年末ムードが高まってきた
今年やり残したことを消化しようと 今日は歯医者と皮膚科に行く
やり残したというよりも 先送りにしてきた といった方が正しい
幸い どちらもそう重大なことにはならなかったが 気にかけたまま年を越すのはさすがの私もまずいだろうと思ってのことだった
ほとんど開業当時から通っているこの歯科医院の受付の女性も変わることなく働いている
今日は予約だけできれば良いかと思って朝一番に行ったのだが キャンセルがあるからということで運良く診察してもらうことができた
治療が済んで会計の時 ○○さん さっき年齢見てびっくりしちゃった 全然変わらない 若く見える~ と驚かれた
一度治療してしまったら歯というものは決して元には戻らず 最高の状態でも現状維持
しかもそれは現実にはほとんどありえないことで 詰め物が取れたり そこからまた虫歯になったりするわけで 出来るものなら一生縁を切りたい もう二度とムショ行きはゴメンだと思うのだが そうは問屋が卸さない
確か 今年の初めにも通院していたはずだし ブランクがあっても二年とは無いと思う
というわけで 今更私の年齢を知ったわけでも無いだろうにと思うのだが もしかしたら今日しげじげと私の年齢を見たのかもしれない
確かに服装や体型 髪型など何も変わらないから そう見えるのかもしれない
いえいえ もう体のほうはガタガタです と返事をした
そのあと皮膚科に行った
ことの始まりは 帰宅して靴下を脱いだら足首のあたりが痒かったのでかきむしった というだけのことだった
血がにじんでかさぶたになり それがまた痒くて と繰り返していたら次第にひどくなった
慢性湿疹とのことである
姉はアトピー・喘息持ちで 私も子供の頃は皮膚が弱かった
その後もストッキングをはくと痒くなったりすることはあったが 50歳を超えてきた頃からだろうか その傾向は次第に激しくなってきたように思う
両親も 父方の叔母なども皮膚が弱く 少しの刺激で痒くなったり ひとたび掻いてしまうと悪化するという始末だったから遺伝もあるのだろう
下着や靴下のゴムには十分気をつけるし 肌に触れるものに付いているタグなどがカサカサと首や脇に触れると もうたまらなくなる
最近では あらかじめ切り取ってしまうことが多くなった
縫い目が刺激となって痒くなることさえあるので 下着だけでなく身に着けるものは素材も縫製も十分吟味して選ぶことになる
今回は いわゆる靴のベロと呼ばれる部分か アンクルまである靴を履いていた刺激のせいだろうと思っている
実は 私はこの長さの靴が昔から好きなのだ(デザートブーツやクラークスの靴の深さ)
足の甲の薄い私には ローファーのような靴(いわゆるパンプスの深さのものでも)はとても履きづらい
自身の体というものはとても正直なもので 世間の流れに見合ったようにはできていないものだと実感する
一番身近な自然とは 実は我が身かもしれない
皮膚科では 車椅子に乗った老人が付き添い(おそらくは施設の人かケアする人)と一緒に待合室にいた
ほとんど横になった状態の老女は 何度も何度も同じ言葉を繰り返している
認知症なのかもしれないが なぜか私にはとても可愛らしくみえた
それでも 長く生きていること 特にこうした病気を発症するというのは 何か切ない気持ちにさせられる
友人のご両親は85歳 まだ介護が必要とまでは至っていないが それでも日常生活をなんとかやっているような状態で おむつをしているときいた
母親が倒れたら もう仕事は辞めるしかないとも言っている
自分自身も年を取り 人は誰でもそうなると子供でも知っていることでも 実感する 本当の意味でわかるのは人生半ばも過ぎてからのことだ
若く見えるらしい私でも 身体は着実に正しく老化の道を歩んでいる
自然の理で それを格別悲しんでいるわけではないし 後悔の念がまったく無いわけではないが 若返ってもう一度人生をやり直したいとは微塵も思わない
ただ 清く正しく美しく年齢を重ね 綺麗に去っていくということは 自分の努力だけではどうにもならないことだと最近では思うようになった
82歳で亡くなった父を診てくれていた医師は 父のことを上手に年をとったと表現したが どうせなら皮膚の弱さだけでなくそこも私に遺伝していると良いのにと 今日は師走に二つの病院を掛け持ちしながら 思ったりしていた
今年やり残したことを消化しようと 今日は歯医者と皮膚科に行く
やり残したというよりも 先送りにしてきた といった方が正しい
幸い どちらもそう重大なことにはならなかったが 気にかけたまま年を越すのはさすがの私もまずいだろうと思ってのことだった
ほとんど開業当時から通っているこの歯科医院の受付の女性も変わることなく働いている
今日は予約だけできれば良いかと思って朝一番に行ったのだが キャンセルがあるからということで運良く診察してもらうことができた
治療が済んで会計の時 ○○さん さっき年齢見てびっくりしちゃった 全然変わらない 若く見える~ と驚かれた
一度治療してしまったら歯というものは決して元には戻らず 最高の状態でも現状維持
しかもそれは現実にはほとんどありえないことで 詰め物が取れたり そこからまた虫歯になったりするわけで 出来るものなら一生縁を切りたい もう二度とムショ行きはゴメンだと思うのだが そうは問屋が卸さない
確か 今年の初めにも通院していたはずだし ブランクがあっても二年とは無いと思う
というわけで 今更私の年齢を知ったわけでも無いだろうにと思うのだが もしかしたら今日しげじげと私の年齢を見たのかもしれない
確かに服装や体型 髪型など何も変わらないから そう見えるのかもしれない
いえいえ もう体のほうはガタガタです と返事をした
そのあと皮膚科に行った
ことの始まりは 帰宅して靴下を脱いだら足首のあたりが痒かったのでかきむしった というだけのことだった
血がにじんでかさぶたになり それがまた痒くて と繰り返していたら次第にひどくなった
慢性湿疹とのことである
姉はアトピー・喘息持ちで 私も子供の頃は皮膚が弱かった
その後もストッキングをはくと痒くなったりすることはあったが 50歳を超えてきた頃からだろうか その傾向は次第に激しくなってきたように思う
両親も 父方の叔母なども皮膚が弱く 少しの刺激で痒くなったり ひとたび掻いてしまうと悪化するという始末だったから遺伝もあるのだろう
下着や靴下のゴムには十分気をつけるし 肌に触れるものに付いているタグなどがカサカサと首や脇に触れると もうたまらなくなる
最近では あらかじめ切り取ってしまうことが多くなった
縫い目が刺激となって痒くなることさえあるので 下着だけでなく身に着けるものは素材も縫製も十分吟味して選ぶことになる
今回は いわゆる靴のベロと呼ばれる部分か アンクルまである靴を履いていた刺激のせいだろうと思っている
実は 私はこの長さの靴が昔から好きなのだ(デザートブーツやクラークスの靴の深さ)
足の甲の薄い私には ローファーのような靴(いわゆるパンプスの深さのものでも)はとても履きづらい
自身の体というものはとても正直なもので 世間の流れに見合ったようにはできていないものだと実感する
一番身近な自然とは 実は我が身かもしれない
皮膚科では 車椅子に乗った老人が付き添い(おそらくは施設の人かケアする人)と一緒に待合室にいた
ほとんど横になった状態の老女は 何度も何度も同じ言葉を繰り返している
認知症なのかもしれないが なぜか私にはとても可愛らしくみえた
それでも 長く生きていること 特にこうした病気を発症するというのは 何か切ない気持ちにさせられる
友人のご両親は85歳 まだ介護が必要とまでは至っていないが それでも日常生活をなんとかやっているような状態で おむつをしているときいた
母親が倒れたら もう仕事は辞めるしかないとも言っている
自分自身も年を取り 人は誰でもそうなると子供でも知っていることでも 実感する 本当の意味でわかるのは人生半ばも過ぎてからのことだ
若く見えるらしい私でも 身体は着実に正しく老化の道を歩んでいる
自然の理で それを格別悲しんでいるわけではないし 後悔の念がまったく無いわけではないが 若返ってもう一度人生をやり直したいとは微塵も思わない
ただ 清く正しく美しく年齢を重ね 綺麗に去っていくということは 自分の努力だけではどうにもならないことだと最近では思うようになった
82歳で亡くなった父を診てくれていた医師は 父のことを上手に年をとったと表現したが どうせなら皮膚の弱さだけでなくそこも私に遺伝していると良いのにと 今日は師走に二つの病院を掛け持ちしながら 思ったりしていた