007年3月21日(水・祝)午後1時~翌日午前1時

 当事世界最高の吹奏楽団(軍楽隊)と言われた、
 「ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団」が、
 1961年に初来日した時の東京文化会館での演奏会の模様が放送された。
 当時のギャルドの編成はサクソルン属と呼ばれる楽器が多くあり、
 現在の編成とは異なっていた。
 サクソロン属とはアドルフ・サックスが考案したリードで奏でる金管楽器郡で、
 ソプラノ~コントラ・バス(高音~低音)までの領域に分かれている。

 現在のギャルドの編成は木管楽器が主流のために、
 オーケストラのアレンジ曲にかかるサックス群に対しての、
 重要な役割は減ってきている。
 また、
 この時の来日時には日本全国でコンサートを開催。
 11月12日には台東体育館で開催されていた、
 全日本吹奏楽コンクール全国大会に出演し特別演奏を披露した。

 この1961年の来日は、
 その後の日本の吹奏楽のレベル向上に多大な影響を与えたと言われる。

 

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『夢の美術館』:世界の名建築100選 ~mimi-fuku番組情報。

2008-02-05 22:36:42 | テレビ番組


 夢の美術館:NHK-BShi
 
『世界の名建築100選』


 放送日:2008年 2月11日(月)第1
部、第2部 (放送終了)
 放送時間:前編:午後1時~午後5時(4時間番組)

 放送日:2008年 2月16日(土)第3部、第4部、第5部 (放送終了)
 放送時間 :
後編:午後1時30~午後5時30(4時間番組)

 【再放送】
 
~2010年1月6日午後1時~4時40分(放送終了)
 ~紹介した番組とは別編集(2部構成)の圧縮された建築100選。
   バラエティ色を排除して作品に焦点を当てています。


 <名建築100選 作品リスト一覧>
 
 
録画しようと思うと8時間の長時間番組です。
 録画保存する場合にどこにどの建築物が録画してあるのか、
 確認するための資料としてお使いください。
 私はハイ・ビジョンでこの番組を見ました。
 建築に対する見方の多様性が楽しめる番組作りになっています。
 ベストの基準を「どうの、こうの」言うのは野暮と言うもの。
 世界の暮らしや信仰を知ることで、
 新しい建築や生活スタイルへのヒントになると感じます。
 下記リストはNHKのホーム・ページから基本的に自分専用に作成しました。
 お役に立てれば幸いです。

第一部:壮麗~名建築への招待

001 桂離宮 / 京都府
002 タージ・マハル / インド
003 モン・サン・ミシェル / フランス
004 故宮 / 中国
005 ケルン大聖堂 / ドイツ
006 カッパドキアの地下都市 / トルコ
007 法隆寺西院伽藍 / 奈良県
008 厳島神社 / 広島県
009 クフ王のピラミッド / エジプト
010 清水寺 /京都府
011 パンテオン / イタリア
012 アヤソフィア / トルコ
013 承啓楼 / 中国
014 ウェストミンスター宮殿 / イギリス
015 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 /イタリア
016 ピサの斜塔 / イタリア
017 エッフェル塔 / フランス
018 コロッセオ / イタリア
019 ペトラのエル・ハズネ / ヨルダン
020 シェーンブルン宮殿 / オーストリア
021 シュバルの理想宮 /フランス
022 アルベロベッロのトゥルッリ/ イタリア


第2部:多彩~祈りの世界を訪ねて

023 アメン大神殿 / エジプト
024 パルテノン神殿 / ギリシャ
025 マチュピチュ / ペルー
026 エル・カスティーリョ / メキシコ
027 マハーボーディ寺院 / インド
028 シュエージーゴン・パゴダ / ミャンマー
029 ワット・アルン / タイ
030 ボロブドゥール寺院 / インドネシア
031 薬師寺東塔 / 奈良県
032 会津さざえ堂 / 福島県
033 三佛寺投入堂 / 鳥取県
034 浄土寺浄土堂 / 兵庫県
035 平等院鳳凰堂 / 京都府
036 エローラ石窟寺院 / インド
037 メスキータ / スペイン
038 バイヨン寺院 / カンボジア
039 スルタン・アフメット・モスク / トルコ
040 イマーム・モスク / イラン
041 泥のモスク / マリ
042 サンマルコ聖堂 / イタリア
043 サント・マドレーヌ聖堂 / フランス
044 アミアン大聖堂 / フランス
045 サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ聖堂 / イタリア
046 シャルトル大聖堂 / フランス
047 サン・ミシェル・デュギュイ礼拝堂 / フランス
048 ル・トロネ修道院 / フランス
049 ロンシャン礼拝堂 / フランス
050 ラリベラの岩窟教会群 / エチオピア
051 モルドバ地方の教会群 / ルーマニア
052 リラ修道院 / ブルガリア
053 ボルグンド教会 / ノルウェー
054 森の墓地 /スウェーデン


第3部:豪華~権力者達の館。

055 日光東照宮 / 栃木県
056 天壇 / 中国
057 万里の長城 / 中国
058 ローマ帝国の水道橋 / スペイン(フランス)
059 ヴェルサイユ宮殿 / フランス
060 アルハンブラ宮殿 / スペイン
061 二条城二の丸御殿 / 京都府
062 ノイシュヴァンシュタイン城 / ドイツ
063 松本城 / 長野県
064 姫路城 / 兵庫県
065 聖ワシリー聖堂 / ロシア
066 エルミタージュ / ロシア
067 メーリニコフ自邸 / ロシア
068 モスクワ大学 / ロシア
069 シバームの高層住宅 / イエメン


第4部:日本建築の美、再発見

070 伊勢神宮 / 三重県
071 慈照寺東求堂 /京都府
072 西本願寺書院 / 京都府
073 三溪園臨春閣 / 神奈川県
074 妙喜庵 待庵 / 京都府
075 孤篷庵 忘筌 /京都府
076 鹿苑寺 金閣 / 京都府
077 臥龍山荘 / 愛媛県
078 東大寺南大門 / 奈良県
079 正福寺地蔵堂 /東京都
080 根来寺大塔 / 和歌山県
081 羽黒山三神合祭殿 / 山形県
082 大瀧神社 / 福井県
083 閑谷学校 / 岡山県084
084 ビョンサン(屏山)書院 / 韓国
085 代々木体育館 / 東京都
086 ハフェ(河回)村の民家 /韓国


第5部:近代~快適な空間を求めて。

087 ラブルーストの閲覧室 / フランス
088 ムニエのチョコレート工場 / フランス
089 ウィーン郵便貯金局 / オーストリア
090 富岡製糸場 / 群馬県
091 オルタ邸 / ベルギー
092 ヒルハウス / イギリス
093 シュレーダー邸 / オランダ
094 サヴォア邸 / フランス
095 ファンズワース邸 / アメリカ
096 落水荘 / アメリカ
097 クライスラービル / アメリカ
098 サグラダ・ファミリア / スペイン
099 岩のドーム / イスラエル
100 白川郷合掌造り / 岐阜県

 【司会】竹下景子,石澤典夫

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哲学/神/科学 ~それぞれの解答。(再編集)

2008-02-02 20:37:48 | 文芸・思想・書物


「哲学って何?」

「哲学を考える上で、科学と神の話題が必要となるけど聞く?」

「簡単に答えて。」

「アインシュタインの言葉だったと思うのだけれど、『神とは謎だ。』との問いかけをどう解釈する?」

「神様は、人知を超えた存在と言うこと?」

「うん。じゃ、言葉を変えて、『謎とは、神だ。』は、どう思う?」

「えっ?。」

「確か、アインシュタインの考えの中に、
『人間は、答えを導き出せない時に神の存在を口にする。』との命題に対して、
科学が提示する答えが有効になればなるほどに、
『神の存在は、人の心の中から薄れていく。』ってのがあったと記憶してるんだけれど。」

「うん。」

「で、『神とは謎だ。』の問いかけをどう感じる?」

「科学の発達や文明の歩みが、人の心から信仰心を奪ったって事?」

「う~ん。信仰心と言う言葉は別にして、“神”のみを考えると、神の存在って、人の心(脳の働き)の中で、自分ではどうにもならない事態が起きる時に浮かぶことが多いと思うのだけれど。
・・・例えば昔、顕微鏡が発明されてない時代に伝染病やウィルスの存在を理解するためには、“悪魔”や“邪気”の存在が信じられたように、あるいは、自然災害の原因を知ることや、観測による気象の予知が不可能だった時代に、台風や地震を説明するためには、“神仏や天の怒り”との解釈が必要とされたように、『謎に対する答えとして、神の存在は必要だった。』との意味だと思う。と同時に、人類の歴史は今の社会では想像もできないような生きて行くことの苦しみや死への恐怖は、人々を神への畏怖に駆り立てたと推測できる。」

「うん。」

「時代が進むににつれて、科学の発達や医療の発達は、謎に対する答えを人間が文明の進行や実験で証明し解決していくことが可能になったことを人類の進歩と仮定して、哲学は人類が生きる上で、謎に対する答えを個人の思考によって解決しようと、暫定的に出した答えだと思う。つまり、科学的な証明ができない時代の中で、自然の猛威や、不条理な取り決めに対して、あるいは人知ではどうにもならない事態に対して、救済する手段を考えることが哲学の発展に寄与したと思うし、言い変えればそれが宗教の成り立ちと考えることもできる。」

「分かりにくい。」

「うん。で、哲学って言葉は、人の生き方や考え方によく使われる場合が多いよね。例えば、松下幸之助さんの経営哲学とか、矢沢永吉さんの人生哲学とか、イチロー選手の野球哲学とか。各界を代表する人達のように、他人の言葉に流されず自分の経験や考えをしっかりと持った人に用いると哲学って言葉は納まりがいいよね。そうした場合に、哲学のない人達ってのは、<自分の確固とした思想や主張を持たず、日和見主義や自己保身のために信念を変える人> のことと仮定すると哲学の意味が把握しやすいような・・・。」

「それは、分かる。」

「逆に哲学を持った人達って、それが万人にとって正しいとは言えない事でもその人にとって正しいことなら、他人の目を気にしないで前に進んで行く人と言い変えることができると思うし、それは個々の人達が生きて行く上で重要な答えなんじゃないかな。」

「頑固過ぎるのも困るけどね。」

「で、今回の話題のマトメなんだけど、
『哲学とは、謎に対する証明はできないけれど、人が生きていくうえで重要なそれぞれの答え(考え)。』
と仮定して、
『科学(医療も含め)とは、研究や実験や技術革新の進歩によって、謎に対する証明ができた答え(立証された結論)。』
と仮定する。さらに、
『神とは、人知では証明できない謎に対する答えとして人類が生み出した知恵(概念)。』
と仮定すると、哲学の意味が見えてくると思う。」

「神が知恵?じゃあ、神の存在はどうなるの?」

「う~ん。神の存在の有無に言及することは、現代社会では、まだまだタブーな部分も多いし、神の存在が人の心の中から消え去ることはないし、人の心(脳の仕組みと蓄積された記憶)は、いつの時代でも神を必要としている。それに加えて、宗教の否定や信仰心の排除は、国際社会を通してすべきじゃないし、日本の憲法にも信仰の自由は保証されている。それに、謎がある限りは神の知恵は人類にとって重要な選択肢であることに変わりはないと思う。矛盾するかな?」

「んっ?」


 上記の文書は、1月29日の記事「哲学とは?」の内容を理解しやすいように再編集したものです。元の記事は、下記リンクを表示してください。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/8f3fc74d44ac75e43d14561d50062ea3

 

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