17日朝、雪の御土居。
この水の流れはたぶん妙秀谷の名残。
そもそも御土居の外側には「妙秀谷」と言われるところがあって、そこを埋め立てて住宅街や教習所になったと地主さんに聞いた事があります。
「妙秀」は本阿弥光悦さんの奥様の名前。
光悦芸術村と言われたところは御土居の外側、洛外。
秀吉派と見られて洛外に追い出されたという説もあるそうな。
御土居のあたりの住宅街も建て替えをしようとしたら、
地下に隣家にも続く電柱が出てきたところもあったとか。
谷は埋めても水の流れは存在し、どこかの川の源流の一つになっているようです。
雪も9時頃には収まってお昼頃にはいいお天気でした。