水面に映る光景

日常感じたことなど。

生きること

2019-12-13 04:54:32 | Weblog
命は何物にも代え難い、この世で一番大切なものだ、ということは簡単である。
しかし、なぜ大切かはなかなか実感がない。

私は一時期、東京でマンションの5階に住んでいた。
その時、ふっと思ったことがある。
ここから飛び降りたら簡単に死ねそうだと。
そして、飛び降りる勇気は持っているとわかっていた。
別に死ななければならない苦しみがあるわけではないが。

なぜ、そんなことが頭をよぎるのか。
それは、普通の人生は生き切ったという実感が私の中にあるからだ。
普通の人生。
家を建て、子供を2人育て、親孝行も済ませ、
近しい親族や兄弟達への思いも伝えてきた。
終わってもいい人生なのだ。

では、なぜ飛び降りないのか。
子供達への未練からか、子供達に迷惑をかけたくないからなのか。

そんなことではない。
人が一人で死ねない以上子供達に最終的に面倒かけるのは避けられない。
いつ、面倒をかけるかの時期の違いである。

飛び降りない最も大きな理由は他人に迷惑をかけたくない。
特に、仕事として事後処理をする方々に負担、迷惑をかけたくない。
仕事だからいいとは思わない。

こんな自己分析をしている時点でそもそも死を語る資格はないのかもしれない。
しかし、この利他的な思考が私の生まれたときからの思考方法であったように思う。

人が一人で死ねない、自分の死を仕舞うことができない。が死は避けられない。
このことを考えると、生き切ることが最大の命題になる。
生き切った後は自分以外の人に自分を委ねる。
翻って、自分以外の人にも生き切ってもらう。
そこを忘れなければ、他者の命も、自らの命も侵してはならない大切なものだとわかる。
どんな状況にある人達の命も大切で、生き切るためには何でもする覚悟が必要だ。

そんな気持ちで、長生きした時に備えるつもりで、生きるこの頃である。

ウォーキングの途中で見つけた花


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