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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

カフェ3年を過ぎた実感

2006年10月20日 | 日記
昨日は此処にうっかり入った記念日だった

モデムの調子が悪くて新しい物を送ってもらったまでは良かったのだが

ところが…これが不良品^^ ランプ…点かないよ~~

申し訳御座いませんって…おいおい…それだけかい!

明日 また新しい物が届く予定

常時接続が 非常時接続にもならん!狼煙上げろってのかぁ~~ 今月の料金 払わんからなぁ~~

吼えてる私に 会社の仲良し君が教えてくれました

自宅での仕事が出来なくて会社で残業になった どうしてくれる!って…それぐらい言えって

ゴネ勝ちってことですか~

まっ 天使の私ですから其処までは言えないですけど(江戸っ子だし~)

さて此処の事だが 私の性格からして知っていたら絶対に始めなかった

それで何を得て何を失ったか 人生プラマイゼロの私だからね

現在 私の足跡で一番古い友達は2年半になる人である

私から訪問した数少ない人の一人である

未だお会いした事はないが いつかと思っている

お会いした人もいる 友達だと思っている

会わなくても これっきりになった人でも エールを送ってる

ネットでは誤解も錯覚も 鋭角も鈍角もある

なにせ バックグラウンドを何も知らずに始まるのだから

八方美人の顔はしたくない

だから 初めての人にいつもありがとうなんて足跡貰っても はて 何処かかで倒れてる貴方を助けたっけ なんて

コメントも返していないのに コメありがと なんて言われると 私 ボケたのかしらと思ってしまう

一方 ちゃんとこのヘソ曲がりの私を理解して(許容範囲の広い方)下さる方もいらっしゃる

ネットに繋がらない時間が多い今日この頃 ネットの付き合いとは何かと思う

何ってことは無いのだ

楽しい会話 バカ話が言えて 誠実であり お互いを認めて距離を測れる

なんだぁ~ それって ネットも実生活も同じじゃん

そうなんだって 

ネットだから 気構えることも確かにある

でも 人が人と繋がることにおいては何ら変わりは無いのだ

不愉快であっても 不愉快だぞって言って なんでだぁ~って返して それで分かり合えることもある

勝手に傷ついたりすんなっての

失ったものは時間 得たものもまた時間

時間は貴重である

貴重なものにするかどうかは 貴方の責任じゃない 全て 私にかかっている

これが カフェ3年を過ぎた私の実感である

では またね~

2006年10月18日 | 日記
昨夜 愛しのモデムちゃんなんて言って甘い顔していたら あはは また切断!

夜中からゴソゴソやり出したまでは良かったが 新しいモデムのランプが正常に点かない

え~~ もう~~ である

また愛しの古いモデムに付け替えた

朝も切断でしたので ご挨拶は無し

当分続くかもしれません

笑って見ててください

ページを黙って消すことはありませんから

でも 繋がっていなければそれも言えないねぇ~

まっ いっか

それも良いかと思う夜

愛しのモデムよ!

2006年10月17日 | 日記
宅急便でモデムを送るというので 夜間配達を指定した

それでも6時からだというので 定時に帰宅した

一家に一人 老人が居ればなぁ~と思う

だから嫁さん貰えって と 会社の連中が言う

フン!大きなお世話だ!嫁さんだろうが 婿さんだろうが!

小遣いが少ないだの 浮気はOKだの そんな君達に言われたくないっての!

朝 ヒョッコリ繋がったモデムは 私の留守に何をしていたかは定かではないが 帰宅したらちゃんと作動していた

PCを立ち上げた時に モデムが届いた

なんか…私とそっくり…ヘソ曲がりである

いざ交換となったら 敵め(モデムが敵か!) 俄然張り切りだした

こちらは いつも通りだろうとすぐにも交換しようと張り切っていたのに

気が抜けた

早い帰宅も珍しいので部屋を片付けてイッパイ(ちなみに イッパイは全く珍しくない^^)

本日は オバカ日記の最たるもの

別バージョン ちゃんと用意していたのですがね~

でもなんだか このモデムが健気と言おうか イトオシイと言おうか 

奴の御蔭でいろんな事知ったしな~ なんて思うとなかなか切れなくて

何?また 設定するのがメンドクサイのかって?

それは…実は…大いにあります!

私のスタンス

2006年10月16日 | 日記
ネット接続の調子が悪くなる度に(しかし…多いよね~)いつも 考える

ネットで日記を書くことや ここで人と繋がることなんかについて

実は今日 ある人からミニメを受け取った

退会のお知らせである

日記に対するコメントは沢山頂いたのだが 足跡はほとんど定型だった

それが彼女のスタンスなのだと判っていたから 私は足跡でコメントを返していた

これも私流である

でも ちゃんと心は届いていたみたいだ

さっき返事を返したら足跡には返送したミニメに対する言葉があって そして もうページは無かった

この世界に紛れ込んで今月の19日で3年が過ぎる

思えば沢山の出会いがあった(そうでも無いか^^でも・・私にとっては沢山^^)

自分の心の中では常に 何を望んでるのか 何をしたいのか といった問いかけがあった

私の日記や存在では 誰も救えはしないし与えられるものも何ひとつ無い(それに出来るとも思っちゃいない)

せいぜい 自分よりひどい酔っ払いがいるのものだ という優越感を与えられる程度だ

それでも こうして細き糸であっても人と繋がる可能性があるということ それが嬉しくて此処にいるのかもしれない

これから その人の足跡を消す

だからといって その人が消えるわけではない

さよならは言わない これが私のスタンス


無題

2006年10月15日 | 日記
以前日記に書いたことがあるかも知れないが 従兄弟がダウン症である

母の妹の子供である

昔は長生きしないと言われたが 幸いな事に元気である

その彼が生まれてまもなく 叔母が我が家に彼を連れて遊びに来てくれた写真が今もある

不思議な生き物を見つめるような幼い私の顔

まだ現実を知らぬ叔母は幸せそのもので 知ってからは二番目の子供を産むかどうか相当迷ったようだ

母は反対した

その子の人生の重さを考えたからだ

順序が逆だったら 悩むことは何もなかっただろうと思う

結局 年を経て叔母は次男を授かった

その時 ダウン症の彼を我が家で預かり 兄弟のようにして過ごした

明るくてお茶目で悪戯が大好きで自由奔放だった叔母

ちなみに私はその叔母によく似ていると言われるが^^

5歳年上の母からはいつも叱られ 大切な事は母から学んだという叔母

その叔母がここ十数年 鬱の症状がある

無理からぬことと思う

障害のある子供を持った親の心は どんな子供であれ持ったことの無い私であっても 痛いほど判る

今日電話を受けたのは その叔母からだった

一人になった私を心配してくれてのことだが こちらは気ままな自由の身 心配ご無用

母のきょうだいは 親が再婚同士ということもあって多かったが 今では残ったのは3人

今日 祖母のお葬式でしか会ったことのない しかし一番祖母に似ていた人 その人の訃報を聞いた

手先が器用で賢い人(母なんか・・○○はノロマだねぇ~っていつも言われてたらしい)

我が家にも 女の子だからとイロイロ手作りの品を送ってきてくれた人だ

91歳 あっぱれ! 

母は76歳だったから また叱られるね 

一度じっくり会いたかった ノロマな母の情けない子供ではあるけれど

親はいつまでも親 だがいつかは先に逝く

それは決して不幸なことではない

父は 一人になる私を案じてくれた

でも信頼してくれて お前なら大丈夫だなって そう言ってくれた

叔母にも そんな心安らぐ時が来て欲しいと思う

言った事は一度も無いけれど 私は過去においてダウン症の従兄弟に学んだ事がある

授かった次男だって イイ子じゃないの

親の気持ちとしては甘えられないかもしれないけれど でもトシに免じて!

それが子供は嬉しかったりもするのですよ