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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

携帯電話

2007年04月28日 | 日記
早起きしたのは良いが どうも調子が出ない

ダラダラとしているところに友達からチャットが入った

オーストラリア在住の友人で こちらが夏に向かいあちらが冬に向かう事を除けば 今は似たような気候みたいだ

そろそろ腰を上げねばと思い 最低限の洗濯と最低限の片付けをする


と そうだ!携帯のバッテリがまた無くなっていたんだ と

私の携帯は こんなもんである

警告ではなく完全に真っ黒 オダブツになっている

まっいっか っていう代物だ


携帯電話を持つようになったのは 母の入院がきっかけだった

父との連絡に会社の電話を使うというのも 今時気がひけるから

それが無かったら一生持たなくても良かった

私がず~っと若い時にあんなものが無くて良かったとさえ思う

まるで 猫に鈴ではないか^^

携帯なんて無かった時代なら 連絡取れませんでした~で済む事も 今はそうはいかない


充電中にメールが2通

残業地獄から解放されたと思った友人が 今週は二日も徹夜の仕事をしていたって~

ワハハハ・・・ お互い 若い頃のツケが回ってきたのかね~


世の中はどんどん便利になっていく

昔は黒電話一本で 友人との会話を家族に聞かれるのが嫌だった

相手が異性なら尚の事 只の友達であってもだ^^

今の子供には そういうドキドキ感など無いだろうなと思う


不自由さというものは 繊細さも生み出すのじゃないだろうか

相手の立場や状況も慮る必要があるしね


自由は大好きだが 野放図の自由は自由じゃない

自由になればなるほど 自らに制限を課していく時代になっていくのかもしれない

また そうあらねばならないのじゃ無いかとも思ったりもする 


無意識のヘソ曲がり

2007年04月28日 | 日記
五時過ぎに目が覚めた

目覚まし代わりのテレビから 音が流れる前にだ

普段は慌てて飛び起きているのに 休日の朝に限ってこうなるのは相当の無意識ヘソ曲がりとしか思えない

もう少し寝ようかとも考えたが 兎に角起きることにした

自分を甘やかすと最後に泣くのは自分になるという事を 経験上知っている

夜 泣きながらビールを飲むのは御免だから


テレビでは大型連休と言っているが 誰もがそうでは無い

グローバルな視点で言えばG・Wは無関係だしね^^

今日も働く人がいる

働くだけじゃなく 病気と闘う人や修行に打ち込む者 いつもと同じ日常を送る者

一日の重さは カレンダーの文字が赤くても黒くても同じだ

淡々と今日を愉しむという事を 最近学び始めている


本日の一曲目は マーヴィン・ゲイのホワッツ・ゴーイング・オン

彼の歌に託した想いに しばし心寄せながら

ファ~ザ ファ~ザ♪ マ~ザ マ~ザ♪ 

アホのような残業地獄だけど

2007年04月28日 | 日記
今日も23:30の帰宅となった

朧月夜を見上げながら夜道を歩いた

私より残業地獄だった友達は すっかり落ち着いた様子だが こちらはまだまだ先が見えない

特別ボーナスが支給された事を書いたが 残業代も前代未聞のものだった


昨年の四月 私は覚悟を決めて父との最期の別れの時の為に休暇を取った

無遅刻無欠勤の私にとっては 最初で最後の我侭

しかも無期限の予測のつかない休暇だ

退社願いを出す事になっても構わないと腹をくくった

それは 病室で1分間考えて決めた


日曜の朝で すぐに会社に向かって残務整理をした

月曜の朝に 皆に報告をして帰宅した

そしてその夜 父と二人で脱獄したのだ

丁度 新人君の入社と入れ替わってのことだった

社長や会長からも 後悔の無いようにと暖かい言葉を貰った


父が亡くなってから 会社に報告を兼ねた挨拶に行った

皆が 待っていましたとばかりに出迎えてくれた

その月の給料はいつもと変わらずに支給された

新人君からは 姐さんと飲みたいと思っていたんですよ~と言われて 数日後飲みに行った


滅私奉公のつもりは無い

嫌になったら他の人生を歩むつもりだ

しかし どんなに残業があっても今はまだやっていける

些細な不満はあっても 地球がひっくり返るようなことじゃない

人から見て アホのような残業地獄を生き抜いているのも こういう私と会社だからだ