どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

旅の記憶を辿る―2.インクラインと琵琶湖疏水

2013年08月15日 | 日記
題名の事柄は 説明をしたらきりが無い

その歴史にしても 建造物にしても 関わった人物にしてもである

何度か書いているが 私のそもそもの建物見物の始まりは伊東忠太だった

それも 彼の建築物のすごさに感心したわけではなく 奇妙な意匠にどうしようもなく魅かれたのだった

それから始まったのだが それはつきつめてしまえば そして大げさに言えば 人と地方の営み 精神や歴史を必然的に知ることになる

しかし 私の日記はそんなことを理路整然と語るような日記ではないことや その能力の無いことも証明済み


かつて活躍したインクラインの道を歩く



台車と木造船(三十石船)が展示してある




この後に行った「琵琶湖疏水記念館」で体を冷やしながら読んだパンフレットによると 京都にとって琵琶湖から水を引くことは昔からの夢だったとある

明治維新によって東京遷都となったことから衰退していく京都に 琵琶湖疏水の力によって活力を呼び戻そうとしたらしい

大津から蹴上までの8キロの水路には幾つか煉瓦のトンネルがあり 私はいつかできるならそれを歩いて見たいなぁ~ なんてそんな程度の気持ちでここを選んだのだが ものすごい事業だったのだと思い知る


水は当然 高きところから低きところへと流れる

どの土地を通すべきかは測量の技量にかかっている

展示品には測量士 島田道生が常に携帯していたという竹の物差しが幾つも展示してある

そして土木工事の技師として任命されたのが 東大工学部の前身である工部大学校を卒業したばかりの田邉朔朗なる人

彼は土木学会のノーベル賞といわれる「テルフォード・メダル」をのちに授与されるのだが 後にも先にも日本人では彼ひとり 

水力発電 水道 そして電力による市営電車 今の京都の基礎がこれで出来上がったということだった


記念館で体を冷やした私は 南禅寺の水路閣へと向かう

どこを歩いていても水の流れる音が聞こえる

すでに時は10時半をまわりすっかり暑くなっている 

この水音だけが暑さにめげそうになる私の心を支えてくれる




※ 田邉朔朗に関して興味が湧いたので少し検索してみたところ、彼の姉はなんとあの片山東熊の夫人であった。(片山東熊といえば、コンドル最初の弟子。辰野金吾と並ぶ日本近代建築の祖。奈良・京都の博物館他、東京のそれの表慶館。明治天皇に贅沢過ぎると言われた現・東京迎賓館など、どれも重要文化財ばかりである。)
 樋口一葉の作家人生への野心に火をつけたと言われる三宅花圃の『薮の鶯』は、朔朗と姉の話であろうとのこと。
 なにせ、彼女の本名は田邉龍子。朔朗の従妹にあたる人である。これらのことは、朔朗の孫娘にあたる方がある業界紙に寄稿文に書かれていたことである。そして、彼女もどうやら土木業界に身を置く人らしい。

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1 コメント

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Unknown (みらい)
2013-08-18 09:46:02
インクラインは、3月のまだ底冷えのする寒さの中、
人が向かうので知らずに歩いて、なぜ線路が珍しいの

と思ったところで忘れてました~
比較的新しい、でも歴史を感じるものだったのですね。
ねじりまんぽ も見ていると思うのだけれど、
記憶が~
今ならこのネジネジ具合に、感動するのに~
京都、また出かけてみたくなってしまいました~
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