どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

徘徊は宇都宮~その9

2018年04月07日 | 日記
昨日の風は夜になってもなかなかやまかった

朝起きて外を見ると 道路が濡れている

久しぶりのお湿りか


教会の扉はいつでも万人に開かれているはずではあるけれど 最近はそういうわけにもいかないところが多いのはとても残念である

ここは 開かれていた

無論監視カメラはついているが 誰でも中に入って祈りを捧げることができる

私は決まった宗教に対する信仰は無いけれど それでも建物への興味だけを抱いて中に入ることは無い

誰も居ない聖堂ではあっても 信者の方々の神への崇拝や祈りや願いや懺悔を無断で覗き見するようなことはしてはならぬと思うし 敬虔な気持ちにさせる何かがここには存在する




この教会に合わせてあつらえたパイプオルガンのパイプが見える





再び外に出て 最後にレンズを交換して塔の最頂部と十字架を撮る



こうした文様に非常に強く心惹かれる

十字架に円を組み合わせたものはケルト十字と呼ばれるもので 円は太陽を表すというけれど これはどんな理由でこのようなデザインになったのか

また 円の中に4つの円が組み合わさったような文様をよく見かけるが どのような意味があるのか

今度調べてみようと思う

これは京都ハリストス正教会の八端十字架(2008年撮影)

ロシア正教会などで用いられる


そろそろ帰ろうと思った頃 見上げてばかりで気が付かなかったあるものに???


あの飛び出ているものは 何?

カエルだ!

あれ?なんか・・・長靴はいてる・・・?

すごく嬉しくなって


しばらく見とれていたら そのずっと下の壁に説明がちゃんとあった


宮沢賢治の童話「カエルのゴム靴」にちなんで 2001年の修復工事後にエレベーター塔の雨どいの部分につけられたようだ

この教会の着工 及び竣工に力を尽くしたプジェ神父が 盛岡の教会時代に賢治と深い親交があったためだという

なんともユーモラスなカエルに出会って この教会が好きになる


バックスタイルを少し写す



この部分だけ石の感じが異なるのは 1910年この地に最初に建てられた聖堂の一部かもしれない(石壁が残されていることはパンフレットに記載されていた)

この雰囲気 抱きつきたくなるほど いい!

桜も教会も 末永くここにあらんことを
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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中も素晴らしいですね (みらい)
2018-04-09 02:37:56
お写真を見ているだけでも真摯な気持ちになりました。
蛙くん、可愛い~^^
お洒落なデザイン、と思いましたが、
ちゃんと意味があったのですね。
このままずっと残ってほしいですね。

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みらいちゃんへ (yokochann)
2018-04-09 06:35:01
カエルは新しいものですが、でも、こんな教会見たこと無いなあって、うれしくなりました。
賢治のこの童話、知らなかった。最初は「考える」とかけているのかなあ、と思ったんだけど・・・。
返信する

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