Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

「オデッセイ」考2

2016年08月12日 20時50分52秒 | 映画


見事な擬態、と言いたいけれど育ちすぎ!!笑
わかりますか?
枝よりもはるかにぶっとい
食欲旺盛な我が家の クワエダシャク

とはいえやはり気がつかず、枝かと思って持っちゃった(@_@;)
ぐにゃっ!ときて初めて気がついた
ずいぶん葉っぱをやられました。





ところで、
前回の続き
悪役の出てこないSF映画「オデッセイ」で
登場人物が全員能力の高いエキスパートで、力を合わせて目標を達成するが
美術・芸術はどうか、というところだった。
映画のストーリーが壮大なので、こちらも壮大に考えてみた。

「美術・芸術は人類から必要とされているか」
という問いを立て次に
「絵を描いている私は人類から必要とされているか」
と問うてみる。
全く必要とはされていませんね・笑

必要とされるには、何かに貢献するしかない。
それには、自分が何に貢献できるか考え行動するしかない。
大きく構えすぎかもしれないが、
この貢献は人類に対する貢献であって
社会貢献とは違うものでありたい。

新しい視点、見過ごされているもの、
今の常識に対する異議申立
それが単なるエゴを超えれば
必ず共感・協力を得ると思うのだが甘いだろうか。

そして思うに、全員にその気概があれば
(せこい下心なしに)

足を引っ張りあってる暇はないだろう。
そして、自分ができないことをやっている
同じ志の人と組むのだな~んて
ありえないのでしょうけど、諦めませんよ。





ところで、先ほどの問い
「美術・芸術は人類から必要とされているか」と日本人に問えば
ほとんどの日本人はYesと答えるだろう。
じゃあ
「美術・芸術はあなたにとって必要か」と問うならばどうだろう?
もちろんそこには「どのように必要か」という問いも含まれている。
そしてそれが

「哲学はあなたにとって必要か」という問いに
置き換えることが可能なことを
どれだけの人が了解してくれるだろうか。

(理屈っぽくて疲れるので、続く)



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