おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

彼は我慢したんだ

2018年02月28日 | 日記
最近「あおり運転」に注目が集まっている

あおり運転自体は、昔からあって
今に始まった事ではないけど、
それがイメージとして「若者」の行為であった昔とは
違って、いい歳ををした「大人」のおっさんが
その行為に至っているってことが
時代と共に変わってきた点かなと思う

僕も、煽られた経験は一度や二度ではない

逆に、運転にさほど自信がない僕でも
感情に任せて前車を執拗に煽ったことは何度かある

時に「煽り」がクローズアップされるが、
立場が逆になれば、「煽られる運転」と言う、
煽られる方にも少なからずの要因があるのでは?と
思わなくもないが、今回はそれには触れず、
ちょっと視点を変えてみようと思う

「何故、煽り運転をするのか?」

自分に当てはめて考えてみると、
まずはイライラしているからだ

その原因は、時間に余裕がなかったり、
急いでいるのに、前の車が超安全運転で
優雅に走っているその後ろを走らされるストレスが
積もり積もっての行動と言う事が
想像される

「何をそんなに乱暴な運転を!」

と、その場面を目にすると、
迷惑なその運転に眉を顰めてしまうが、
そのドライバーは、最初からイライラしていた
訳じゃなく、
対向車が来るたびにブレーキを踏んだり、
青信号なのに、左右確認を必要以上に繰り返して
ゆっくりと左折したり、
トロトロと法定速度以下で走っているにも関わらず、
車内は楽しい話題で盛り上がり
ドライバーまで後ろを振り返りながら談笑していたりとか
とにかく、周りの流れに乗ることを考えていない
車が車列の中にいると、徐々にストレスが蓄積される

そんなある意味、イライラの種となっていた
車がいなくなった瞬間、それまで我慢していたドライバーが
アクセルに力を込めて、爆音と共に我が道を走っていく

「なんだ!あの車は!」

と、思ってしまうが、彼は我慢したんだ

ゆっくりと走る「安全運転」と言うなの障害物を前に
我慢したんだ

その場面だけを切り取れば
無謀な運転だけど、彼はそれまで耐えたんだと思う

だからと言って、無関係の車を
煽ってもいい理由にはならないけどね
 
 
 



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