友人たち総勢5人でお出かけ。
今日は11月3日、明治天皇誕生日にちなんでか、
と思っていたらもっと古くからのようですが、
八坂神社では毎年舞楽が納められています。
男舞を見たのは初めて。(舞っている人の中には女性もいるかもしれませんが)
これまで見たことがあるのはたぶん「迦陵頻(一発変換できた!)」だけ。
今年の楽器演奏はおおきな太鼓(?)は使われていませんでした。
さて集会、人数制限(880人)だとかリモートだとか言われましたが、なんとかはいれました。
入口では、お決まりの検温と手指消毒。何かあった時用に名前と電話番号の記入。
席の方も間を空けて、との指示。
細胞生物学者で歌人の永田和宏さんが「コロナ危機から見える社会と憲法」と題して講演の予定でしたが、
学術会議の問題も勃発した今、そのことに関しての話もはいりました。
感染防止で石けんによる手洗いはどういう効果があるのか?
学術会議の問題はどこにあるのか?
サイエンスの共有化が大切。
例えば、ウイルスに関して、ウイルスの外側(膜?)は油である。
石けんによる手洗いはその油を溶かしてウイルスをこわしてしまうんだ。
という知識があっての手洗いしなさいというのか。
裏付けの説明なしにに手洗いしなさいというのか。
サイエンスに裏付かないと、
宅配の配送員に対して消毒薬を振りまくというような
狂気的な行動につながるんだなと思いながら聞いていました。
「科学」は受験対策の知識ではなく生きるための知識ですね。
学術会議が政府機関である必要性とは?
学問というのは
「それでいいのか?」「本当にそうなのか?」常に疑問を持たないと成立しない。
例としてあげられていたのは人体の細胞の数、
これまで60兆個、としていわれてきたのだけれど、37兆個というのがわかった。
(調べかた~細胞一つの重さから導き出して、という方法だったのが最近べつの方法で、37兆個というのがわかった)
一朝一夕で成果が出るものではないというのが科学。
疑問を持ち続けることで発展していく。
第二次大戦の時、政府にたてつくものは全部排除されていった。
東大総長に海軍出身の平賀氏がなったあたりから軍に都合がよい学問という風に変わっていった。
そして泥沼の戦争に突入していった。
政府内部にいて、「それでいいのか」と専門的知識でもって疑問を投げかけるのは学術会議の大切な役割。
(イエスマンだけの組織は崩壊していくよね)
今回、6人が任命されなかった理由がどんどん後付けで出てくるが、
まずは学術会議への攻撃、
構成メンバーにはお金がたくさん支給されているというデマ。
学者には交通費くらいしか支給されてないよ。
旧帝大出身者に偏っている、じゃ立命の先生はどうなん?
男性に偏っている、じゃ加藤陽子先生は?
というような論議をすると、そもそも相手の土俵に乗っかかってしまっている。
そもそも、学術会議に推薦される要件は、
「学問に功績のあった人」であって、バランスとか言うものではない。
その任命拒否は、学問の自由の侵害以前に、優れた学問の拒否、科学の拒否につながるんだ。
うんうんなるほど。
漢字が読めない首相が三代続いて、ついには学問を認めない首相となってしまった。
しっかりとした説明をしないというのは国民を馬鹿にしている。
マスコミはすぐに新しい話題に飛びつくし、今は俳優のひき逃げ事件ばっかりやってるし。
すでに大政翼賛体制になっているんではないか、
こんなこと書いていたら弾圧される社会になっていくような気がする。