‐試写会のワナ‐
そもそも、試写会の観客というのは本物の観客ではない。 何故なら、映画を求めて映画館に来たワケではないからだ。
スニーク・プレヴューなどは特にそうで、そもそも何の映画を観せられるのかすら知らないのだから、求めようがない。
ジャッキー・チェンのファンがエイゼンシュテインを観ても、面白いと思うワケがない。(注:筆者はどっちもスキですが) そもそも基準が違い過ぎる。 現代の映画に慣れた観客にいきなりエイゼンシュテインを観せても、喜んでくれるハズがないのだ。
スニーク・プレヴューという試写会自体が、全く以って無意味なモノである。 少なくとも、映画のタイトルや主演、監督を知らせた上で行うべきである。 それならば、試写会に集まる観客は、少なくともその映画を求めてやってきた“本物の観客”だからだ。
1995年に公開された映画、『12モンキーズ』は、『ブレードランナー』と同じくピープルズが脚本を手がけ、ブルース・ウィリス、マデリーン・ストゥ、ブラッド・ピットというビッグスターが出演し、鮮烈なヴィジュアルセンスが高く評価されていたテリー・ギリアムが監督した大ヒット作だが、公開に先立って行われた試写会の結果は、『ブレードランナー』と同じく批判的な意見が集中した。 映画『ブレードランナー』と同様、『12モンキーズ』もかなり難解な作品だったからだ。
ギリアム監督以下、主要スタッフは協議を重ね、エンディングの差し替えを含めた再編集を検討した。 が、この会議の席上、スタジオ側の担当者はなんと「映画を変えるな」と指示。 ギリアム監督は、半信半疑ながらこれに従った。
結果、この決断は英断となり、映画は低予算映画とは思えないほどの世界的大ヒットを記録した。(注:この作品に関する詳細は、筆者個人ブログ『週間! 朝水日記』内の記事を参照されたし)
映画『ブレードランナー』でも、これは全く同じであった。 映画を求めていない観客にとっては、それがたとえ歴史的名作と言われている『サウンド・オブ・ミュージック』や『シンドラーのリスト』であったとしても、求めていないのだから「面白い」とは感じられないのである。
このように、スニーク・プレヴューなる試写会形式は、映画にとってマイナスにしかならないので行うべきではない。 映画を求めていない観客に振り回され、致命的な改変が行われた『ブレードランナー』は、映画を求めてきた観客に酷評され、大失敗に終わった。
スニーク・プレヴューの観客は、決して“本物の観客”ではないのだ。
映画『ブレードランナー』におけるモノローグとハッピーエンディングに対する酷評は、まさにこれを立証した例と言えるだろう。
ちなみに、日本での公開時にもこのインターナショナル版がリリースされたワケだが、後のソフト化の際には日本国内では劇場公開版と何一つ変わらないのに“完全版”と題されてリリースされた。 アメリカ国内でリリースされたソフト版に、そういうアオリ文句が入っていたためと思われる。
また、アメリカ以外では、後述するディレクターズ・カット版がリリースされるまで、これ以外のバージョンが劇場で公開、またはリリースされた例は無い。 少なくとも、公式な記録上はそうなっている。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!
展示室。
※Felmoon Air Fortress Ver.1.2
プレイ動画『天空の城』でも紹介されていた古代エルフ族の遺産。 文字通りの“天空の城”。 持ち家として利用出来、蒐集したアイテムの保管場所に最適。 外観が異なる『Dawn』(注:キレイ)と『Dusk』(注:荒れ放題)の2種類から選べるが、ロケーションが同一で競合するため同時に導入出来ない。 今回は『Dawn』をセレクトしたが、espファイルのみのシンプルなMODなので、導入がとてもラク。
出入り口から向かって右側にあるのは展示スペース。 陳列ケースが並び、収納も豊富なので集めたアイテムを飾っておくのに便利。 照明具を置くとさらに良くなる。
ただし、アイテムの数が増えるとこの区画だけ異常に重くなる事があるので注意が必要。
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"BLADERUNNNER" 30th Anniversary #10-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
暑中お見舞い申し上げます。
梅雨が明けると同時に毎日暑い日が続いていますが、やはり昨年と比較して酷暑日(注:最高気温が35度以上)になる事が少なくなっているようです。 朝晩は涼しさを感じる日もあるし。
その分、多少なりとも過ごし易い夏になっているのではないかと思いますが、やはり暑いモノは暑い! しかも、夏本番はまだまだこれから。 熱中症などにはくれぐれもご注意下さい。
ってコトで、asayanから皆さまに暑中見舞いを兼ねてこんなモノを紹介したいと思います。(↓)
PCゲーム、HL2のMODゲーム、『Nightmare House2』のプレイ動画です!
元々、『Nightmare House』はHL2のミニMODとしてリリースされましたが、特にコレといったストーリーがあるワケでもなく、ただ単に偶然迷い込んだお屋敷が恐怖の館だったというだけのモノでしたが、これにオリジナルの武器やモデリング、テクスチャーを改変したレベルデザインにした『Nightmare House Remake』になってストーリー(らしきモノ)が与えられ、さらにその続編として中規模程度のシッカリとしたストーリーが与えられたのが、この『Nightmare House2』です。
僕もやってみましたが、まーコレが怖い怖い。(笑) 無印やリメイクの時もそうでしたが、このシリーズはとにかく恐怖演出が秀逸。 さらに、“2”になって明確なストーリーが与えられた事でこれに拍車がかかり、もうトリハダモノの怖さです。
エクソシスト? リング? ブレアウィッチ・プロジェクト?
ヌルいヌルい!
これまで観てきたどんなホラー映画も、この『Nightmare House2』には敵いません。
そんな、足元からジワジワと攻めてくるような恐怖演出に背筋を凍りつかせて、暑い夏を乗り切って下さい。
ちなみに、ストーリーは比較的分かり易い内容で、しかもフルボイス化されており、音楽やグラフィックのモデリングなども含めて、MODゲームとしての完成度もかなりのモノ。 CVの演技力が高く、最後まで観ればイミが分かります。
ただし、最後まで観れれば、ね?(ニヤリ)
ではでは、今週も連載コーナーからどうぞ。
‐Alice in Cyrodiil:2nd Season‐
AiC2nd、デイドリック・クエスト編。 今回は、あえて“アレ”を飛ばしてナミーラのクエストです。
場所はコチラ。(↓) ブルーマの東、DLCのスペルタワーの近くにある神像でクエストを受ける事が出来ますが、クエスト開始条件がやや特殊で、必須レベル5以上で、“パーソナリティー(魅力)が20以下”でないと受ける事が出来ません。
Aliceちんはプレーヤーと違って人格者なので、パーソナリティーが50以上あって通常のやり方ではクエストが受けられません。
魔法などで下げる方法もありますが、一番簡単なのはお酒を使う方法です。 チープワインを3本(注:シロディール各地の酒場や宿で簡単に買える)買って神像に向かい、その場でワインを飲み干すとアラ不思議。 パーソナリティーはあっという間に20未満に。 酔っ払いになれば嫌われ者になれるというワケです。
んで、この状態で神像に話しかけると、ナミーラ様より有り難いお言葉を頂き、“信者たちに復讐を果たさせよ”という血生臭いクエストを特殊な魔法と共に授かります。
クエストを受けたら、神像の南にあるAngaというアイレイドの遺跡に向かいます。 すると……。 そこには数人のアーキーの僧侶(注:緑色のモンクローブを着ている人)と信者(注:みすぼらしい格好の人たち)がいます。
この、アーキーの僧侶に先程ナミーラ様より授かった特殊魔法をかけます。 すると、信者たちが一斉に僧侶に襲い掛かり、彼らは自らの復讐を果たします。
……って、別にPCが手伝う必要なんかないんじゃないか? というツッコミはKY発言なので言わぬが花です。(笑)
僧侶全員が倒されたら、クエストは完了です。 神像に戻って再びナミーラ様より祝福を賜りましょう。 んで、コチラが今回の報酬。
『Ring of Namira』といういかにもそのまんまな名前の魔法の指輪ですが、効果は12%の物理反射と10%の魔法反射。 地味ですがTESⅣでは、こうした地味なアイテムが意外に効果が高く、乱戦状況では結構役に立ちます。
何だかよく分からないクエストですが、スニークする必要はないので難易度は低め。 クエスト開始条件さえ満たせれば、簡単に攻略出来るクエストです。
ちなみに、ナミーラは古代の暗黒を司るデイドラで、クモやヘビなどの忌み嫌われる存在の神でもあるとか。 子鬼を連れた女性の姿をしているそうです。
以上、今週の連載コーナーでした。
では引き続き、今週の特集コーナーをどうぞ。
<今週の特集>
今週の特集コーナーは映画『ブレードランナー』の徹底解説シリーズ、『異説「ブレードランナー」論』の連載第10回です。 いよいよ二桁突入です。
前回までの記事を読みたい方は、画面右側のカテゴリー欄より、“異説『ブレードランナー』論”のリンクをクリックして下さい。
第5章:量産‐7つの異版
前章で記した通り、映画『メトロポリス』は様々な紆余曲折の果てに芸術家の意図から外れた異版が多数製作、公開された事により、後の再評価後の映画ファンを少なからず混乱させる事になった。
ただ、『メトロポリス』にとって幸いだったのは、ポロック版やモロダー版といった異版の存在が、観客の作品に対する解釈をねじ曲げなかった事である。
公開された異版そのモノは、ポロック版にしろモロダー版にしろ、オリジナル版をねじ曲げた改悪がされていたにも関わらず、モロダー版の直後に公開されたパタラス版により、本来の解釈に修正する事に成功し、ポロック版やモロダー版を“無かった事”に出来たからだ。 BD版がリリースされた現在は、本来の芸術家の意図から外れた解釈をしているファンは、誰一人としていないだろう。
トコロが、この『メトロポリス』を原典としている『ブレードランナー』は、ヴィジュアルのみならず、テーマや本質、さらには公開後に作品がたどった運命までもが奇妙な一致を見せているにも関わらず、この最後の一点だけは、一致するに至っていない。
映画『メトロポリス』と同様に、多数の異版が混在する事になった『ブレードランナー』は、作品の解釈を修正するに至らないドコロか、逆に新たな異版がリリースされる度にファンを混乱させただけだった。
それはナゼか?
その答えを探るため、この項では『ブレードランナー』の異版を検証、考察していく事にする。
‐異版の定義‐
一般に、『ブレードランナー』のバージョンは5つ、すなわちワークプリント版、アメリカ国内版、インターナショナル版、ディレクターズ・カット版、そしてファイナル・カット版と考えられているが、実は違う。
この5つのバージョンは、飽くまでも“現存するバージョン”であって、現存していない他のバージョンに関しては、現存していないだけに正確な相違点が判明していないモノも多く、不確定情報を含めると数え方や考え方によっては、現存するバージョンも含めて合計で7つとも12とも言われている。
本書では、様々な記録を検証した結果、現存する/しないに関係なく、“明確に相違が認められ、且つそれが何らかの形で記録に残っているモノ”を一つのバージョンと定義し、この定義に当てはまる異版を合計で7つとした。 以下に、それぞれのバージョンの概略を公開された順に記していく。
なお、TVでのOAバージョンは、アメリカ国内外を問わず全て無視する事にした。 TVでのOAによる相違は、TVメディアの放送時間枠やレーティングの関係による改変であり、芸術家ドコロかスタジオも感知しない改変のため。
ってゆーか、これまで含めてしまうと、放送された国ごとにビミョーな相違があるため、数え方や考え方によっては100とか200とか、そんなとんでもない数になってしまう上、筆者一人では絶対に全部を把握し切れないので。
では改めて、以下に『ブレードランナー』の7つの異版を記していく。
1.ワークプリント版(初出:82年3月)
映画公開後、長らく“行方不明”になっていた幻のバージョンが、このワークプリント版である。
映画の公開に先立ち、アメリカのコロラド州デンバーとテキサス州ダラスでそれぞれ行われたスニーク・プレビュー(注:覆面試写会。 観客に映画のタイトルや内容を知らせずに行われる試写会の事で、公開前に複数回行われる事もある。 この結果を基に再編集が施される事も少なくない)と、1989年9月にマイケル・アリックによってフィルム倉庫から“発掘”された後、ロサンゼルスのフェアファックス劇場、UCLA、ニューアート劇場、カストロ劇場でそれぞれ、1990年5月、91年4月、91年9月に限定的に公開されており、当時はワークプリント版が“ディレクターズ・カット版”と呼ばれた。
このバージョンは、それ以降の他の異版(注:後述)と大きく異なり、メインタイトルのデザインに始まり、他のバージョンにはあるシーンが無かったりあったり。 他のバージョンには無いシーンがあったり無かったりする上、後に議論を呼ぶ事になる3つの要素、すなわちモノローグ、ユニコーンの夢、ハッピーエンディングは、いずれもこのワークプリント版にはない。
ただし、モノローグに関しては、クライマックスのロイが死ぬシーンに限り、一つだけモノローグが挿入されている。 が、後のアメリカ国内版、及びインターナショナル版とは内容が異なる。
サモンの検証によれば、アメリカ国内版、インターナショナル版、及びディレクターズ・カット版と比較して、合計70もの相違が認められるそうだ。(注:テクニカルエラーを含めれば、もうちょっとありそうな気もしないでもないが)
詳しくは、サモンの著書『メイキング・オブ・ブレードランナー』の『付録2:ブレードランナーのバージョンはいくつあるのか?』(注:同書539頁~549頁)を再読して頂きたい。 多過ぎてココでは書き切れねぇッス。
‐“編集”という仕事‐
トコロで、皆さんは“ワークプリント”の意味をご存知だろうか? 知らない方のために一応解説しておこう。
ワークプリントとは、撮影されたフィルムを切って繋げるという編集作業において、実際にフィルムを切った貼ったするための“作業用フィルム”の事である。
一般に、映画の編集作業というのは撮影が終了し、全てのフィルム素材が揃ってから開始されるポス・プロ作業だと思われているが、実はそうではない。
ポス・プロ作業の一環である事に変わりはないし、本撮影が終わってからも編集作業は行われるが、編集の仕事が始まるのは、本撮影がクランクインした翌日、すなわち撮影二日目が作業開始日となる。
前日に撮影されたフィルムは、夜中のうちに現像作業が行われ、翌朝のデイリー(注:ラッシュともいう。 撮影しただけの未編集のフィルムを試写する事)において、監督やプロデューサー、そして編集担当スタッフが協議し、編集者に編集方針を伝え、監督やプロデューサーは撮影に向かい、編集者は編集室で編集作業。 その日の撮影が終わると、監督やプロデューサーは編集室に立ち寄り、その日の編集作業の結果を試写して、OK/NGを指示する。
というのが、基本的な映画の編集作業の流れである。
要するに、映画の編集はフィルム素材が全て揃ってから行われるワケではなく、本撮影中も毎日行われるモノなのである。
ただし、この時編集に使用するフィルムがそのまま劇場公開時に映写機にかけられるワケではない。 撮影フィルムはそのままマスターとして保存され、編集にはマスターからコピーされたプリントが使用される。 この、実際の編集作業で作業用として使用されるフィルムが、いわゆる“ワークプリント”と呼ばれるコピーされたフィルムなのである。
現在の映画の編集作業には、Avid(注:アヴィッド、またはエイヴィッド)というシステムが一般的に広く利用されている。
これは、いわゆるデジタル編集機器の事で、一般のPCでも動作する動画編集ソフト、Adobe社のPremiereやマイクロソフトのWindowsムービーメーカー、インターネット社のニコニコ動画公式ムービーメーカーなどと同様に、撮影/現像されたフィルムをスキャニングし、動画ファイルにエンコード(注:AVI形式)してHDDに保存。 これをAvidに読み込んで、編集作業を行うワケだ。
80年代の後半になって登場し、90年代の初めまでにはほぼ完全に普及し、現在に至っている。
一般向け(注:個人ユーザー向け)の動画編集ソフトがそうであるように、Avidは実際にフィルムを切った貼ったする必要がなく、またフレーム単位での編集がラク、やり直しに手間がかからない、コピーによる劣化がないなど、様々なメリットにより急速に普及したが、ハード、特にHDDの増設に高い設備投資を必要とし、設備の維持、管理にもお金がかかるというデメリットもある。
いずれにせよ、こうしてデジタル機器によって編集された映画は、専用のプリンターでファイル化されていた映像をフィルムに戻し(注:これを“テレシネ”と呼ぶ)、上映用フィルムとして量産されるのである。
では、このAvidが登場する前、すなわち映画黎明期の20世紀初頭から1980年半ば頃までは、映画はどのように編集されていたのだろうか?
そう、実際に、フィルムを切った貼ったしていたのだ。
映画『ファイトクラブ』の中に、ブラッド・ピット扮するタイラー・ダーデンが子供向けのアニメ映画のフィルムにポルノ映画のフィルムをほんの一瞬だけ挿入するイタズラをしているシーンがあるが、Avidがなかった時代は、アレと同じくフィルムを切ってテープで繋げる形で編集作業を行っていた。
映画『ロジャーラビット』では、編集者がフィルムまみれになりながらスタジオの社長に映画を試写しているシーンがあるが、Avidがなかった時代の編集室は、実際にあんなカンジだった。
撮影された映画のフィルムというのは、我々一般人が想像するよりも遥かに大量で、映画にもよるが、メートルにして数万~数十万もの長さ(注:時間にして100~数百時間分)にもなるのだそうだ。 前出の『メトロポリス』では、合計130万メートル(注:約800時間分)にも及ぶフィルムが消費された。
もちろん、その全てを映画に使用するワケではない。 いわゆる別テイク、別アングルも含まれているし、ピンボケやゴミの進入、予定外のトラブルなどのテクニカルエラーや、セリフの言い間違い、演技の問題、映ってはいけないモノが映っていたなどのNGテイクも含まれる。
編集によって、これらの素材は切り捨てられ、いわゆる“アウトテイク”になり、最も出来の良いモノだけが映画に使用される。
編集とは、素材を取捨選択する作業でもあるのだ。
しかし、使用するフィルムは“僅か”2時間分でも、編集の対象となるのは撮影された全てのフィルム、すなわち数万から数十万、時には100万メートルを超えるフィルムである。 Avidがなかった時代の編集者の苦労たるや、想像に難しくないハズだ。
映画『ブレードランナー』が製作された1980年~82年も、まだAvidが登場する前だった。 そのため、編集のテリー・ローリングスは、編集室にこもってフィルムまみれになりながらフィルムを切っては繋ぎ、繋いでは切るを繰り返した。
しかも、『ブレードランナー』の編集は脚本が二転三転したため、せっかく繋いだシーンも結局はNGになる事も少なくなかった。
映画『ブレードランナー』の編集作業は、「映画は編集室で作られる」という言葉をまさに地で行く作業の繰り返しだった。
このように忙殺された作業の繰り返しだったため、映画の完成は遅れに遅れ、デンバーとダラスで行われる予定が決まった試写会には、結局間に合わせる事が出来なかった。 観客には、予めフィルムを繋ぎ合わせた跡や、特殊効果が完成してないショット、編集作業中の書き込み、一部の音楽が他の映画に使用された楽曲を流用したテンプトラック(注:仮音楽)である事などを断った上で試写会が行われた。 実際、ワークプリント版には未完成のショットが含まれていたり、終盤の音楽が完成版と全く異なる音楽になっており、編集そのモノにも荒さが目立つ。
しかし、後にフィルムが“発掘”され、リマスター版やファイナル・カット版がリリースされるまで決して観る事が出来なかったホッケーマスクのダンサーやアニモイド・ロウの俯瞰ショットなどが含まれ、なおかつ唯一挿入されたモノローグが完成版とは内容が異なるなど、映画『ブレードランナー』の世界観を大きく拡張し、なおかつ二転三転した映画製作の舞台裏とその苦労を垣間見る事が出来るバージョンと言えるだろう。
作品の解釈という意味においては、モノローグとハッピーエンディングの欠如、ユニコーンの夢の欠如などの点から、アメリカ国内版/インターナショナル版と、ディレクターズ・カット版/ファイナル・カット版の中間、両者の仲介役を果たすモノがあるのではないかと思う。
ちなみに、これに先立って関係者向けの試写会がゴー・ミリオン・サウンドスタジオで。 一般向けの先行スニークプレビューがヴァン・ナイズ劇場でそれぞれ行われているが、この二つの試写会は記録が残っておらず、上映されたのがワークプリント版と同じかどうかは定かではない。 そのため、本書では先に示した定義に従い、これらを無視する事にした。
2.サンディエゴ試写会版(初出:82年5月)
映画公開直前の1982年5月に、サンディエゴで最後の試写会が行われている。 そして、その時上映されたのがこのバージョンである。
デンバーとダラスで行われた試写会の惨憺たる結果に、スタジオ側は映画の失敗を危惧して追加撮影のための予算を承認し、デッカードのモノローグの収録とハッピーエンディングの撮影が行われた。
これらの追加要素が加わり、ワークプリント版にあったいくつかのショットをカット。 さらに、ようやく完成した特殊効果と音楽に差し替えられ、完成版に最も近い編集になった初めてのバージョンでもある。
ただし、最終的な完成版(注:インターナショナル版)とは3ヵ所に相違が見られ(注:『メイキング・オブ・ブレードランナー』549頁~550頁参照)、内2ヵ所はこのバージョンでしか観る事が出来ないショットであった。
しかし、2001年にチャールズ・ド・ロージリカが破棄される予定で忘れ去られたまま倉庫の奥で眠っていた977点に及ぶフィルム素材を“発掘”し、47分のアウトテイク版(注:後述)が編集され、25周年記念盤の特典映像として収録されたが、失われた二つのショットの内の一つ(注:デッカードがブラスター銃のリロードをするショット)はアウトテイク版にも収録されておらず、紛失したまま現在に至るも見つかっていない。
そのため、このバージョンが一般の目に触れたのはサンディエゴ試写会、ただ1回きりのみで、現在もこのバージョンのフィルムは見つかっておらず、事実上、相違の記録が残っていながらも完全に失われてしまった幻のバージョンになっている。
3.アメリカ国内版(初出:82年6月)
デンバーとダラス(と、それ以前の複数の試写会)、そしてサンディエゴの試写会を経てようやく一般公開された“完成版”が、このバージョンである。
ただし、本来の“完成版”は後述のインターナショナル版であり、このバージョンにはインターナショナル版にある複数のショットがカット、あるいは簡略化されている。 すなわち、このバージョンは本来あるべき“完成版”ではないのだ。
とは言え、この短縮化は映画を公開するためにはやむを得ない措置であった。
何故なら、レーティングの問題があったからだ。
‐“レーティング”という制約‐
日本でもそうだが、アメリカにも映画に対する厳しいレーティングがある。 これは、主に過剰な性描写や暴力表現を規制するためのモノで、PG‐13、R‐16といった形で鑑賞年齢制限を設けるためのモノである。
こうして、ある程度の年齢制限を設ける事で、青少年の精神衛生的健全性を保つのが目的である。
日本でもアメリカでもあまり大きな違いはないようだが、一般的に、複数の審査員が映画を試写し、レーティングを決定するワケだが、飽くまでも審査員の映画を観た印象が基準になっており、正確に“○○以上××以下”というような基準があるワケではない。
……まあ、元々が映画という千差万別のモノを対象にした審査のため、定規のような基準が作れないのだろうが、曖昧と言えばかなり曖昧な基準である。 審査員の個人的な好みの問題もあるだろうし。
こういう曖昧なトコロは、ある意味裁判に似ている。 法律という基準があるワリに、裁判の判決の最終的な決定は、裁判長の裁量に一任されていたりする。 そのため、裁判では裁判官に対する“心象”というヤツがしばしば重要視される。 これを無くすために、日本では欧米諸国の陪審員制度に倣って裁判員制度が“復活”(注:“導入”ではない。 日本でも、かつては陪審員制度が導入されており、これまで“休止”されていただけで“廃止”されていたワケではないので)したワケだが、結局は裁判官が裁判員に代わっただけで、“心象”の重要性に変化は無い。
結局のトコロ、最終的な判断は個人に一任するしかないのだ。 どう取り繕うとも、言葉なんてモノは結局は受け取り手の考え方一つで、いくらでも違う意味になってしまうのだ。(注:折り紙のユニコーンとかね?)
もちろん、だからと言って何でものべつまくなしに許可して良い、というワケではない。 たとえ最終的な判断は個人に一任するしかなくとも、その判断を誤らせないためのある程度の指針は必要である。 そうでなければ、(極めて極端な話しだが)ディズニーアニメでさえ、観る人によっては無修正ノーカットのゲキヤバポルノになってしまう。
実際、先の章で取り上げた『メトロポリス』は、一応全年齢の作品だが、実際には結構エロい。 冒頭の永遠の園の女性たちや、後半のニセモノのマリアのダンス、さらには七つの大罪の肉欲の彫像(注:実際には、中にマリア役のブリギット・ヘルムが入っている)の造形は、確かな意図を持った性描写である。 1920年代という当時の時代背景から考えれば、当時としてはかなり直接的な表現だったに違いない。(注:ただし、当時の映画は娯楽よりはむしろ芸術としての価値が高く、飽くまでも“芸術的表現”とみなされていた可能性は否定出来ない) 今観ても、モノクロなのでかろうじて許されるという程度で、これがカラーだったら確実に審査員からカットを要求されるトコロである。
暴力表現だってそうだ。
映画ではないが、先に例を挙げたPCゲーム、『アリス・イン・ナイトメア』は、アリスがナイフ片手にクリーチャーをバッサバッサとブッた切りながら不思議の国を冒険するスプラッタ表現が“売り”のゲームだし、テロリスト対特殊部隊をモティーフにしたオンライン対戦型のFPSゲーム、『カウンター・ストライク:ソース』は、物理演算エンジンによるリアルなモーションがゲームの“売り”の一つだが、銃で撃たれた時のモーションが妙にリアルで、流血表現にしても壁や床に血が飛び散る様はかなりのリアリティだ。 過剰とまでは言わないが、マリオやカービィやポケモンのように子供にオススメ出来るゲームとは決して言えないのは確かだろう。
こうした性描写、及び暴力表現に歯止めが効かなくなり、映画はもちろんゲームやアニメが青少年の精神衛生上よろしくないとされ、これらの娯楽がしばしば問題視されるのもまた事実だ。 日本では、宮崎勤事件がキッカケでオタク文化が槍玉に挙げられた(注:事件当時、白い目で見られながらもある程度容認されていたトコロがあるオタク文化が全面的に否定されるキッカケとなり、後の児童ポルノ禁止法に発展したのは言うまでもないと思う。 しかし、映画にまでなった“アノ小説”をキッカケにオタク文化が再興し、現在のAKB48や初音ミクなどに発展していったのは、実はオタク文化と事件との因果関係が無かった事を立証し、事件は飽くまでも宮崎死刑囚個人の問題であった事を浮き彫りにしたと言える)し、アメリカでは1999年に発生したコロンバイン高校銃乱射事件(注:“トレンチコートマフィア”を名乗る二人の学生が学校内で無差別発砲し、多数の死傷者が出た事件。 後に、これを題材にした映画が製作されている)をキッカケに、ゲームや映画の暴力表現が問題視され、同年に公開された映画『ファイトクラブ』は、実際には事件とは全く関係無い(注:同年公開だが、実際の公開は事件の半年“後”)にも関わらず、マスコミに批判されて映画の興行的失敗へと発展した。(注:ただし、その後のソフト版のリリースで再評価され、現在はカルト映画として高く評価されている)
こうした映画の社会的影響を考えた時、(因果関係の有無に関係なく)ガイドラインとしてのレーティングはやはり重要であると言えるし、必要なモノである。
しかし、実際には先に記したように飽くまでも受け取り手個人の判断に最終的な判断を委ねているのが現状で、結局は個人の問題になってしまっているのは遺憾ともし難い。
結局のトコロ、問題なのは観客の気の持ちようなのである。
ただ、商業的な側面から見ると、このレーティングというシステムは社会的影響云々以前に邪魔者でしかない。 何故なら、芸術家の意図たる言論の自由とか表現の自由とか法的権利云々以前に、レーティングによって鑑賞年齢制限がされると、観客の絶対数が減ってしまうからだ。
例えば、レーティング無し(注:全年齢。 ディズニーアニメなど)を10とした場合、PG‐13で7、R‐16で5、R‐18で4以下、というように、観客の絶対数の減少は、そのまま興行収益の比例を招く。 一人でも多くの観客を呼び込み、1円でも多くの利益を上げたいスタジオ側にとっては、低いレーティングの取得は絶対条件になり得るのである。
そう、ココでも、出資者の思惑と芸術家の意図との対立が起こり得るのである。
もちろん、映画のモティーフやジャンル、ストーリーによっては必然的にレーティングが上がってしまう事はある。 サイコスリラーやホラーでスプラッタ表現が無い事などあり得ないし、シャロン・ストーンが出演しているのにベッドシーンが無いなどナンセンスだ。(笑)
そういった点は、スタジオ側もさすがに妥協を強いられる(注:代わりに制作費の制限という形で芸術家も妥協を強いられる)が、そういった要素が小さい場合、スタジオ側は芸術家に妥協を強いる。 すなわち、レーティングが上がる原因になりそうなショットを予め、あるいは審査員の指摘に従ってカットするよう指示するのである。
映画『ブレードランナー』では、“回収”という物語の主軸の関係上、ある程度の暴力表現が必要だったが、主に二つのシーン(注:ロイがタイレルを殺すシーンと、デッカードとプリスの格闘シーン)の一部をカットする事で、R‐16指定が回避された。 アメリカ国内版とは、PG‐13取得のために暴力表現が緩和されたバージョンなのである。
ただし、スコット監督もこのカットは必要性を理解しており、特に反対はしなかったようだ。 実際、後のディレクターズ・カット版でも、このカットされたショットは戻されていない。
ちなみに、後のソフト版(注:VHSやLD)のリリースの際は、アメリカ国内でもインターナショナル版が先にリリースされ、アメリカ国内版は映画が再評価されるようになった後になってからリリースされている。
また、映画『ブレードランナー』の暴力表現が、実際に起こった事件と関連付けられてマスコミに叩かれたような事実は無い。 それがインターナショナル版であっても、である。
4.インターナショナル版(初出:82年~83年)
さて、問題のインターナショナル版である。
本来、サンディエゴ試写会版から微修正されて“完成版”として公開されるのは、このインターナショナル版のハズだった。
しかし、アメリカ国内での公開に際し、PG‐13取得の必要性から暴力表現の強いシーンが短縮されて公開されたため、本来の“完成版”であるこのインターナショナル版は、海外版としてアメリカ以外の諸外国でしか公開されず、アメリカのファンがインターナショナル版を観るためには、結局VHSやLDなどのソフト版リリースまで待たなければならなかった。
既に述べたように、このバージョンにはアメリカ国内版にはなかった暴力シーンが残っているワケだが、モノローグ、ハッピーエンディング、ユニコーンの夢という『ブレードランナー』という作品に対する解釈を左右する3つの要素に関しては、サンディエゴ試写会版、及びアメリカ公開版と全く違いは無いので、これら3種の異版は(作品の解釈という意味において)同一と考えて良いと思われる。
さて、その3つの要素についてであるが、ユニコーンの夢については、後述のディレクターズ・カット版で詳述するとして、ココではモノローグとハッピーエンディングの2点に絞って解説する事にしよう。
‐不適切なアイディア‐
まず、映画全編に渡って事ある毎に挿入されるデッカードのモノローグ(注:ナレーション、あるいはヴォイス・オーバーとも言う。 映像に関係なく、音声だけで独立したセリフの事で、キャラクターの心境を語る時に使われる場合が多い。 小説における地の文と解釈する向きもあるようだが、筆者はそれとは異なる視覚メディア独自の“演出”だと考えている)についてだが、サモンの『メイキング・オブ・ブレードランナー』でも言及されている通り、これは元々はフィンチャー、ピープルズ、スコットの3人によるアイディアだった。
最初、モノローグを入れようと提案したのは、誰あろうスコット監督自身であった。 スコット監督は、『ブレードランナー』に往年のフィルムノワール的演出を導入しようと考え、デッカードが小さな手がかりを頼りにレプリカントたちを追い詰めていくようなディテクティブ・ストーリーにしたかった。 これを強調する意味で、自然とフィルムノワールの代名詞とも言うべきモノローグ演出を思い付いたようだ。
このアイディアにはフィンチャーも同意し、初期の脚本には(完成版とは大きく異なるモノの)全編に渡ってデッカードのモノローグが適宜挿入されている。
フィンチャーが降板した後、その後任を任されたピープルズも、フィンチャーの書いたモノローグを出来る限り残し、脚本の改稿を重ねた。
しかし、本撮影に入って間もなくの頃、スコットの考えが変わり、脚本からはモノローグがカットされた。(注:ただし、ロイが死ぬシーンのモノローグだけは最後まで残され、ワークプリント版に挿入された。 原稿はフィンチャーによるモノ)
トコロが、その後もスコットの考えは二転三転し、モノローグの問題はポス・プロ段階までもつれ込んだ。 スコット自身、“フィルムノワール”という要素を捨て切れなかったのだろう。
このモノローグに関して、早い段階から反対を明言していた人物が3人いた。
一人は、原作者のフィリップ・K・ディックで、フィンチャーが書いた初期の脚本にあったモノローグを指して、「必要ない」と反対していた。
二人目は、デッカードを演じた当の本人であるハリソン・フォードで、撮影中から「不要だ」と主張し、スコット監督と何度も議論を重ねたという。
三人目は、編集を担当したテリー・ローリングスで、モノローグを「説明過剰だ」と言って反対し続けていた。
しかし、この3人の主張にもスコット監督の迷いは拭えず、ポス・プロ段階でモノローグの収録を決定し、スタジオにフォードを呼び出した。
この収録は、これも含めて最終的に都合3回も行われる事になるのだが、最初の2回はスコット監督の指示で行われている。
1回目は、ダリル・ポニクサンという脚本家によって台本が書かれたが、スコットがNGを出したために全ボツになった。
2回目は、ピープルズによって台本が書かれた。 ピープルズは、以前の脚本にあったモノローグを改稿してこの台本を書いたが、かなりの難産になったようだ。 何せ、必要の無いモノだったから!
フォードも、この時の収録にはフラストレーションを爆発させていたようだ。 何せ、やりたくない仕事なのだから!
この2回目の収録で録られたモノローグは、その後、後述の47分短縮版に収録される事になったが、確かに説明過剰で、雰囲気は良いのだがせっかくのヴィジュアルが台無しになっている感は否めない。
ともかく、そんな出来のモノローグなので、当然浮いてしまって映像には全く合わず、何をどうやっても上手くいかなかった。 時ココに至ってようやく、スコット監督はフィルムノワールへの固執を捨て、「やっぱり止めよう」という決断を下した。 収録したモノローグはそのほとんどがお蔵入りになり、ワークプリント版に残ったのは、結局フィンチャーが最初に書いたロイが死ぬシーンのモノローグ、ただ一ヵ所だけだった。
芸術家の意図が二転三転した結果、モノローグ演出は一周回って最初に戻ったワケだ。(注:まあ、それ自体はよくある事ではあるのだが)
こうして、モノローグは結局諦められた要素になったワケだが、この状況が急変する事態が起こった。 デンバーとダラスの試写会の大失敗である。
主に、「解り難い」、「エンディングが暗過ぎる」といった批判が集中し、主要スタッフの協議の結果、スタジオ側の指示を受け入れる形でモノローグの再収録とハッピーエンディングの追加撮影が行われる事になった。
しかも、モノローグの再収録では、スコット監督はもちろん、フィンチャーもピープルズすらも参加させてもらえなかった。 スタジオにやってきたフォードが一緒に仕事をしたのは、レコーディングエンジニアとローランド・キビーという、フォードが会った事も無い人物だった。(注:この他に、キャティ・ヘイバーとバド・ヨーキンも収録に立ち会っている)
キビーは、主にTVで脚本やナレーション台本を書いている脚本家で、バド・ヨーキンが連れてきた人物であった。 最終的に、この3回目の収録が“完成版”のモノローグになるワケだが、あのモノローグの台本を書いたのは、フィンチャーでもピープルズでもなく、本来は『ブレードランナー』とは全く関係の無い、言わば“部外者”によって書かれたモノだったのである。
当然、元々モノローグ演出には反対しており、加えてこれが3回目の収録になってウンザリしていたフォードはやる気など全く無く、最終的に不採用になればいいと考え、ワザとぶっきらぼうにモノローグを読み上げた。 実際、映画のモノローグにはやる気が感じられず、テキトーに読んでいる感がありありと表れている。
トコロが、映画にはコレが採用されてしまう。 もう公開までの時間が少なく、録り直しているヒマなどなかったのだ。
だが皮肉にも、このモノローグは内容はともかくとして、フォードのぶっきらぼうでやる気の無いテキトーな読み方が、仕事と私生活に疲れたデッカードのキャラクターに合っており、無駄なだけで説明不足な内容が逆に映像にピッタリとハマってしまった。
スコットは、強いられたとは言っても一応の納得はしていたようだが、モノローグの再収録を知らされていなかったフィンチャーとピープルズは、公開直前のサンディエゴ試写会でこのモノローグを初めて聴く事になった。 しかし、自分が書いた憶えのないモノだったため、互いに「勝手な事をされた」と思っていたと言う。(注:しかし、後にこの誤解は解け、二人の笑い話になったそうだ)
公開後、批評家や観客からは、このモノローグに対して批判が集中した。 理由は、ヒドく簡単だった。 不要だからだ。
映画『ブレードランナー』のストーリーは、ハリウッド映画らしくいたってシンプルだ。 要は、デッカードが仕事としてレプリカントたちを“回収”していくだけのハナシである。 多少のご都合主義的展開(注:ゾーラを“回収”した直後に突然リオンが現れたり、レイチェルに助けられたりするなど)はあるモノの、映画としては許せるレベルだし、スパンコールやヘビのウロコからゾーラを探し当てたり、タイレルの死亡が警察に通報された事でセバスチャンの住居にアタリを付けるなど、ディテクティブ・ストーリーとしての要素もしっかりと描かれ、ストーリー的に不明瞭なトコロなど、この映画には一切存在しない。 試写会の観客が「解り難い」と指摘したのは、実はストーリー的な事ではなく、“この映画は結局何が言いたいのか?”という、テーマやメッセージ、本質の事である。
その意味を履き違え、スタジオ側はストーリーを補うモノローグを付けてしまい、逆に観客をイラつかせる結果になってしまったというワケだ。
まさに、ローリングスの言った事がそのまま、現実になってしまったのである。(注:『メイキング・オブ・ブレードランナー』311頁参照)
‐場違いなエンディング‐
このサエないモノローグ以上に観客を困惑させたのが、あの悪名高きハッピーエンディングである。
デンバー/ダラスの試写会後、「エンディングが暗過ぎる」という指摘に従って追加されたこのハッピーエンディングは、スタジオ側が追加撮影に同意し、追加予算が捻出されてポス・プロ中に撮影された。
しかし、このハッピーエンディングもまた、モノローグと同様に最初は予定されていたモノで、脚本はもちろんストーリーボードにもなっていたシーンであった。
トコロが、撮影される予定が予算的、時間的制約のために未撮影のままに本撮影が終了。 結局撮影出来なくなってしまった。
そこで、スコット監督は方針を変更し、このハッピーエンディングを完全に捨てる事にした。
だが、試写会の結果のためにスタジオ側がハッピーエンディングの追加を指示し、お金と時間が与えられる。
こうして、このハッピーエンディングは撮影されたワケだが、最後の山々の稜線に夕日が沈むショットだけは、撮影はされたが映画には使われなかった。 当日は天候に恵まれず、キレイな夕日が撮影出来なかったのだ。
そこで、スタッフはある映画から似たようなショットを“借用”する事にした。 それが、スティーブン・キング原作、スタンリー・キューブリック監督、ジャック・ニコルソン主演の傑作スリラー、『シャイニング』(80年)である。 あのエンドショットは、『シャイニング』のオープニングショットのアウトテイク、約3万フィート分のフィルムの中から“借用”されたショットなのである。
こうして、ハッピーエンディングは完成し、“完成版”に追加されたワケだが、観客の困惑はもっともなモノだった。 結局のトコロ、映画に合わなかったのである。
オープニングから、映画は暗く陰鬱としたヴィジュアルで観客を圧倒していたのに、最後の最後にきて唐突にガラリと雰囲気を変え、妙に明るい、まばゆいほどの夕日がスクリーンいっぱいに映し出され、コンクリートとアスファルトに囲まれたメトロポリスたる2019年のLAから、カナダかニュージーランドのような緑溢れる世界に一変する。
そう、このいかにも取って付けたようなハッピーエンディング(注:事実“取って付けたモノ”だ)は、それまでの映画の雰囲気にそぐわない、全く以って“明る過ぎる”場違いなエンディングになってしまっていたのである。
映画に限った事ではないが、物語りの構成手法として最も確実に、しかも最もラクに物語りを構成出来る手法がひとつだけある。 それは、“最初から最後を決めておく”事である。
日本におけるTV、映画の脚本家の指南書として、今もなお“バイブル”であり続けている名著中の名著、新井一の『シナリオの基礎技術』の中で、新井は「オープニングシーンとエンディングシーンを最初に決め、その間を埋めていくべし」と説いている。
オープニング、すなわち物語りのスタート地点を最初に決め、次にエンディング、すなわち物語りのゴール地点を決める。 そして、スタートとゴールを線で結べるように、そこに至るまでの過程たるコースを埋めていくのである。
この方法だと、ゴール地点は既に見えている状態なので、距離がどうであれ道に迷う事は少ない。 方向が分かっているのだから、とりあえずでもそっちの方向に向かって進めば、その内たどり着ける。
しかし、ゴール地点が見えない状態だと、その“とりあえずでもそっちの方向”すら分からないため、すぐに道に迷ってしまう。 ゴールにたどり着くドコロか、ゴールにたどり着いても気付かずに通り過ぎてしまう事すらあり得る。 そういう事が起こらないように、“最初から最後を決めておく”事は、物語りを構成する上で最も重要な事なのである。(注:ただし、それが出来ない事もある。 連載形式のマンガとかね。 その場合は、作品の基本設定に“いつでも終わらせられる大前提”を入れておくと良い。 展開に詰まったら、その大前提を持ち出して物語りを終わらせてしまえば良い))
映画『ブレードランナー』は、まさにその“気付かずに通り過ぎてしまった”パターンの典型的な例なのである。
スコット監督自身は、ポス・プロ段階に至ってようやくコレに気付き、考えを改めたが、スタジオ側は試写会の観客に惑わされて気付けなかったようだ。
to be continued...
-"BLADERUNNNER" 30th Anniversary #09-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
先日の事、のほほぉ~んとPCに向かっていたら、こんなコトがありました。(↓) wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww!
いや、訊かれても。(笑)
恐らく、よくある文字化けだと思いますが、何故に疑問系? 自信ないのかよ。 断言してくれ。 コッチが逆に不安になるだろ!
シッカリしてくれOracle。(注:Javaを開発しているメーカー。 Sun Micro Systemsから社名変更かなんかしたらしいです)
それはそうと唐突ですが、
3周年~ッ!!
おかげさまで、当ブログは今週で開設3周年を迎えました!ノ゜∀゜)ノイェイ
皆さまの日頃よりのご愛顧に厚く御礼申し上げ奉ると共に、これからも日々精進して参る所存にごいますにて候。
これからも、ヲタク兼ヘタレゲーマーのブログ『週刊! 朝水日記』をご愛顧のほど、よろしくお願い致します。(願)
で、今週は3周年記念企画でもやろうかと思いましたが、ネタが思いつかなかったので普段通りにBRで。
ってゆーか、今回のBRは今年の頭頃に超ハマった“アレ”を取り上げるセクションなので、ある意味3周年記念になるかなと。
そんなワケで、今週も最期までヨロシクね☆
‐Alice in Cyrodiil:2nd Season‐
さて、ブルーマの家を購入したAliceちんは、今回からデイドリッククエストに挑んでいきます。
シロディール各地にあるデイドラの石像に供物を捧げる事で、それぞれのデイドラの神々からクエストを与えられ、それを攻略するとありがたいレアアイテムを賜れるというクエスト群。
メインクエストにて、既にマラキャスのクエストは攻略していますが、残りの14のクエストを攻略していきます。
今回は、アズーラのクエストです。 まずは神像の場所。
左図の通り、シェイディンハルの北、山の中腹辺りにあります。
デイドリッククエスト全般に言える事ですが、神像の周辺には必ず信者が何人かいるので、彼らに話しかければクエスト開始条件を教えてくれます。
アズーラのクエストでは、必須レベル2以上で、供物として“Glow Dust”(注:ウィル・オー・ウィスプから採取出来る錬金素材)を、“午前5時~7時or午後5時~7時”に捧げる事で、クエストがスタートします。
供物は、ファイターズギルドキャンペーンやスキングラッド周辺の森などで遭遇するウィル・オー・ウィスプから採取出来ますが、メイジギルドやアルケミ屋さんでは逆に購入し難いかも。 んで、供物を捧げるとアズーラさまよりありがたい祝福を頂戴し、“Gutted Mine”という廃坑にいるヴァンパイア5人を殺しなさい”というクエストを賜ります。
実はこのヴァンパイア、かつてはアズーラさまの信者だったが、なんだかんだで成仏できないままヴァンパイアになってしまったので、彼らに永遠の安らぎを与えて欲しいそうな。
とは言え、この程度のクエストはおテのモノ。 なんたって、Aliceちんはヴァンパイアハンターの資格持ちですからネ!
ではいざ、ヴァンパイア狩りとまいりましょう。
廃坑はアズーラの神像のすぐ近くにありますが、山の上なので行くのが多少大変です。
で、廃坑に入ると……。 居ました。
青白い顔が紛う事なくヴァンパイアです。
ってゆーか、こんなに近いのにコッチに全く気付いてません。(笑) これも、鍛え上げたスニークスキルのおかげです。
弓の闇討ちボーナスダメージで難なくハント。 5人とも倒したら、アズーラの神像に戻りましょう。
ちなみに、この廃坑は銀鉱山なので、探せば銀鉱石がいくつか手に入ります。 大した金額にはなりませんが、資金源として回収しておいても良いでしょう。 んで、戻ったら再びアズーラさまより有り難いお言葉を頂戴し、報酬を受け取ればクエスト完了になります。
相手がヴァンパイアなのでマトモに戦うと手こずるかもしれませんが、闇討ちすればそれほど強くない相手です。 一撃必殺で倒しましょう。
そして、ヴァンパイア狩りの後は忘れずに教会でお祈りしておきましょう。 吸血鬼病にかかってたらヤヴァいですからね。
もちろん、ヴァンパイアの遺灰は忘れずに回収しておき、後でエクエクして換金します。 でもって、コチラ(注:左図参照)が今回の報酬。
レアアイテム『アズーラズ・スター』です。
ソウルジェムとしての機能を持ち、ソウルトラップを併用する事で敵の魂を封じ込め、エンチャント武器のチャージやエンチャントアイテムの作成に利用出来ますが、ソウルジェムと違って使ってもなくならないので何度でも再利用可能な地球に優しいリサイクルグッズになっております。
メインクエストでは、本来はこのクエストを攻略するように言われますが、こんな便利アイテムなのでポータルを開くために失ってしまうのはもったいないので、メインクエストでは他のアイテムを回収&提供するのがベターかと思われる。
ちなみに、アズーラは明け方と夕暮れを司る女神。 神像の通り、とってもキレイな女性の姿をしておられるそうです。
以上、今週の連載コーナーでした。
では引き続き、今週の特集コーナーをどうぞ!
<今週の特集>
今週の特集コーナーは映画『ブレードランナー』の徹底解説シリーズ、『異説「ブレードランナー」論』の連載第9回です。
前回までの記事を読みたい方は、画面右側のカテゴリー欄より、“異説『ブレードランナー』論”のリンクをクリックして下さい。
第4章:複製‐『ブレードランナー』の原典
先の章でヴィジュアルの話しが出たので、この章ではコレについてもう少し詳しく見ていく事にしよう。
映画『ブレードランナー』は、特殊効果を多用し、突出した先進的で鮮烈なインパクトを有するそのヴィジュアルが真っ先に評価された作品(注:公開当時から、ヴィジュアル“だけ”は評価されていた。 テーマやストーリーが評価されるようになったのは、飽くまでも再評価されてから)である。
そのヴィジュアルは、デジタルVFX全盛の現在にあってもなお、色あせるドコロか逆に輝きを増しているような錯覚(注:BD版をフルHD解像度で再生すれば、そのイミが理解出来るハズである)さえ憶えるほどの鮮烈さで、観る者を圧倒し続けている。
この突出したヴィジュアルは、先に例を挙げたバートン版の『バットマン』を再び例に挙げるまでもなく、1980年代から90年代のSF/サイバーパンク系の作品に対し、映画はもちろんの事、アニメ、コミック、ゲーム、小説、演劇、果ては音楽に至るまで、メディアを問わず極めて多大な影響を与え、その影響は今もなお、現在進行形であるのは疑いようのない事実である。
しかし、後の映画に決して少なくない多大な影響を与えているこのヴィジュアルには、実はなんと原典となった一本の映画があったのである。
時は1927年。
国はドイツ。
総製作費600万マルク。(!)
出演したエキストラ、実に延べ3万6000人以上。(!?)
撮影されたフィルム、合計約130万メートル。(!!)
3年の歳月をかけ製作され、今もなお、ドイツ表現主義時代の名作として極めて高く評価されている映画界の伝説。
そして、フリッツ・ラング監督の傑作中の傑作!
そう!
その映画のタイトルは、『メトロポリス』!!
<機械都市は人造人間の夢を見るか?>
映画『ブレードランナー』のヴィジュアル的な魅力が語られる時、映画『メトロポリス』は必然的とも言える頻度で比較対象にされる作品である。 サモンや加藤も、それぞれの著書の中でコレについて言及(注:加藤に至っては、“ドイツ表現主義映画の最大の成果のひとつ”と大絶賛している)しており、映画『メトロポリス』のBD版(注:2010年リリースの『完全復元版』の事)の特典映像でも、大きく言及されている。
それほどまでに、この両者のヴィジュアルは偶然の一致では片付けられない極めてよく似た類似が見られるのである。
ではまず、それらの類似を見ていく前に、映画『メトロポリス』とはどのような作品なのか?を簡単に紹介する事にしよう。
・ストーリー
時は西暦2000年―。
ミレニアムを迎えたドイツの超巨大都市、メトロポリス。
最先端の機械文明によって光り輝くこの都市は、政治家ではなく大企業によって支配されていた。 企業家や貴族、富豪たちは、その恩恵を受け、毎日を面白おかしく暮らしていた。
一方、この都市の地下には、地上の生活を支えるために多くの労働者たちが奴隷のように過酷な労働に従事させられていた。
富豪たちの夢は、労働者たちの現実によって支えられていたのだ。
都市を支配する超巨大企業の社長、ジョー・フレーダーセンの息子、フレーダーは、ある時地上にやってきた労働者階級の娘、マリアを見初める。
彼女を追って地下に降りたフレーダーは、労働者たちの過酷な現実と、マリアが説く友愛に感銘を受け、惹かれていき、やがて、ふたりは愛し合うようになっていく。
しかし、この事を知ったフレーダーの父、フレーダーセンは、その昔一人の女性を共に愛したかつてのライバル、発明家ロートヴァングに、彼が発明した人造人間とマリアをすり替えるように頼む。 それは、労働者たちを服従させるためだったのだが……!?
……と、いうのが主な内容である。
映画『ブレードランナー』とのストーリー、あるいは世界観的な接点は人造人間、すなわちアンドロイド、=レプリカントが登場するという点だけで、全くと言って良いほど類似は見られない。
が、根底にあるテーマは非常によく似ているし、何よりヴィジュアル面において、極めて多くの点で類似が見られるのである。
テーマについては後ほど記すとして、続いてはそのヴィジュアルの類似を見ていく事にしよう。
・ヴィジュアルの類似
例えば、最も頻繁に比較され、両者の類似が指摘されるのは、映画『ブレードランナー』の前半部にある、スピナーが旋回しながら警察署の屋上に降りていく俯瞰ショットである。
ココに登場する警察署の円筒形の形状をした建物は、明らかに『メトロポリス』に登場するバベルの新塔そのモノである。 微妙に斜め構図になっているモノの、ご丁寧に俯瞰の角度までほとんど同じである。
そもそも、2019年のロサンゼルスの街並みと、2000年のメトロポリスの街並みは、どちらも空を覆うような超高層建築が乱立し、横方向ではなく縦方向へと発展していくという都市構想それ自体が極めて理に適ったモノ(注:法律や金銭の問題のため。 新たに土地を買うよりも、今ある土地を有効に活用する方が遥かに安上がりで、しかも土地の所有権などの法的問題を回避出来る。 実際、現在世界中の大都市でも地上数百メートルに達する超高層建築が乱立し、映画『メトロポリス』や『ブレードランナー』がセットや特殊効果を使わずにロケ撮影出来るのでは? と思えるほどである)であり、両者の都市構造は完全な一致を見せる。
映画『ブレードランナー』のヴィジュアル的な特徴として、映画冒頭のスシ・バーのシーンを例に挙げるまでもなく、映画全編を通してスクリーンを埋め尽くすほどのネオンサインが煌いている点が挙げられると思うが、これもまた、映画『メトロポリス』の中で既に表現されている。
映画『メトロポリス』が製作された1920年代は、ネオン管が発明されてまだ間もない頃(注:1912年のパリ万博で初めて出品され、開発者であるフランス人、ジョルジョ・クロードが1915年にクロードネオン社を設立し、ネオン管の製造、販売を開始。 日本では、1925年に白木屋大阪店が国内初のネオンサインを点灯した)だったが、夜間広告としての有用性が注目され、流行的に普及していった時代だった。
そして、この流行に真っ先に飛びついたのが、アメリカの大都市、ニューヨークのマンハッタンである。
当時、カメラのレンズはあまり質が良くなく、どんなに照明で照らしても夜間撮影は不可能と言われるほど暗かった。 しかし、ニューヨークだけは違っていた。 それだけ、当時のニューヨークはネオンと照明の明かりに、街全体が照らされていたのだ。
また、この昼間のような照明を支えた膨大な電力消費量は、そのまま当時のアメリカの国力を象徴するモノでもあった。
映画『メトロポリス』を監督したフリッツ・ラングは、映画の製作直前にニューヨークを訪れている。 自作の映画のアメリカ公開のプロモーションを兼ねた観光旅行だった。
ラングは、この時見たニューヨークの街並みに、映画『メトロポリス』の着想を得たと後に語っている。
まばゆいばかりの照明と煌びやかなネオンサインが瞬く『メトロポリス』の夜景は、それ以上のインパクトある形で、映画『ブレードランナー』でも見事に再現されている。
さらに、加藤が重点的に指摘している『ブレードランナー』における“目のモティーフ”も、『メトロポリス』には存在する。
映画『ブレードランナー』では、映画の冒頭でイキナリ(それが誰のモノであるかは分からないが)“都市を見つめる目”がスクリーンいっぱいに映し出される。
この“目のモティーフ”は、リオンのホテルの部屋のバスタブに差し込む光や、チュウの工房の入り口、先ほど例を挙げた警察署の俯瞰ショットなどにおいて、“円形のモティーフ”に形を変えて繰り返しスクリーンに映し出される。 このモティーフに関しては、スコット監督が自ら“意図的なモノ”と語っている。
映画『メトロポリス』では、製作当時の特殊効果の主力テクニックだった多重露光(注:一度撮影したフィルムを現像せず、巻き戻して二重三重に撮影に使用する特撮技術。 現在は、ブルーバック撮影に取って代わられている)を利用し、サイコアートのような無数の“目のモティーフ”が画面上に一度に大量に映し出されるフレーダーの悪夢のシーンがある。
意味合いや使い方が異なるモノの、両者とも“眼球”という共通したモティーフによるヴィジュアルを提示している事に代わりはない。
設定上の類似としても当てはまるが、映画『ブレードランナー』に登場するTV電話、“ヴィドフォン”も、『メトロポリス』に登場する。 製作当時の最新技術を駆使したこのTV電話は、特にこれといって重要なシーンに登場するワケではない(注:ワンシーンのみ)が、極めてさりげなく、しかし極めて説得力のある効果的なプロップ(注:小道具の意)として登場する。
もう一つ、設定的な面での類似でもあるが、先のスシ・バーの例を再び挙げるまでもなく、映画『ブレードランナー』には多分に日本的な要素(注:ネオンサインの看板や雑踏のガヤなど。 初期の脚本では、ガフは“シティ・スピーク”ではなく日本語を話すという設定だった)がそこかしこに見られるが、映画『メトロポリス』には、複数のシーンで日本人が経営しているという設定のナイトクラブ、“ヨシワラ”が登場する。 店の入り口に掲げられた看板も、ハッキリと“YOSHIWARA”と書かれている。
監督のラングはどうやら日本びいきらしく、メトロポリス以外の複数の作品で日本的な要素を色々と取り入れている。(注:公開当時、ソ連で史上初の海外での歌舞伎公演が行われ、欧米諸国にとっては、日本はオリエンタルムード漂う魅力的な極東の島国だった)
さらにもう一つ。 これはストーリー展開での類似点でもあるのだが、映画『ブレードランナー』のクライマックスは、デッカードとロイのブラッドベリィ・ビルの屋上での決闘だったが、映画『メトロポリス』のクライマックスは、フレーダーとロートヴァングの教会の“屋上での決闘”である。
これらは全て、“無意識的な類似”と呼ぶにはあまりにも似過ぎていて“意図的な類似”、すなわち“オマージュ”と考えるのが妥当である。
もちろん、この“オマージュ”はスコット監督やスタッフが意図したモノかもしれないが、明言しているワケではないので真実のほどは定かではない。
しかし、たとえ明言していなくても、これらの類似が語らずとも(両方の作品を知っている)観客にそれと分かる形で表現されており、かつプラスアルファを加えた独自のモノに進化させている点は、“オマージュ”の領域にあると思われる。(注:これを逸脱し、意図的に、しかし悪質に再現したものは“盗作”になってしまう。 パクリ、トレス、劣化コピーなども同様に、先人の叡智を無断拝借する行為とみなされるので注意が必要である)
そもそも、こうした先人の成果に対して敬意を示す意味でそれを模倣するという行為、すなわち“オマージュ”は、実はかなり昔から芸術家の間では実に良くある事だった。
ココで、再びダ・ヴィンチを例に挙げよう。
ダ・ヴィンチは、ルネッサンス芸術の中心的存在で、その作風は後の芸術家だけでなく、同時代の芸術家にも多大な影響を与えた。 その中でも最も強い影響を受けていたのが、ダ・ヴィンチの没年の翌年、すなわち1520年に37歳の若さで他界する事になった天才的芸術家、ラファエッロである。
ラファエッロは、8歳でペルジーノに弟子入りし、17歳の若さで親方を任されるほど、才能溢れる若者であった。
1504年、フィレンツェに移ったラファエッロは、この時フィレンツェで活躍していたダ・ヴィンチやミケランジェロに出会い、多大な影響を受けた。 ラファエッロは、“心酔”と言って良いほどのそれはそれは熱狂的なファンだったそうだ。
その証拠に、1508年にローマに移って自身の工房を開業した前後のラファエッロの作品、『署名の間』(注:ヴァチカン宮殿の天井画、1508年~11年。 ラファエッロは途中からの参加だった)は、ミケランジェロの『システィーナ礼拝堂』の天井画の影響が見られ、『美しき女庭師』(注:油彩画、1507年。 現在はルーヴル美術館所蔵)では、ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』の構図が意図的に真似られている。
さらに、『アーニョロ・ドーニの肖像』、『マッダレーナ・ドーニの肖像』(注:いずれも油彩画、1506年~07年。 現在は、フィレンツェのピッティ美術館が所蔵)、『バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像』(注:油彩画、1514年~15年。 現在はルーヴル美術館所蔵)などの肖像画はダ・ヴィンチの『モナ・リザ』に影響を受け、それまでの肖像画の定石である横顔ではなく、『モナ・リザ』と同じ斜に構えたポーズで描いている。
それまでの肖像画は、真横から顔だけを描くのが一般的で、斜めを含めた正面、及び首から下は描かないのが普通だった。 この定石を打ち破ったのがダ・ヴィンチの『モナ・リザ』であり、ラファエッロは、その画期的な構図に強い衝撃を受け、同様の構図で肖像画を描くようになったのである。(注:ちなみに、ダ・ヴィンチの影響は現在も続いており、写真を撮る時など、ヒトの顔は“斜め45度の角度”が最も美しいとされている)
先人の叡智を取り入れ、敬意を表してオマージュを捧げる行為は、芸術の世界ではずっと昔からよくある事だったのだ。
スコット監督やスタッフが意図を名言しているワケではない(注:スコット監督自身は、フランスコミックにおけるバンドデシネ最高のアーティスト、ジャン・“メビウス”・ジローの作品に影響を受けたと語っている。 実際、2019年のLAの風景は、メビウスを筆頭にしたバンドデシネ作品によく似ている)が、とにかく映画『ブレードランナー』のヴィジュアル面における『メトロポリス』との“偶然の一致では片付けられない類似”は、先人の叡智に対する敬意の表れとしてのオマージュだと考えるのが妥当なのである。
・オレ meets 『メトロポリス』
実を言うと、筆者が映画『メトロポリス』を実際に鑑賞したのは、かなり最近の事だったりする。
元々、そういう映画があるという事はずい分前から知っていたし、映画『ブレードランナー』のヴィジュアルの原典になっている事も知っていた。 実際に観たいと思った事も何度となくある。
しかし、なかなか鑑賞する機会に恵まれず、これまで映画を観れないでいたのだが、本書執筆のためのリサーチの一環として、DVDとBDの両方を購入し、鑑賞してみた。 すると!?
……正直、その凄まじいまでのヴィジュアルに圧倒され、一発でノックアウトされるほどの衝撃を受けた。
オープニングクレジットがスクロール(注:当時の映画は、オープニングでクレジットが流れるのが一般的で、エンドクレジット無しで“THE END”で終わるのがフツーだった。 長々とエンドクレジットを見せるのが一般的になるのは戦後になってから。 それも、1970年代以降の事)を始めると同時に、ゴッドフリート・フッペルツの壮大なオーケストラがスゥーーーっとフェードイン。(注:もちろん、サイレント映画なので本来は音楽も音声も効果音もないのだが、当時の劇場では度々バンドの生演奏によるBGM付きで映画が上映された。 映画『メトロポリス』の場合は、プレミア公開の際、フルオーケストラの生演奏付きで上映され、その時の音楽が現在のDVD/BD版に収録されているフッペルツの作曲によるオリジナルスコア) すると、光の交錯の中に幾何学模様のようなメインタイトルが浮かび上がる!
“METOROPOLIS”
このオープニングだけで、この映画がフツーではない事を悟り、それからの2時間弱(注:最初に観たのがDVD版だったので)の間、食い入るように映画に見入った。
そして、映画が終わった瞬間は、まさにスタンディングオベーション状態だった。(注:もちろん、観ていたのは僕一人だけでしたが……)
マリアを演じたブリギット・ヘルムは、これがデビュー作だとは思えないほど素晴らしい演技を見せていたし、ラングの旧友で妻の元夫(!?)のルドルフ・クライン=ロッゲは、ロートヴァングのキャラクターを見事に“怪演”していた。
壮大なスケールの群集シーンは、今では(逆の意味で)再現不可能と言えるだろう。
ミニチュアとライブアクションを鏡で合成するシュフタン技法は、今ではオプチカル合成やCGIに取って代わられたが、合成跡が言われなければ全く分からないほどの極めて高い完成度を誇り、細部のディテールにまでこだわった巨大セットは、その大きさも然る事ながら、作品の世界観を見事に表現していると言える。
そして、このヴィジュアルを支えているのが音楽である。 フッペルツのオリジナルスコアは、壮大にして繊細。 シリアスにしてユーモラス。 破壊的な力強さの中にも創造的な優しさがあり、映画『メトロポリス』の音楽としてこれ以外の楽曲が全く考えられないほど素晴らしく、映像の迫力を音声として、効果音として、そしてもちろんBGMとして、シーンを上手く補い合っていると言える。
映画とは、全てが一体になった総合芸術である。
それは写真であり、絵画であり、彫刻であり、建築であり、音楽であり、そしてもちろん演劇だからである。
映画『メトロポリス』は、映画黎明期の1920年代にあっておそらく、史上初めての映画を“映画”にした作品と言えるだろう。
・テーマの類似
トコロで、映画『メトロポリス』と『ブレードランナー』の接点は、何もヴィジュアルだけではなかったりする。 両者には、作品のテーマにおいても重要な接点があるのだ。
第1章で既に述べたように、映画『ブレードランナー』、そしてその原作である小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のテーマは、“現実とは何か? 人間とは何か?”という哲学的テーマである。 この二つのテーマは、語り口こそ大きく異なるモノの、しかし根本を同じくして映画『メトロポリス』でもしっかりと描かれていのである。
街の支配者たるジョー・フレーダーセンは、地下のカタコンベ(注:“共同墓地”の意)で支配者階級と労働者階級の友愛を説くマリアと、その説教に深い感銘を受ける息子のフレーダーを見て、ロートヴァングにマリアを人造人間とすり替えるように頼む。 ロートヴァングはこれを了承し、マリアを捕らえて人造人間をニセモノのマリアとして人間社会に送り込む。
そう、リアルとアンリアルを逆転させたのである。
しかし、これを見抜いたフレーダーは、本物のマリアと共に崩壊する地下労働者街から労働者の子供たちを救い出す。
一方、ニセモノのマリアに先導され、機械を破壊した労働者たちは、地下労働者街を崩壊させたニセモノのマリアを火あぶりに処し、人造人間だった事を知ると、自らの過ちをようやく悟る。
ココで、再びアンリアルとリアルを逆転させているワケだ。
そして、リアルとアンリアルを正しく認識した人々は、マリアが解く友愛の格言、すなわち“頭脳と手の仲介者は心でなければならない”に従い、フレーダーが心の役割りを担う事で、労働者のリーダーであるグロートと支配者のフレーダーセンの固い握手を以って、これを成し遂げる。
そう、これぞまさに“人間とは何か?”という問いに対する答えたる“こころ”であり、“人間性の再発見”というヒューマニズムに溢れたテーマへと昇華するのである。
映画『メトロポリス』と『ブレードランナー』は、形を変えながらも実は、根本を同じくする同じテーマを語っているのである。
・運命の類似
このように、ヴィジュアルのみならずそのテーマにおいても極めてよく似た類似を見せる『メトロポリス』と『ブレードランナー』だが、しかし皮肉な事にそれぞれの映画がたどった運命もまた、奇妙な一致を見せる事になった。
映画『メトロポリス』は、当時ドイツ映画界最大のメジャースタジオであったウーファー社の出資により、ウーファー社がハリウッドのパラマウント、メトロ・ゴールドウィン(注:メトロ社とゴールドウィン社が合併して誕生したスタジオで、直後にメイヤー社と合併して現在のMGMとなる)の両スタジオと結んだ相互協定、パルファメット協定(注:パラマウントとMG社の映画をドイツに輸入する代わりに、ウーファー社の作品をアメリカに輸出するという内容)によりドイツ国内での公開後、アメリカやイギリスでの公開が決定していた。
映画『メトロポリス』は、1927年1月にウーファー社の直営大劇場であるウーファー・パラスト・アム・ツォーで2500人もの招待客を招いてプレミア試写会が行われた。 招待客は、映画関係者や批評家のみならず、政財界の大物も招かれたという。
先にも記したように、このプレミア試写会ではフッペルツによるオリジナルスコアのオーケストラ演奏付きで上映されたワケだが、映画が終わるや否や、観客は一斉に拍手喝采し、スタンディングオベーションは数分もの間続いたという。
プレミア試写会は、大成功の内に幕を閉じた。
……が、その翌日から行われた一般公開(注:一般公開は、パラスト劇場とは別のウーファー社の直営小劇場、ウーファー・パビリオン・アム・ノレンドルフ・プラッツで行われた)は、プレミア試写会の大成功がウソのように惨憺たる結果だった。 劇場は、連日空席が目立つ毎日が続いた。
最終的に、映画は7万5000マルクを回収しただけで公開打ち切りとなり、600万マルクもの総制作費(注:ただし、これはウーファー社の主張によるもので、実際のトコロは諸説あり、500万マルクとも1300万マルクとも言われている。 ちなみに、製作開始当初の予算は150万マルクだった。 製作が長引いたため、ラングは次から次へと追加予算を申請し、最終的に600万マルク程度になったと言われている)の僅か2%にも満たない興行収益を上げただけの大失敗作になった。
この結果のため、ウーファー社は経営危機に立たされる事になったが、出資者たちは少しでも制作費を回収しようとオーストリアやイギリス、アメリカに映画を輸出し、海外配給による利益に期待した。 そして、少しでも利益を多くするために、映画の改変を決定した。
ドイツ国内での惨憺たる結果のため、ラングら芸術家たちはこの決定に逆らう事が出来なかった。
オリジナルの『メトロポリス』のフィルムは、合計4189メートルで、fps24で再生(注:現在のフレームレート基準。 当時はフレームレート基準が定まっておらず、手回し式カメラが一般的だった事もあり、fps12~25でまちまちだった。 しかし、フィルムに直接音声磁気テープ、すなわちサウンドトラックを貼り付けるトーキー時代を迎えると、磁気テープの長さの関係上、映像との同期にズレがないfps24が一般的になり、現在に至る)したとして約2時間半の上映時間がある作品だが、海外版は再編集にかけられ、3170メートルのアメリカ版(約117分)と、3050メートルのイギリス版(約113分)が作られ、それぞれ公開された。(注:ちなみに、オーストリアではドイツ国内以外では唯一、オリジナル版が上映されている)
しかも、この2種類の短縮版は、あろう事か劇作家のチャニング・ポロックなる人物によって中間字幕がほぼ全面改訂され、キャラクターの名前やストーリーまでもが大幅に改編されてしまう。(注:後に判明した事だが、この異版にはオリジナル版とは異なるアウトテイクが使用されており、別テイクや別アングルのショットがいくつか含まれている。 スタジオがフィルムのコピー費用をケチったためと思われる)
もちろん、これにより作品のテーマやメッセージは完全に失われ、フランケンシュタイン風に味付けされた全く別の作品になってしまった。
それはまるで、芸術家の意図とは異なるモノローグやハッピーエンディングを追加された『ブレードランナー』そのモノのようではないか!
さらに、ドイツ国内の再リリースにおいては、海外版に倣って3241メートル(約120分)に短縮されたバージョンのみが公開され、オリジナル版は封印された。
この時失われた約5分の1のフィルムは、その後の第二次大戦の混乱によってドイツ国内からは完全に失われる事になる。
しかし戦後、『メトロポリス』の短縮版のフィルムが発見され、その先進的なヴィジュアルと先見性のあるストーリーとテーマが再評価され、1960年代になってオリジナル版の復元が試みられた。
残念ながら、失われたシーンの復活はならず、短縮版のままではあったモノの、この修復は注目され、作品の再評価は確実なモノになった。
1980年代に入り、『メトロポリス』は再度修復が試みられ、再・再評価の機会を得る事になった。 1984年、いわゆるモロダー版のリリースである。
オスカー受賞経験を持つ作曲家、ジョルジオ・モロダーによりオリジナル版を基にした編集と中間字幕の再現を行い、フィルムを着色(注:『メトロポリス』は完全なモノクロ作品だが、それまでのドイツ映画はフィルムを着色するのが一般的で、モノクロ作品の方が珍しかったほど。 モロダー版は、オリジナルのモノクロフィルムに独自の着色を施したモノだった)し、モロダーの監修によるBGMの追加が施されたこのバージョンは、しかし使用したフィルム素材が短縮版の現存していた部分だけをつなぎ合わせたモノで、先のポロック版よりもさらに短い約90分のバージョンでしかなかった。(注:中間字幕を字幕スーパーにしたのも、短縮化した要因の一つ)
しかも、モロダーによる楽曲は、80年代当時の流行であったポップスやロックで、映像の壮大さには全く不釣合いなかなりノリの軽いモノであった。
実際、筆者もDVDやBDを鑑賞後、このモロダー版も鑑賞したが、フッペルツのオリジナルスコアとはかけ離れた、ひどくチャラチャラした耳障りな雑音にしか聴こえず、映画を5分と観ていられないほどのヒドい改悪がされたバージョンだと感じた。(注:その後、義務的に最後まで鑑賞したが、観るんじゃなかったと後悔しただけだった。 失われたシーンをスティルから再現しようとしているのは評価するが、再現の仕方が明らかに間違っている。 20年代当時にはなかった80年代の技術を使用しており、映像的なスタイルの連続性が全くない、“浮いた”映像になってしまっている。 いっそ再現しない方が良いぐらいだ。 その意味では、DVD版は正しい選択をしたと言える)
ってゆーか、設定年代が2026年になっているのがそもそも許せない。 設定年代は変えちゃダメだろ。 西暦2000年、ミレニアムの年という宗教的意味合いを持つ時代の転換期に“革命”が起こるという事が重要なのに!
ダメだ。 モロダー分かってない。
しかし皮肉にも、このポロック版にも劣る改悪版は、80年代の若者文化に熱狂を持って受け入れられた。
時折しも、映画『ブレードランナー』の公開直後。 映画『メトロポリス』の持つサイバーパンク的世界観が、見事に時代にマッチしたのだ。
この直後、ドイツではエンノ・パタラスによってフッペルツのオリジナルスコアを使用した復元が試みられ、パタラス版として公開された。
その結果、ソフト版もリリースされていたモロダー版は“無かった事”にされ、パタラス版が正しいバージョンとして認識されるようになる。
このパタラス版のリリースにより、映画『メトロポリス』は90分程度のバージョンでしかなかったモノの、一応オリジナル版に近いバージョンが復活した事になったが、マルティン・ケンバーの手により更なるリサーチが続けられ、その結果2001年、これまでで最長、最良の3341メートル(約123分)のフィルム素材が発見された。
このフィルムは、最新のデジタルスキャナーを利用してデジタルリマスター化され、2002年のベルリン国際映画祭でプレミア上映された。 もちろん、音楽はフッペルツのオリジナルスコアである。
このバージョンはDVD化され、2003年にリリースされたが、映画『メトロポリス』は70年以上の時を超え、ようやく本来の姿にかなり近いバージョンに戻された。
さらに2008年には、オリジナルに最も近い150分のバージョンがアルゼンチンのアーカイブから発見された。
残念ながら、このフィルムは損傷が激しく、しかも35ミリではなく16ミリの縮小版だったため、DVD版の頃よりも技術が進んだ機材を使用しても修復しきる事が出来ず、修復が不完全のままBD版に収録される事になったが、約3分程度のシーンが欠けただけの、オリジナル完全版に最も近い『メトロポリス』を、我々はBDソフトを通して観る事が出来るようになったのは、とても喜ばしい事である事に変わりはない。(注:ちなみに、このバージョンもオーケストラの生演奏付きでプレミア上映が行われ、その模様はドイツ国内のTVで生中継された)
そしてそれは、劇場公開時に酷評され、しかし次第に再評価されるようになり、失われていたフィルムの発見により再編集版が再リリースされた『ブレードランナー』もまた、同じである。
現在は、更なるフィルム素材の発見により、これまで全く見る事の出来なかったアウトテイク版も観れるようになった。
このように、『メトロポリス』と『ブレードランナー』はヴィジュアルやテーマのみならず、その後のそれぞれの作品がたどった運命にもまた、奇妙な一致があったのである。
ちなみに、『メトロポリス』を監督したフリッツ・ラングは、『メトロポリス』の後ドイツで4作、フランスで1作、ハリウッドに渡り、1950年代までに21作を監督しドイツに帰国。 60年までに数作を撮り引退した。
この、ハリウッド時代に監督した作品は、40年代、50年代のハリウッド映画に多大な影響を与え、ラングはフィルム・ノワールの祖として極めて高い評価を得ている。
映画『ブレードランナー』を監督したスコット監督は、この40~50年代のフィルム・ノワールに影響を受け、『ブレードランナー』にディテクティブ・ストーリー(注:探偵モノの事)の要素を加えた。
こんなトコロにも、『メトロポリス』と『ブレードランナー』には(かなりの遠縁だが)接点があったのである!
それはともかくとして、『ブレードランナー』の原典という事実を抜きにしても、『メトロポリス』はasayan的殿堂入り確定の超オススメ作品である。 映画好きであるなら、一生に一度は観るべき作品の一つと言えるだろう。
今回は、飽くまでも映画『ブレードランナー』が主題なのでこのような簡単な解説に止めておくが、『メトロポリス』はいずれまた大きく取り上げたいと考えている作品(注:なにせ、2012年に公開85周年を迎えますからネ!)なので、その時また改めて、詳細に解説したいと思う。
ちなみに、映画とは全く関係ないハナシだが、“メトロポリス”はアメリカはイリノイ州に実在する都市で、DCコミック社の公式設定ではスーパーマンの故郷(注:宇宙から地球にスーパーマンが堕ちてきた場所という意味で)になっている街である。
ただし、映画『メトロポリス』のような大都市ではなく、人口6500人弱の小さな“町”である。
スーパーマンの博物館があるが、町には映画館がなく、町の住人は町の外まで行かないと『スーパーマン』も『メトロポリス』も観れないとか。(笑)
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!
寝室。 ※Felmoon Air Fortress Ver.1.2
プレイ動画『天空の城』でも紹介されていた古代エルフ族の遺産。 文字通りの“天空の城”。 持ち家として利用出来、蒐集したアイテムの保管場所に最適。 外観が異なる『Dawn』(注:キレイ)と『Dusk』(注:荒れ放題)の2種類から選べるが、ロケーションが同一で競合するため同時に導入出来ない。 今回は『Dawn』をセレクトしたが、espファイルのみのシンプルなMODなので、導入がとてもラク。
出入り口から向かって左側にあるのは寝室。 青い内装で統一されており、落ち着いた雰囲気。 タンスが壁に埋め込まれており、収納力もある。 サイドテーブルに明かりがあるとなお良いかも。
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"BLADERUNNNER" 30th Anniversary #08-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
今週はシフトの交代があって時間がないのでとっとと行きます。
……あ、そう言えば、7月から『ひぐらしのなく頃に』の新作OVAのリリースが始まるそうですね。 全くノーチェックだったのでビックリして思わず予約してしまいました。(←結局買うんかい!)
ホントに知りませんでした。 先週、たまたま偶然から知ったんですが、TVシリーズじゃないのは、やはり色々とアレ(←どれ?)だからでしょうか? スタッフも総入れ替えっぽいし。
しかし、3ヶ月に1巻の全4巻って、OVAのリリーススパンとしてはどーなのよ? 完結は年越すって? つか、つい先週連載開始したばかりの『Beyond』とほぼ同時期に展開って……。
ナニこのシンクロニシティ。 10周年は来年なのに。
それはともかく、今週も連載コーナーからどうぞ!
……って、今気付いたけど、当ブログはもう連載コーナーオンリーでしたね。(笑)
‐Alice in Cyrodiil:2nd Season‐
皆さま、大変お待たせしました。
ASの運営さまが当ブログのうp曜日を無視するようになってしまったので、それに代わる新連載コーナーとしてAiCが復活ですッ!!
連載終了が去年の8月だったので、約10ヵ月のご無沙汰です。
もう(僕も含めて)忘れてしまっている人も多いかと思うので、1stシーズンをざっとおさらいしておきましょう。
金髪美少女アリスは、トレジャーハンターを夢見る乙女である。(←そんな設定あったか?) 彼女はとある事情でシティの監獄に囚われの身となるも、ひょんな偶然から監獄を脱出。 自活のためにファイターズギルドに入り、ブラックウッドカンパニーを壊滅した功績によりギルドマスターに就任。 その後、メイジギルド、シーブズギルド、ダークブラザーフッドでも活躍し、多数の功績を挙げる。
ウワサを聞きつけてナインの騎士団を再興したり、シロディール各地に点在するHentaiという名の名匠が作った武具を集めたりし、トレジャーハンターとして名声を得る。
しかし、偶然からシロディールを、いや、ニルンの世界そのモノを脅かすデイドラの神、メイルーン・ダゴン復活を阻止するため、オブリビオン戦役に巻き込まれる。
だが、鍛え上げた剣の腕と、卓越したスニークスキルを以って陰謀の阻止に成功。 帝国は王家最期の血脈を失ったが、アリスはこの功績が高く評価され、チャンピオン・オブ・シロディールの称号を得たのであった。
……てなカンジでしたね。
で、今回の2ndシーズンでは、神像クエストとSIを攻略していこうかなと考えています。
もちろん、本職(?)のトレジャーハンティングも平行してやっていこうかなと。
はてさて、どうなりますコトやら……。
さて、まずは改めてアリスちんのプロフです。 レベル44。(笑) 足もむちゃくちゃ速いしジャンプもかなり高い。 ルナちゃんがひ弱に見えてしまいます。
魔法はニガテなのでマジカが低めですが、それを補って余りあるヘルスとスタミナ。 ココまで来ると、シロディールでは敵無しです。(注:そんなコトはない。 難易度を最大まで上げれば、これでもかなりの確率で死ねる)
そうそう、既にお分かりだと思いますが、装備が変わりました。 はい、またもやHentaiさんです。(笑)
だって未だに装備MOD作り続けてるんだもんあの人。 フォローしてくしかないっしょ? TESⅤのリリース後はどうするんでしょうね? TESⅤに移行するのかしらん?
それはともかく、この装備は1stシーズンで攻略した『Hentai Mania』後にうpられたモノで、『Hentai Mania』には含まれていません。 セーラータイプの制服ですが、ナゼか靴がないので、これとは別のMODに含まれている靴を合わせました。
この装備は、単体版、及びHentaiさんの比較的新しい複数のMODに含まれていますが、これは単体版のモノ。 他のモノには、靴が付いているバージョンもあります。
なぁ~~んかどこかで見た事あるよ~~なデザインですが、シンプルなカンジが気に入ってます。 とりあえずコレで行く予定。
武器は変わってないです。 つか、最近の武器MODはあんま良いのがないので変えたくても変えられないです。 何かオススメがあったら教えて下さい。
そんなワケで、今週からAiC復活です。 以後よしなに。
以上、今週の連載コーナーでした。
では引き続き、今週の特集コーナーをどうぞ。
<今週の特集>
今週の特集コーナーは映画『ブレードランナー』の徹底解説シリーズ、『異説「ブレードランナー」論』の連載第8回です。
前回までの記事を読みたい方は、画面右側のカテゴリー欄より、“異説『ブレードランナー』論”のリンクをクリックして下さい。
・リチャード・ユーリシッチ/特殊効果監修
ダグラス・トランブルの長年のパートナーであり、映画『ブレードランナー』では特殊効果撮影のカメラマンを務めたのは、後に単独で多くのヒット作の特殊効果監修を手がける事になるリチャード・ユーリシッチである。
オハイオ州ロレインに生まれたユーリシッチは、1960年代にトランブルと知り合い、共同で実験的なアニメーションや短編映画を製作。 主にミニチュア撮影などのカメラマンを務めた。
1968年、トランブルがキューブリックの『2001年/宇宙の旅』の特殊効果監修として召集された事で、ユーリシッチもカメラマンとしてこれに参加。 映画は絶賛され、トランブルと共に『サイレント・ランニング』や『未知との遭遇』、『スタートレック:ザ・モーション・ピクチャー』の製作に参加。 トランブルと共同でEEG社を創設し、82年には『ブレードランナー』の製作に参加し、全てのミニチュア撮影のカメラマンを務めた。
しかし、結果的にトランブルとコンビを組んだのは『ブレードランナー』が最後になった。 映画『ブレードランナー』の特殊効果が高く評価され、特殊効果を担当したEEG社に注文が殺到し、トランブルと手分けして仕事をさばく必要が出てきたからだ。(注:ただし、83年にはトランブルが監督を務めた『ブレインストーム』の製作と撮影監督を務めている)
これ以降、ユーリシッチは単独で特殊効果監修として複数の映画製作に参加。 例を挙げると、『フィールド・オブ・ドリームス』(89年)、『ゴースト・パパ』(90年)、『Mr.エンジェル‐神様の賭け』(90年)、『暴走特急』(注:スティーブン・セガール主演の“沈黙シリーズ”の2作目。 95年公開)などがあるが、一気にブレイクするのは90年代後半以降で、『ミッション:インポッシブル』(96年)、『イベント・ホライゾン』(97年)、『M:IⅡ』(00年)、『バイオハザード』(02年)と、日本でも大ヒットした複数の作品の特殊効果を数多く手がけている。
近年は、ケイト・ベッキンセール主演のクライムサスペンス、『ホワイトアウト』(09年)や、アメコミ原作の『ルーザーズ』(10年)の特殊効果を担当しており、現在も精力的に活動を続けている。
ちなみに、兄のマシュー・ユーリシッチはマットペインティング・アーティストとして1950年代から活躍しており、『未知との遭遇』や『ブレードランナー』のマット画を担当した他、『ゴーストバスターズ』(84年)や『ダイハード』(88年)のマット画も手がけている。
・デイヴィッド・ドライヤー/特殊効果監修
トランブル、ユーリシッチと共に『ブレードランナー』の特殊効果監修として、主に冥界風景やタイレル社のピラミッドのミニチュア撮影を手がけたのは、これが映画界での初仕事となったデイヴィッド・ドライヤーである。
が、ドライヤーに関してはサモンの『メイキング・オブ・ブレードランナー』にある記述(注:同書246~249頁)以上の事はリサーチ出来なかったので、詳しくは同書を参照して頂きたい。
映画『ブレードランナー』以降は、あまり目立った活躍をしておらず、『ネバー・セイ・ネバー・アゲイン』(83年)と『君に読む物語』(04年)で特殊効果監修を手がけた程度。
また、04年から09年までは、TVで『Hello Paradise』という旅番組のカメラマンを務めている。
・ヴァンゲリス/音楽
映画『ブレードランナー』の繊細かつ流麗な独特の音楽を手がけたのは、オスカー受賞経験を持つコンポーザー兼シンセサイザー奏者のヴァンゲリス(注:本名、エヴァンゲロス・オディセアス・パパサナスィウ)である。
1943年、ギリシャの港町ヴォロスに生まれたヴァンゲリスは、画家の父と音楽家の母親を両親に持つ。 そのため、幼少の頃から芸術に慣れ親しみ、特に音楽に傾倒していき、僅か4歳でピアノを弾き始め、6歳にして自ら作曲した作品の演奏会を開くほどの才能を見せるようになる。
高校在学中からプロとして音楽活動を開始し、ピアノやオルガンのプレーヤーとしてジャズバンドのステージに立った。
大学では音楽を専攻せず、ナゼか美術を専攻。 理由は定かではないが、この時学んだ美術の知識が、後の映画音楽コンポーザーの下敷きになったのではないかと思われる。
その映画との関係は、1963年にフォーミンクスというポップスバンドを結成した同じ年、ギリシャ映画の『O adelfos mou... o trohonomos』という作品が最初であった。
これ以降、60年代から70年代にかけて、映画やTVのサウンドトラックを多数手がけるようになり、海外でも注目されるようになっていく。
転機となったのは1981年、今もなお名作として高い評価を得ている傑作、『炎のランナー』のサウンドトラックを手がけた事である。
映画は世界的大ヒットを記録し、アカデミー賞7部門ノミネート。 内作品賞、脚色賞を含む4部門を受賞。 ヴァンゲリスもオリジナル作曲賞を受賞し、サントラ盤は、映画のサントラとしては異例のビルボードチャート1位を獲得するほどの大ヒットを記録した。
ちなみに、この作品は日本アカデミー賞の外国語映画賞も受賞している。
これらの実績がスコット監督の目に留まり、ヴァンゲリスは『ブレードランナー』の音楽を手がける。
映画『ブレードランナー』の翌年、1983年には、日本国内で大ヒットを記録し、海外でも極めて高い評価を得て、後にポール・ウォーカー主演でハリウッドリメイク版が製作、公開(06年)される事になる『南極物語』のスコアを手がける。 映画は高い評価を得て、ヴァンゲリスの音楽も日本オスカーにノミネートされた。
これ以外では、92年に再びスコット監督に召集を受けてスコアを手がけた『1492:コロンブス』や、コリン・ファレル主演の04年の作品、『アレクサンダー』などがあるが、映画音楽と平行して発表しているオリジナルアルバムも評価が高く、サウンドトラックと共に高いセールスを記録しており、楽曲の一部がタイアップ、あるいは引用として多数の映画に使用されている。
特に、シングルカットされた『炎のランナー』のメインテーマは様々な映画やTV番組にネタとして使用され、筆者がリサーチしただけでも20作以上に使用されている。
近年は、余り目立った活動をしておらず、映画などに数曲の楽曲提供をしている程度に止まっているが、その繊細な音楽性は極めて評価が高く、今もなお、多くのファンを魅了している。
ちなみに、ヴァンゲリスは大のマスコミ嫌いで、インタビューなどには滅多に応じない事で有名だが、これは微妙に間違いで、マスコミを嫌っているワケではなく、自分の作品を言葉で語るのがニガテなためらしい。 本人に言わせれば、「楽曲を聴いてくれれば分かります」という事なのだろう。
また、映画『ブレードランナー』に関しては、サントラ盤のリリースが遅れに遅れ、12年経ってようやく公式のサントラ盤がリリースされたが、映画の製作当時からスコット監督とイザコザがあり、ヴァンゲリスがサントラ盤のリリースを承認しなかったため、というウワサが実しやかに囁かれたが、これは全くの間違いで、本人は元々、映画音楽に関しては映像と音楽を切り離して商品化する事を嫌っていたためなんだそうだ。 ヴァンゲリスにとっては、音楽も含めた映像が一つの作品を構成している、という事なのだろう。
その証拠に、『ブレードランナー』と同じスコット監督の『1492:コロンブス』のスコアを手がけたのは、サントラ盤リリース前の92年の事だし、07年には公開25周年を記念して先のサントラ盤と、これには未収録だった楽曲ほぼ全曲、並びに新たに制作したリミックス楽曲を収録したCD3枚組みの25周年記念盤をリリースしている。(注:この25周年記念盤は、日本でも正規国内版がリリースされているが、日本国内版は詳細な日本語解説ブックレットがバンドルされるような事も無く、海外版とほぼ同じ仕様であるにも関わらず、海外版の2倍以上という非常に高価なボッタクリ価格になっている。 買うなら輸入版を買う事をオススメする。 筆者は輸入盤を買いました)
・マイケル・ディーリー/製作
予算超過、監督と脚本家、監督とキャスト、監督とスタッフの対立など、様々な問題が頻発した映画『ブレードランナー』の製作現場で、プロデューサーという胃の痛くなる役目を負ったのは、60年代から70年代にかけて名プロデューサーとして名を馳せたマイケル・ディーリーである。
1932年、イギリスのロンドンに生まれ育ったディーリーは、20代の頃TVドラマの編集者として働き始める。
1956年、『グーン・ショウ』と『The Case of the Mukkinese Battle-Horn』という2つの短編映画でプロデューサーを務めると、以降プロデューサーとして映画製作に携わるようになる。 57年には、『At the Stroke of Nine』という作品で脚本も手がけている。
転機となったのは1969年、マイケル・ケイン主演のカーアクション、『ミニミニ大作戦』で、映画は大ヒットし、ゴールデングローブ賞にもノミネートされるほど高く評価された。(注:ちなみに、この作品は後にエドワード・ノートン主演でリメイク版が制作されている)
その後、『マーフィーの戦い』(71年)、『地球に落ちてきた男』(76年)、『コンボイ』(78年)と話題作、ヒット作を手がけるが、ディーリーの名を映画界に轟かせたのは、やはり78年の『ディア・ハンター』をおいて他にはないだろう。
ロバート・デ・ニーロ主演のこの戦争映画は、アメリカ国内はもちろん、海外でも極めて高い評価とセールスを記録し、オスカーでは同年最多の9部門ノミネート。 内、監督賞、作品賞を含む5部門受賞という高い評価を受け、イギリスオスカー、日本オスカー、ゴールデングローブ賞、ブルーリボン賞など、合計で19のノミネートと16の受賞という実績を収めた。
この実績を引っさげて、ディーリーはブライアン・ケリーの誘いで映画『ブレードランナー』のプロデュースを任された。
が、映画はモノの見事に失敗し、ディーリーはこの責任を問われる形で映画界から締め出されてしまう。
映画『ブレードランナー』以降は、小規模なTV映画数作で製作総指揮を務めているが、制作の現場に立ち会う事はなかった。
結局、91年を最後に現在は引退状態になってしまっているが、どんなに華々しい実績があっても、第一線で活躍し続けるのが難しい映画業界の真実を垣間見る思いがするのは筆者だけだろうか?
・リドリー・スコット/監督
映画『ブレードランナー』の制作において、その陣頭指揮を任されたのは、これまでに数多くの作品を手がけ、最早説明するまでも無くヒットメーカーとして高い人気と評価を得ているリドリー・スコット(注:本名。Sirリドリー・スコット)である。
1937年、イギリスはサウスシールズにて陸軍大佐のフランシス・パーシー・スコットの次男として生まれたスコットは、次男だった事もあり父と同じ道には進まず、ウェスト・ハートブール美術大学でグラフィックデザインや絵画、並びに舞台美術を学び、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートではグラフィックデザインを専攻する。
卒業後、イギリス国営放送(注:日本でいうトコロのNHK)のBBCにセットデザイナーとして就職。 数多くのTV番組で美術デザインを手がけ、時にはドキュメンタリーやドラマで演出も手がけた。
BBCを退社した1968年、自身の映像製作会社であるRSA社を設立。 BBCで学んだ映像制作の知識と技術を生かし、CMディレクターとして活動を始める。
アップル社のPC、マッキントッシュのCMを手がけるなど、有名大企業のCMを数多く手がけ、その類希なヴィジュアルセンスが高く評価され、映画祭などでも複数の賞に輝き、CMディレクターとしての地位を確固たるモノにする。
最終的に、スコットが手がけたCMは1900本以上に上り、TV番組なども含めると3000本近い作品を手がける事になった。
売れっ子映像作家として成功していたスコットだったが、転機となったのは1977年。 自身初の劇場用長編映画である『デュエリスト/決闘者』を監督した事である。
この作品は高く評価され、カンヌでは新人監督賞を受賞。 映画もヒットを記録した。
79年、監督第2作となった『エイリアン』は、77年に公開された『スターウォーズ』に始まったSFブームに便乗し、『スターウォーズ』の二番煎じを狙ったモノだったが、それまでのSF映画には皆無だったホラー要素を全面的に押し出し、リアリティを追求したヴィジュアルが極めて高く評価され、映画は大ヒットし、スコットの映画監督としての手腕も認められるようになった。
82年の映画『ブレードランナー』では、これが裏目に出て公開当時失敗作の烙印を押された(注:そのため、スコット監督はこれ以降SF/サイバーパンク系の作品を一切撮っていない)が、それ以降は『レジェンド/光と影の伝説』(85年)、『ブラック・レイン』(89年)、『テルマ&ルイーズ』(91年)、『1492:コロンブス』(92年)と、話題作、ヒット作を次々と量産。 ヒットメーカーとしての地位を確固たるモノにする。
……まあ、97年には『G.I.ジェーン』なんてのも撮ってたりするが……。
それはともかく、2000年の『グラディエーター』では、当時旬の俳優だったラッセル・クロウを主演に迎え、映画は自身最大のヒット作となり、念願だったオスカーにも輝いている。(注:ただし、作品賞は受賞しているが、監督賞はノミネート止まりだった。 スコット監督は、これ以外にもこれまで何度も監督賞にノミネートされているが、未だに受賞には至っていない)
映画監督として活躍する傍ら、弟のトニー・スコット(注:映画監督。 代表作は『トゥルー・ロマンス』や『エネミー・オブ・アメリカ』、『サブウェイ123:激突』、『アンストッパブル』など)と共同でスコット・フリー・プロダクションを設立。 主にTVシリーズの制作を手がけるスタジオとして、『ザ・ハンガー』(注:97年~2000年。 1stシーズンではテレンス・スタンプがホストを務め、2ndシーズンではデヴィッド・ボウイがホストを務めた事で話題になった。 また、1stシーズン後には映画版も制作されており、バルサザール・ゲティが出演して話題になった。 かなりの良作。 フツーのTVドラマに飽きちゃった人には超オススメ)シリーズや『NUMBERS‐天才数学者の事件ファイル』(05年~07年)、『アンドロメダ・ストレイン』(注:マイケル・クライトンの『アンドロメダ病原体』が原作のSFサスペンス。 原作自体は、既に71年に映画化されている)などで製作総指揮としてクレジットされている。
これらの実績が高く評価され、03年にはイギリス王室よりナイトの称号を叙勲されており、2007年には『エイリアン』と『ブレードランナー』の功績を讃えられ、SFの殿堂入りを果たしている。
近年は、『ハンニバル』(01年)、『ブラック・ホーク・ダウン』(01年)、『キングダム・オブ・ヘブン』(05年)、『アメリカン・ギャングスター』(07年)、そして、再びラッセル・クロウと組んだ『ロビン・フッド』(10年)と、現在は2012年公開予定の『Prometheus』を製作中との事。 すでに70歳を超える高齢ながら、現役バリバリで精力的に活動を続けている。
また、スコットの子供達も、それぞれ映画界や映像メディアで活躍しており、長男のジェイクはCMやTVシリーズやミュージックPVで手腕を発揮。 ナイキのCMやU2、オアシスのPVを手がけている。
娘のジョーダンは、複数の短編映画の監督、脚本を手がけて高い評価を得ている。
次男のルークは、『1492:コロンブス』で美術監督を務めている。
以上、映画『ブレードランナー』の主要スタッフを紹介したワケだが、バイオグラフィを見てもらえば分かる通り、製作当時としても、そして今現在であるならばなおの事、超一流のスタッフが集結し、映画『ブレードランナー』は製作されたのである。
‐スタッフが作る映画‐
さて、映画『ブレードランナー』の主要スタッフの紹介が終わったトコロで再び、筆者がナゼ、映画を選ぶ基準をスタッフにしているのか? というお話し。
その理由は、一言で言えば映画を作っているのはキャストでも、ましてやスタジオでもなく、飽くまでも映画の仕掛け人たる芸術家としてのスタッフだからだ。
シリーズモノを例に挙げると分かり易いので、ココでは映画『バットマン』シリーズを例に解説していこう。
映画『バットマン』シリーズは、ボブ・ケインがDCコミック社から発表したコミックが原作の作品で、88年の映画化(注:“映像化”という意味では、それ以前に既にTVアニメ化やTVドラマ化されていたが、映画はこれが初めてだった)以来、現在までに6作が製作、公開されているが、その全てが世界的大ヒットを記録しており、今もなお、新作の公開が望まれている作品である。
元々、DCコミック社は『スーパーマン』の大ヒットで業界躍進を果たした出版社だったが、『スーパーマン』とは真逆とも言えるアンチヒーロー、“ダークナイト”『バットマン』を発表して世間をアッと驚かせた。 それまでの“スーパーヒーロー”の定義を覆し、暗く陰鬱とした世界観の中で、ヒーローでありながら日陰者として忌み嫌われる“ダークナイト”を創作する事に成功した。
この世界観と“ダークナイト”としてのスーパーヒーローの映画化に挑んだのは、ディズニーのアニメーターとしてキャリアをスタートし、当時『シザーハンズ』や『ビートルジュース』を大ヒットさせ、その独自のヴィジュアルセンスが高く評価されていた鬼才、ティム・バートンである。
元々、バートンは原作を読んでおらず、映画化にもあまり興味がなかったが、大富豪ブルース・ウェインと“ダークナイト”バットマンという光と影を共有するキャラクターの心理的二面性に面白さを見出し、監督を引き受けたという。
そして、ゴッサムシティの陰鬱としたイメージや、両親を暴漢に殺された不幸な過去を持つバットマン(注:映画版1作目では、後にジョーカーになるジャックが、マフィアのチンピラ時代に犯した犯行という事になっているが、これは飽くまでも映画版1作目だけの設定で、原作にはそのような記述は一切ない。 この真相が初めて明かされた『バットマン:イヤーワン』というコミックをベースにした映画版5作目では、ジャックとは異なるギャングのチンピラに設定が変更されている。 また、ジョーカーの過去については原作では一切触れられておらず、未だに来歴不明のまま。 『バットマン』に登場する主要キャラクターの内、ジョーカーは唯一の“正体不明”である)の光と影を見事に映像で表現した。 その圧倒的なヴィジュアルセンスは、今観ても十分インパクトのある仕上がりである。
映画『バットマン』は確かに大ヒットしたし、ジャック・ニコルソンやマイケル・キートン、キム・ベイシンガーといったスターや、当時『スターウォーズ』シリーズのランドー・カルリシアン役で注目されていたビリー・ディー・ウィルソンが地方検事ハービー・デント(注:後に、怪人“トゥー・フェイス”としてバットマンのライバルになるキャラクター)役で出演していたりもしたが、公開当時にビッグスターだったのはニコルソンだけである。 バットマンを演じたキートンは、『ビートルジュース』でビートルジュース役を演じたコメディ俳優という認識が一般的だったし、ベイシンガーも、この直前に出演した映画『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(注:『007』シリーズの4作目に当たる『サンダーボール作戦』のリメイク版。 『スターウォーズ』シリーズ旧三部作の2作目、『エピソードⅤ:帝国の逆襲』を手がけたアーヴィン・カーシュナー監督作品で、初代ジェームズ・ボンドとして『サンダーボール作戦』にも出演したショーン・コネリーが“復帰”した事もあって話題にはなった)が興行的に失敗に終わったため、あまり注目されていなかった。
しかし、バートンのヴィジュアルセンスがそこかしこで冴え渡る映像に観客は圧倒され、大ヒットの直接的な要因になったと言えるだろう。
バートンは、シリーズ2作目となる『バットマン・リターンズ』でも同様の陰鬱としたヴィジュアルを提示し、加えてストーリーにおいても、キャットウーマンやペンギンの心理的二面性を強調した繊細なキャラクター描写をする事に成功した。 それはまさに、映画『シザーハンズ』で見せたシルク糸のような繊細さを髣髴とさせる。
一部には、「暗過ぎる」という批判もあるようだが、バートン版『バットマン』の陰鬱さと繊細さは、まさに“バートン節”の真骨頂と評価して間違いないと言えるだろう。
バートンの後任を引き継ぎ、続く3作目と4作目を手がけたのは、美術やデザイナーとしてのキャリアを持つジョエル・シューマッカーである。
シューマッカー版の『バットマン』、すなわち『バットマン・フォーエバー』と『バットマン&ロビン』は、バートン版とは真逆の意味で“圧倒的”なヴィジュアルを提示する事に成功した。 すなわち、バートン版の陰鬱さと繊細さをひっくり返して、豪華さと大胆さを強調したのである。
先にも記したように、シューマッカーは元々デザイン畑の出身で、ゴージャスなデザインを得意としていた人物である。 加えて、ヴァル・キルマー、ニコール・キッドマン、クリス・オドネル、そして忘れちゃいけないジム・キャリー(注:以上は『バットマン・フォーエバー』)。 さらに、ジョージ・クルーニー、ユマ・サーマン、アリシア・シルバーストーン(注:以上は『バットマン&ロビン)といったキャストにより、出演者の平均年齢が下がり、バートン版のような暗いヴィジュアルが合わなくなったのも理由の一つだろう。(注:その意味においては、『バットマン・フォーエバー』のトミー・リー・ジョーンズと『バットマン&ロビン』のアーノルド・シュワルツェネガーは、出演者の平均年齢を少なからず上げていると言える)
いずれにせよ、シューマッカー版の豪華で大胆なヴィジュアルセンスは、この『バットマン』シリーズの3作目と4作目で完成の領域に達し、後の『オペラ座の怪人』(注:ガストン・ルルーのオリジナルの戯曲版ではなく、これを原作としたアンドリュー・ロイド・ウェーバーのミュージカル版の映画化作品。 元々、シューマッカーとロイド・ウェーバーが旧知の間柄だった事で実現した)で見せた絢爛豪華なヴィジュアルで頂点に達する事になるのである。
さらに続く5作目の『バットマン・ビギンズ』と6作目の『ダークナイト』では、新鋭のクリストファー・ノーランが監督を務めたが、21世紀という新しい時代の到来に合わせる形で、映画の世界観の大幅な改変を行い、ヴィジュアルもこれまでのシリーズから大きく変更された作品でもある。
元々、『バットマン』の原作は1930年代(注:原作の第1作目は、DCコミック社の前身であるナショナル・アライド社の1939年の雑誌にコミック掲載されている。 このコミック雑誌のタイトルが『Detective Comic』だったため、同社は後にDCコミック社に社名変更した。 ちなみに、『スーパーマン』はその前年、1938年誕生)に誕生しており、作品の設定年代も1930年代に設定されていた。(注:ただし、テクノロジーが2、30年ほど先行している)
禁酒法、シシリアマフィア、アル・カポネ―。
そんなキーワードが見え隠れする世界であった。
しかし、映画でこれを踏襲したのは結局バートン版のみ(注:バートン自身は、「都市計画に失敗したニューヨーク」と語っている)で、シューマッカー版では近未来でありながらレトロな雰囲気が漂う世界観で、古代ギリシャ建築のような巨大モニュメントが特徴的な世界観に改められた。
そして、ノーラン版でも再び改変され、30’sでもなく、近未来でもなく、リアルタイムの21世紀初頭たる現代が、その舞台として設定された。
しかし、それでも“らしさ”が全く損なわれていないのが興味深い。
本来『バットマン』の世界というのは、言わばファンタジーの世界である。 昔の空想科学小説のような、現代でありながら一部に突出したオーバーテクノロジーが実現しており、過去と未来が現在で同居しているような世界である。(注:解り易いトコロで言えば、『サクラ大戦』とか『機神兵団』辺りがソレ)
バートン版では、その内の過去が強調されており、シューマッカー版では未来が強調され、ノーラン版では現代が強調される事になったワケだ。
しかし、そのどれもが『バットマン』という世界観の枠内に収まっており、三者三様の独自の解釈で『バットマン』を描いていても、これらは間違いなく『バットマン』たり得るのである。
スタッフの実力が確かならば、たとえこのような改変が行われたとしても、それが作品にとってマイナスになるような事はなく、逆にプラスに働くのである。
何故なら映画は、間違いなく映画の仕掛け人たるスタッフが作っているモノだからだ。
だから筆者は、映画を選ぶ基準として必ずスタッフをチェックするのである。 過去の作品で確かな手腕を発揮したスタッフであるなら、作品が何であれ良作になっているだろうという安心感があるからだ。 この安心感は、キャストやスタジオからは決して得られないからだ。
映画『パールハーバー』を観て、ケイト・ベッキンセールのあまりの美貌に一目惚れしてしまったので、ベッキンセール観たさに『アンダーワールド』シリーズも観たのだが、正直チョーガッカリした。 吸血鬼モノの何たるかがまるで分かっていない駄作である。 ベッキンセールの突出した美貌が際立つ作品になるだろうと期待していただけに残念この上ない。
この“前例”があるだけに、同じレン・ワイズマン監督によるブルース・ウィリス主演の人気シリーズ4作目、『ダイ・ハード4.0』は、未だに観る気になれない。(注:ソフトは一応買ってある)
映画『バイオハザード3』もそうだ。 それまでの前2作で、ポール・W・S・アンダーソンによる原作がよく理解された脚本を生かし、映画用に改変しながらも原作ゲームのワンシーンを忠実に再現するなどした良作だったが、アンダーソンが製作から離れた3作目は、原作ゲームから大きく逸脱し、文字通りの“原作レイプ”状態の駄作になってしまっている。
映画とは、キャストやスタジオが作っているモノではなく、スタッフが作っているモノなのだ。
映画『ブレードランナー』でもこれは同じで、監督のリドリー・スコットはもちろん、撮影監督のジョーダン・クローネンウェス、特殊効果監修のダグラス・トランブルとリチャード・ユーシリッチ、音楽のヴァンゲリスなど、それ以前の作品で既に高い評価と実績を作ってきた一流のスタッフばかりである。
彼らが手がけたからこそ、映画『ブレードランナー』は圧倒的なヴィジュアルを有する超一級のSF映画になり得たのである。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!
園庭。 ※Felmoon Air Fortress Ver.1.2
プレイ動画『天空の城』でも紹介されていた古代エルフ族の遺産。 文字通りの“天空の城”。 持ち家として利用出来、蒐集したアイテムの保管場所に最適。 外観が異なる『Dawn』(注:キレイ)と『Dusk』(注:荒れ放題)の2種類から選べるが、ロケーションが同一で競合するため同時に導入出来ない。 今回は『Dawn』をセレクトしたが、espファイルのみのシンプルなMODなので、導入がとてもラク。
前々回の“前の住人”を始末したら、城内を散策してみよう。 2つの彫像がそびえ立つ園庭は様々な植物が生えており、POT調剤には困らない。 また、右側には剣や弓の練習が出来る演習場がある。
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"BLADERUNNNER" 30th Anniversary #07-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
さて皆さん、asami hiroakiとMFDがお送りする『ひぐらしのなく頃に』二次創作小説第2弾『Beyond』、つい先程、Vol.1のアップ、完了しましたッ!!
画面左のMFDのリンクからアクセス&DLして下さいませ。
で、今月はいつもの25日ではなく19日にアップしたワケですが、これにはもちろんワケがあります。
何故なら、“綿流し祭”の日に合わせる必要があったからです。
オリジナル本編では明記されていませんが、少なからず明記されている日付から逆算すると、綿流しのお祭りは毎年6月の第3日曜に開催されており、物語の設定年代である昭和58年の綿流しは、6月19日に開催されています。
で、この6月19日が日曜日になる年は、昭和58年以降何度かあり、1988年、94年、05年の3回ありました。 そして、今年2011年は、4回目の6月19日日曜日なんです。
今年を逃してしまうと、次の6月19日日曜日は2016年までないので、今年はどうしてもこの日のスタートで合わせたかったんです。
まあ、来年は『ひぐらしのなく頃に』誕生10周年の節目の年になるので、それまで延期しても良かったんですが、それだと6月19日日曜日がないので何となくヤだなぁ~と。
なので、今年のこの日に間に合わせる必要があった、というワケです。
今年の綿流しのお祭りは、僕が皆さんを雛見沢にお連れしたいと思います。 ご一読のほど、どうぞよろしくお願い致します!
ちなみに、来月のVol.2のアップからは再び通常の毎月25日に戻ります。 予めご了承下さい。
ト・コ・ロ・で。 いやぁ~毎日蒸し暑いユスなぁ~。 こういう気候になってくると、いよいよナツが近付いてきたなぁ~と思いますが、去年、一昨年と比べて、今年の梅雨のまー降りの甘いコト甘いコト。
イキナリ台風1号が上陸したりしましたが、それ以外は昨年のようなゲリラ豪雨になる事もなく、逆に雨の日が少なく感じるほど。
加えて、日中は暑いですが、朝晩は結構涼しかったりしていつもの露らしさがほとんど感じられません。
……まあ、本来はこーゆーモノなのやも知れませぬが……。
しかし、こうも雨が少ないと気になってくるのが夏の水不足です。 今年は、震災の影響でただでさえ水不足、電量不足が懸念されているのに、このような空梅雨状態ではその懸念がさらに増しそう。
困ったモノです。
どうなっちゃうのかねぇ~、今年の夏は。
ってゆーかさ、なんで未だに管クンが総理大臣やってんの? もういいから辞めろよ。 目障りなんだよ正直。 キミは今の日本にとっていらない子なんだよ。 いい加減自覚して下さい。 マジで。
もっとがんばれよ野党!
それはそうと、昨日6/18、Steamにて『アリス:マッドネス・リターンズ』の販売がスタートしました。
……あり? 7月リリースじゃなかったけ?
と思って確認してみたら、やっぱり日本国内版のリリースは7/21。 海外版は1ヵ月早いのね。
しかし、ストアページをよく見てみると、なんと“日本語対応”らしい。
なので、思わず買っちゃいました。(^ ^;) 容量が8.2GBもあるのでDLに40分近くかかりましたが、早速やってみました。
グラフィックはスゴく良いです。 同じUT3エンジンの『ミラーズエッジ』を完全に超えましたね。
ヴィジュアル的には、昨年公開されたティム・バートン版の映画『アリス・イン・ワンダーランド』の影響が少なからず見られますが、ま~アリスちんがエラいエエ女になっちゃって。(笑)
ハタチという設定らしいですが、前作からわずか1年の間に何が彼女をこんなにもキレイにしたのでしょう? ……やっぱオトコか?(笑)
そうそう、以前“リメイク版”と書きましたが、間違いでした。 ちゃんと“続編”です。 AiNをプレイした事のある人なら、思わず「ニヤリ」としてしまう場面が“多々”あり、レベルデザインは前作が『不思議の国のアリス』の世界が中心だったのに対し、今回はその続編である『鏡の国のアリス』のイメージが強いデザインで、前作でお馴染みのキャラクターも(注:何かしらの変化があるモノの)ちゃんと登場しており、かなりシッカリとした“続編”です。 お詫びして訂正します。(謝)
やってみたカンジとしては、前作よりは以前ちょっと紹介した『X‐ブレード』に似てます。 操作感覚もあんなカンジ。
しかし、UT3エンジンなので動作は非常に軽い! 物理演算エンジンのレベルを上げるとかなり重くなりますが、低くても問題無しなのでPhysxの設定はローのままにしておくと良いです。 アンチエイリアスやブラーなどはお好みで。
ただ、やはりUT3エンジンベースのゲームなので、PC版ではゲームパッドが使えません。 PCに接続してあるだけで視点がクルクル回ってしまってゲームにならないので、ゲームパッドを外しておきましょう。
もう一つ注意点として、これは僕のPCが悪いのかもしれませんが、バックグラウンドのロードがマップ内の妙な位置で入る事が多く、激しくラグってジャンプしたままそのまま転落死というコトが非常に多いです。 皆さんもお気をつけ下さい。
また、初回起動時にインターネットアクティベーションを求められますが、EAのアカウント取得が必須になっています。 既にアカウントを持っている方はそれを使えばそのままイケますが、僕は新たに取得しました。
なんでかと言うと、EAのストアで予約した正規日本語版もキャンセルせずにそのまま購入するつもりだから。 予約特典の着せ替えコスチュームが見たいし、何より前作のリマスター版がどうしてもやってみたいので。(笑) ワイド対応になってるといいなぁ~。
ちなみに、Steam版は“英語音声日本語字幕”でした。 EAストアDL版、及びパッケージ版、コンシューマ版の正規日本語版は、“日本語音声日本語字幕”になるらしいです。
Steam版の方が良い。 やっぱ洋ゲーは英語音声でなきゃ! アリスの声はAiNと同じ人みたいだし。(注:チェシャ猫はキャスト交代したらしい)
それと、これは飽くまでも個人的な予想ですが、このSteam版は7/21以降に日本からの購入が出来なくなる恐れがあります。 EAのソフトはそういうコトが多いので。(注:カプコンとかもな!)
なので、購入を考えられている方はお早めに。 Steam版の方が安いですし。
ちなみに、アリスの設定がAiNから微妙に変更されています。 苗字が“リデル”で正式設定になりました。(!?)
うわぁ……。 思い切りましたね、マギーおじさん。
ただし、三姉妹ではないようです。
このゲームはフィクションであり、現実とのいかなる一致も偶然でしかありません。(笑)
さ、アリスネタはこれぐらいにして、いつもの連載コーナーをどうぞ。
‐AS‐RadioHead(2011/06/18)‐
やはり間に合わず!
どうやらうp曜日が毎週日曜日に変更されたようです。 う~ん残念。
こうなると、もう当ブログのうp曜日に間に合わないので、遺憾ながらこのコーナーは今回を以って終了とさせて頂きます。
なんだかグダグダな終わり方になってしまいましたが、長い間ご愛顧頂き誠にありがとうございました。
次回からは、“あのコーナー”が復活する予定です。 お楽しみに!
以上、今週の連載コーナーでした。
では引き続き、今週の特集コーナーをどうぞ。
<今週の特集>
さて、今週の特集コーナーは映画『ブレードランナー』の徹底解説シリーズ、『異説「ブレードランナー」論』の連載第7回です。
前回までの記事を読みたい方は、画面右側のカテゴリー欄より、“異説『ブレードランナー』論”のリンクをクリックして下さい。
第3章:製造‐スタッフ
皆さんが映画を観たい時、あるいは観たいと思う映画を選ぶ時の基準は、いったい何だろうか?
ジャンルやモティーフ、というのが最も一般的な映画を選ぶ基準であるように思うが、原作付映画であれば、原作のファンだからというのも基準になるだろうし、シリーズモノであれば、前作が面白かったから、というのも基準になり得る。
また、いわゆるビッグスターが出演する作品であれば、スターを観るために映画を選ぶ人も少なくないハズである。
実際、特定のジャンルやシリーズモノ、人気の高い原作付であれば、一定以上の興行収益を見込めるので、出資者たるスタジオ側も映画を作り易いのは確かで、有名俳優が出演する最新作であれば、やはりそれ相応のファンに劇場に足を運ばせる事が出来るだろう。
だが、それがその映画が面白い作品なのかどうかという最も重要な問題とは、実は全くの別問題である。 上記のように何らかの基準で映画を選び、「面白そう」と思った作品が、実際に観てみたら実は大して面白くない作品だった、というのは、実に良くある事だ。
作品を選ぶ基準はあっても、その作品が面白いかどうかを評価する基準は別にあり、決して同義ではないのだ。
とは言え、選ぶ基準がないとイカンともし難いのも確かで、観客にとっては、その映画を観る前にその映画が2000円近いチケット代を出すだけの価値があるかどうかを判断する最重要要素である事に変わりはないし、筆者自身、それなりの基準がある。
筆者の場合、それは映画を製作し、映画興行の仕掛け人たる、スタッフである。
監督や脚本は言うに及ばず、プロデューサーや音楽、撮影監督(注:カメラマン)、編集、特殊効果監修などもチェックする。
シリーズモノや、いわゆる話題作と呼ばれるような作品は、基準に関係なくタイトルだけで選ぶ事もあるし、他の映画のリサーチのために仕方なく観る映画も少なくない。(注:ただし、コレが意外に“アタリ”な事が多いので映画鑑賞は止められない) が、筆者にとって映画を選ぶ基準は、飽くまでもその映画の仕掛け人たるスタッフだ。 何故なら映画は、スタジオやキャストではなく、スタッフが作っているモノだからだ。
というワケで、この項では『ブレードランナー』を作った人々である映画の主要スタッフを順次紹介していく。
列記する順番は、都合により順不同となっているのでアシカラず。
・ハンプトン・フィンチャー/脚本・製作総指揮
原作小説を映画化する事に情熱を燃やし、映画『ブレードランナー』のプロジェクト最大の功労者として製作総指揮と脚本を担当したのは、俳優としてのキャリアも持つハンプトン・フィンチャーである。
1938年、アメリカ人の父親とメキシコ人の母親を両親に持つフィンチャーは、LAで生まれ育つ。
15歳の頃、スペインに渡り“マリオ・モンテオ”という名前でフラメンコダンサーになるが、芽が出ずに挫折。 アメリカに戻り、俳優を志す。
この頃から、既に映画製作に興味を持っており、8ミリや16ミリでいわゆる自主制作映画の脚本や製作、監督、編集などを手がけているが、1958年に『The Brain Eaters』といういかにもB級臭ムンムンのホラー映画にノンクレジットで出演。 これをキッカケに、70年代まで主にTVを中心に俳優としてのキャリアを積み、実に40作品以上の番組に出演する。
映画への出演はあまり多くないが、1970年の『Mir hat es immer Spas gemacht』という旧西ドイツの作品や、75年の『The Other Side of the Mountain』、76年の『Survival』などで主演、もしくは比較的大きな役を演じている。
しかし、フィンチャーの最終的な目標は、プロデューサーとして映画製作に携わる事だった。
この夢を叶えるため、フィンチャーは高い評価を得ながらもあまり人気のなかったディックの小説に目を付け、オプションに漕ぎつける。 そして製作されたのが、映画『ブレードランナー』である。
フィンチャーは、映画『ブレードランナー』において脚本も担当しているが、最初は脚本の執筆を固辞していた。 フィンチャーは、確かに若い頃8ミリや16ミリで撮った自主制作映画で脚本を書いた経験を持っているが、『ブレードランナー』に対しては飽くまでもプロデューサーとしての立場でいる事を望んだ。
しかし、知人、友人に説得され、フィンチャーは初期の脚本を執筆。 映画『ブレードランナー』に、製作総指揮と共に脚本家としてもクレジットされる事になった。
しかし、映画はモノの見事に興行的に失敗し、フィンチャーはプロデューサー業転向の道を絶たれてしまう。 そのため、映画『ブレードランナー』以降、フィンチャーはショービジネスの世界から距離を置くようになる。
しかし、1989年にデンゼル・ワシントン主演の映画『刑事クイン/妖術師の島』で脚本を担当。 99年には、オーウェン・ウィルソン主演のサイコスリラー、『クアドロフォニア/多重人格殺人』の脚本、及び監督をこなしている。
・デイヴィッド・ピープルズ/脚本
フィンチャーの後任を任される形で脚本を担当したのは、デイヴィッド・ピープルズ(注:本名デイヴィビッド・ウェブ・ピープルズ)である。
1940年、コネチカット州ミドルに生まれたピープルズは、両親共に地質学者という学問一家の息子で、しかし科学の道には進まず、カリフォルニア大学バークレー校に進学したピープルズは英語を専攻。 文学を学ぶ。
大学卒業後、映画やドキュメンタリーフィルムの編集担当として映画業界に就職したピープルズは、70年代に複数の作品で編集として手腕を発揮する。
転機となったのは1981年。 アメリカにおける原爆開発の直接的な責任者だったオッペンハイマー博士の半生を描いたドキュメンタリー映画、『The Day After Trinity』の編集と共に、脚本を担当(注:監督のジョン・エルス、妻のジャネット・ピープルズとの共著)した事である。
この作品は、アカデミー賞の最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされ、アメリカ編集者協会賞受賞と高く評価され、ピープルズも編集者としてだけでなく脚本家として評価された初めての作品になった。
翌82年には、『ブレードランナー』で本格的に脚本家デビューを果たし、その卓越した構成力が注目を集めるようになる。
映画『ブレードランナー』以降、85年の『レディ・ホーク』(注:リチャード・ドナー監督作品。 ロイ役のルトガー・ハウアーも出演している)、89年の『リヴァイアサン』(注:ピーター・ウェラー主演のUMA系深海サスペンスホラー。 ピープルズは原案としてもクレジットされている)の脚本を執筆し、『リヴァイアサン』と同じ89年公開のルトガー・ハウアー主演のSFアクション、『The Blood of Heroes』では、脚本と共に監督にも挑戦している。
しかし、それより何より2度目の転機となったのは、92年公開の映画『許されざる者』だろう。
クリント・イーストウッドの監督/主演作で、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、フランシス・フィッシャー(注:『タイタニック』のローズのオカン、と言えば、分かる人も多いかな?)といった名だたる名優が出演したこの西部劇は、アカデミー賞9部門ノミネート、内、作品賞、監督賞を含む4部門受賞。 ゴールデングローブ賞、編集者協会賞、監督組合賞、さらには日本アカデミー賞の外国語映画賞など、実に32もの賞を受賞するほど高く評価され、映画は大ヒットとなり、ピープルズの脚本家としての地位を確固たるモノにした。
1995年には、フランスの短編映画に着想を得たSFスリラー、『12モンキーズ』を。(注:映画『ブレードランナー』同様、ピープルズらしい難解な作品) 98年には、後に『バイオハザード』シリーズを手がける事になるポール・W・S・アンダーソン監督のカート・ラッセル主演作、『ソルジャー』の脚本(注:ピープルズ曰く、“『ブレードランナー』の横滑り続編”。 作品のそこかしこに、『ブレードランナー』のインスパイアやパロディが散りばめられている)をそれぞれ手がけている。
近年は、残念ながら映画界から姿を消している状態が続いているが、いずれまた、『ブレードランナー』や『12モンキーズ』のような難解な作品で観客の頭を悩ませて頂きたいと願う。(笑)
・シド・ミード/コンセプチュアルアーティスト
映画『ブレードランナー』における独特のヴィジュアルデザインを担当したのは、映画だけでなくゲームやアニメーションにもデザインを提供しているデザイナー、シド・ミードである。
1933年、ミネソタ州セントポールに生まれたミードは、大学でデザインアートを学び、自動車メーカーの最大手、フォード社にデザイナーとして就職する。
1970年、フォード社を退社し、デザインコンサルタント会社を設立。 さらに、出版とプロモーションを担当するオブラゴン社を設立し、工業製品のデザインやコンセプトアートを総合的に手がけるようになる。
1979年、TVシリーズ『スタートレック』の初の劇場版のデザイナーを手がける傍ら、ミード個人としては初の画集『センチネル』を出版。 これが、リドリー・スコットの目に留まり、ミードは『ブレードランナー』のコンセプチュアルアーティストに抜擢される。 ミードの工業デザイナーとしての科学的、技術的に理に適った面と、映画に必要なある種のディフォルメされた面が融合した独自のヴィジュアルスタイルは、リアルSFを目指していたスコット監督が望んでいた通りのモノで、元々はクルマやスピナーのデザインだけのハズが、気が付いてみれば街の風景やセット、VKテストやブラスター銃といった小道具に至るまで、映画のほとんど全てのデザインを手がける事になった。
しかし、このヴィジュアルデザインは極めて高く評価され、後のSF/サイバーパンク系の作品に決して少なくない影響を与える事になった。
映画『ブレードランナー』と同じ82年に公開されたディズニー初のSF、『トロン』や、85年の『エイリアン2』、『ショート・サーキット』など、SF系の話題作、ヒット作でコンセプト・アートを手がけ、映画のヒットと共にミードもその地位を確固たるモノにする。
映画では、この他に『タイムコップ』(94年)、『ストレンジ・デイズ』(95年)、『ミッション・トゥ・マーズ』(97年)、『ステルス』(05年)、『M:IⅢ』(06年)などで、コンセプト・アートやデザインを手がけている。
ミードのデザインは日本でも人気が高く、その流れから複数のアニメ作品にデザインを提供しており、あの悪名高き『∀ガンダム』(注:通称“ヒゲガンダム”と呼ばれる“ガンダムモドキ”。 ってゆーかアレは、“ガンダム”じゃなくて“ガンガル”だろ! ファンの間では最も人気のないガンダムとして有名だが、ナゼかバンダイのプラモデル、マスターグレードシリーズの記念すべき100作目に選ばれた。 関係者の間では、評価が高いらしい。 日本人はネームバリューに弱い)や、OVAシリーズの『YAMATO2520』(注:『宇宙戦艦ヤマト』の300年後の世界を描いた作品)などを手がけている。
また、アニメだけでなくゲームにも多数のデザインを提供しており、意外なトコロではアートディンクの看板タイトルである鉄道会社経営SLG、『A列車で行こう5』にもコンセプト・アートを提供しており、2005年の愛・地球博のオフィシャル・アートも手がけていたりする。
現在は、2013年公開予定のマット・デイモン、ジョディ・フォスター主演最新作、『Elysium』の製作に参加している。
・ジョーダン・クローネンウェス/撮影監督
映画『ブレードランナー』において、陰影を強調した独特のライティングで観客を圧倒した映像を撮影したのは、ハリウッド映画界にその人有りと謳われ、その後数多くの撮影監督、映画監督を信奉者にした天才的カメラマン、ジョーダン・クローネンウェス(注:本名:ジョーダン・スコット・クローネンウェス)である。
1935年、LAに生まれたクローネンウェスは、まだ17歳だった1952年、ジェームズ・スチュワート主演の『Carbine Williams』という作品にノンクレジットで出演。 これがキッカケとなり、映画製作を学ぶようになる。
1966年、コンラッド・L・ホールのカメラマン助手としてウィリアム・シャトナー主演のオカルトホラー、『Incubus』の製作に参加。 以降、カメラクルーとして複数の作品制作に携わる。
70年代に入ると、独立して撮影監督を務めるようになり、『フロントページ』(74年)や『ローリングサンダー』(77年)、『アルタード・ステーツ/未知への挑戦』(80年)といった複数の作品において、その卓越した撮影技術で多くの映画監督の信頼を得るようになり、また同時に多くの弟子を抱えるようになっていく。
特に、若手の育成にはとても熱心で、自らの持っている技術を惜しみなく伝授し、気さくな人柄もあって皆に慕われ、多くの若手を輩出していく。
そんな折も折の1982年、映画『ブレードランナー』で見せた陰影を強調した独自のライティングが極めて高く評価され、映画のヴィジュアル面での秀逸さをアピールしたのみに止まらず、クローネンウェス自身もイギリスアカデミー賞とLA映画サークル協会賞で撮影監督賞を受賞。 その地位を確固たるモノにする。
しかし、この頃には既に、クローネンウェスの肉体は病魔に冒され始めていた。
パーキンソン病―。
脳内神経伝達物質であるドーパミンの不足とアセチルコリンの増大が同時に起こる神経変性疾患の一種であるこの病は、遺伝子疾患によって引き起こされ、決定的な治療法がない難病である。
クローネンウェスは、1978年の時点で既にパーキンソン病の診断を受けていた。
しかしクローネンウェスは、病と闘いながら仕事を続けた。
1986年には、『ペギー・スーの結婚』でオスカーにノミネートされ、撮影監督協会賞を受賞。 88年にはU2のドキュメンタリーや、90年にはマドンナのビデオクリップの撮影にも参加している。
しかし1991年、デイヴィッド・フィンチャーの長編映画デビュー作となった『エイリアン3』(注:フィンチャー監督は映画『ブレードランナー』のファンで、クローネンウェスの起用はフィンチャーの希望によるモノだった)の撮影中、パーキンソン病が悪化。 仕事ドコロか日常生活にも支障をきたすようになり、そのまま入院。 数年間の闘病生活の後、1996年、クローネンウェスは静かに息を引き取った。
結局、映画『エイリアン3』からは降板し、その直前に撮影された92年公開の作品、『愛という名の疑惑』が遺作となった。
しかし、彼の意思は3人の子供達によって引き継がれた。
ジェフ・クローネンウェスは、父の元で長年修行し、その卓越した撮影技術をことごとく身に付け、デイヴィッド・フィンチャー監督とのコンビで『セブン』(95年。 クレジットはカメラオペレーター)、『ファイトクラブ』(99年)、『ソーシャル・ネットワーク』(10年)などで、父に勝るとも劣らない見事な映像を撮っている。
娘のクリスティーは、女優として映画やTVドラマに出演。 もう一人の息子ティムもまた、俳優として映画やTVドラマに出演。 カメラオペレーターを務めたり、96年の『Frame by Frame』という作品では、監督、製作、脚本を手がけるなどして活躍している。
3人の子供達は、父の才能を様々な形で受け継ぎ、亡き父の意思をしっかりと継承しているのである。
・ローレンス・G・ポール/美術
映画『ブレードランナー』のヴィジュアルは、コンセプチュアル・アーティストのシド・ミードがイラストレーションによってその基礎を提示したが、これを実際にセットデザインに反映させたのは、プロダクション・デザイナーのローレンス・G・ポールである。
1970年代から、TVを中心にアート・ディレクターとして数多くのセットデザインを手がけてきたポールは、ピーター・フォンダ(注:69年の『イージー・ライダー』の人、と言えば分かる人は間違いなく筆者より上の世代だ)の監督/主演作、『さすらいのカウボーイ』や、ビリー・ディー・ウィリアムズ(注:『スター・ウォーズ』のランドゥ・カルリシアン役がつとに有名。 バートン版『バットマン』ではハービー・デントを演じた)主演のコメディ、『The Bingo Long Traveling All-Stars & Motor Kings』などのプロダクション・デザインを手がけ注目される。
転機となったのは映画『ブレードランナー』で、その美術は極めて高く評価され、オスカーはノミネート止まりだったモノの、イギリスアカデミー賞では美術賞でオスカーに輝き、ロンドン批評家協会賞では特別功労賞を受賞している。
この実績は業界内でも評判を呼び、数多くのヒット作、話題作のプロダクション・デザインを手がけるようになる。
例を挙げると、『ドクター・ドリトル』(83年)、『ロマンシング・ストーン』(84年)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年)、『プレデター2』(90年)、『透明人間』(92年)、『不法侵入』(92年)、『裸の銃を持つ男・パート33 1/3』、『エスケープ・フロム・LA』(96年)等々、キリがないのでこれぐらいにしておくが、ジャンルを問わず、様々な作品でその卓越した手腕を発揮している。
2000年の『Murder in the Mirror』というTV映画を最後に、現在はほとんど引退状態だが、ポールの美術デザインは『ブレードランナー』を例に持ち出すまでもなく、その後のハリウッド映画に多大な影響を与えている事に間違いはないだろう。
・テリー・ローリングス/編集
プリ・プロから本撮影中、さらにはポス・プロに至るまで、製作開始から公開直前まで脚本や設定がコロコロ変わり、その度に編集作業をやり直すというハードワークを命じられたのは、名編集者として数多くの話題作、ヒット作を手がけてきたテリー・ローリングスである。
1933年、イギリスはロンドンに生を受けたローリングスは、映画製作を学びサウンド・エディターとして業界入りする。
1962年に公開された『The Pot Carriers』というコメディ映画の製作に参加したのを皮切りに、60年代から70年代にかけて、サウンド・エディター、もしくはダビング・エディターとして30作近い作品の製作に参加する。
このサウンド・エディターと手腕は高く評価されており、68年と69年には、イギリスアカデミー賞の音響賞にノミネートされている。
転機となったのは1977年。 この年、映画監督デビューを果たしたリドリー・スコットの初監督作品、『デュエリスト』の製作に参加した事である。
この時はダビング・エディターとしての参加だったが、スコット監督の信頼を得て編集に転向する事になる。
同じく77年公開のホラー映画『センチネル』、78年公開のアニメーション映画『ウォーターシップダウンのうさぎたち』で編集を任されたローリングスは、79年に旧友のスコット監督の召集を受け、『エイリアン』の編集を任される。 この映画は空前の大ヒットを記録し、ローリングスの編集も高く評価され、ホラー映画としては異例とも言えるイギリスアカデミー賞の編集賞にノミネートされた。
81年には『炎のランナー』で再びノミネートし、その地位を確固たるモノにしたローリングスは、82年の映画『ブレードランナー』で再びスコット監督の招集を受け、編集監修として編集作業の指揮(注:実際の編集作業は、マーシャ・ナカシマという編集者が手がけている。 また、ディレクターズ・カット版はリー・ハーレイ。 ファイナル・カット版はジリアン・L・ハッシングとカレン・ラッシュという、それぞれ異なる編集者が編集作業を手がけている)を任され、これまたノミネートしている。
以降、ローリングスは『レジェンド/光と影の伝説』(85年)、『風の惑星/スリップストリーム』(89年)、『エイリアン3』(92年)、『007:ゴールデンアイ』(95年)、『セイント』(97年)、『エントラップメント』(99年)等々、話題作、ヒット作の編集を数多く手がける。
が、2004年に公開されたジョエル・シューマッカー監督のアンドリュー・ロイド・ウェーバーのミュージカル版の映画化作品、『オペラ座の怪人』を最後に、高齢を理由に映画界引退を表明。 翌2005年には、それまでの功績が高く評価され、アメリカ映画編集者協会賞、生涯功労賞を受賞し、引退に華を添えた。
現在は、優雅な隠居生活を送っているようだが、ローリングス独特の静と動を巧みに使い分ける編集技術は、現在も映画界に大きな影響を与え続けている。
・ダグラス・トランブル/特殊効果監修
映画『ブレードランナー』における特殊効果の数々は、公開当時からの極めて高い評価を得ていたが、これを手がけたのは監督や製作、脚本家としてのキャリアも持つ伝説的特殊効果スーパーバイザー、ダグラス・トランブルである。
1942年、LAに生まれたトランブルは、カレッジでグラフィックデザインを学んだ後、小規模なアニメーション作品などで特殊効果を手がけるようになる。
1964年、科学映画プロデューサーのコン・ペダースンと共に製作した作品がニューヨーク世界博覧会に出品され、これを見たスタンリー・キューブリックの誘いを受け、あの『2001年/宇宙の旅』(68年)の特殊効果を手がける。
この映像は極めて高く評価され、以降の特殊効果を駆使した映画に多大な影響を与えるようになるが、トランブルにとっては、娯楽映画としてはこれがなんと初仕事だった。
これをキッカケに娯楽映画に転向したトランブルは、特殊効果スーパーバイザーとして複数の作品制作に参加するが、転機となったのは1972年の『サイレント・ランニング』という作品である。
当時問題になり始めていた環境問題をテーマにしたこの作品で、トランブルは特殊効果監修に加え、監督と製作も兼任。 この作品は高く評価され、現在はSF映画の古典の一つとしてカルト的な人気を得ている。
これを皮切りに、トランブルは監督業にも進出し、短編だが複数の作品を手がけるが、特殊効果監修としてのキャリア上で重要になったのは、やはり77年のスピルバーグ監督作品、『未知との遭遇』である。
この直前、実はトランブルはルーカスに『スターウォーズ』の特殊効果監修を依頼されているが辞退。 トランブルは、ルーカスではなくスピルバーグを選んだ。
結果、『未知との遭遇』における特殊効果は極めて高く評価され、視覚効果賞でオスカーにノミネートされている。 また、79年には今もなお、多くの信奉者を抱える『スタートレック』の初の劇場版、『スタートレック:ザ・モーションピクチャー』の特殊効果も、同じくオスカーにノミネートされ、サターン賞では受賞に至っている。
この実績を引っさげて、トランブルは旧友のリチャード・ユーシリッチらと共に自身の特殊効果製作スタジオ、エンターテイメント・エフェクツ・グループ=EEG社を設立。 同社の最初の仕事となったのが、82年の映画『ブレードランナー』である。
映画『ブレードランナー』の特殊効果は、それまでのトランブルのキャリアの中でも最も高く評価された作品で、アメリカオスカー、イギリスオスカー、サターン賞でそれぞれノミネート。 ロンドン批評家協会賞では受賞に至っており、その地位を確固たるモノにした。
が、特殊効果監修としては『ブレードランナー』が最後の仕事になり、以降は自身の監督作品に情熱を注いだ。 映画『ブレードランナー』の翌年、83年公開の『ブレインストーム』は、後のヴァーチャル・リアリティを予見した古典的名作として、現在も高く評価されている。
この他、数作の短編を手がける傍ら、91年にはユニバーサル・スタジオの目玉アトラクションの一つ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー:ザ・ライド』の映像パートを監督していたりする。
トランブルは、96年に監督した『Luxor Live』という作品を最後に、事実上の映画界引退(注:一説には、CGI時代に適応出来なかったためとされている。 トランブルは、今でも古式ゆかしいミニチュア撮影やマットペインティングを愛しているとか)となったが、現在は映画の上映会や講演会などに参加し、次世代の映画製作を担う若手の育成に励んでいる。
これらの実績が高く評価され、93年にはアカデミー賞で特別功労賞として科学技術賞を受賞。
2010年には、既にフィリップ・K・ディックも入っていたSFの殿堂入りを果たした。
トランブルの手がけた特殊効果の数々は、今もなお、SF映画における映像表現の教科書として、多くの映画人に多大な影響を与え続けている。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!
ご褒美。 ※Felmoon Air Fortress Ver.1.2
プレイ動画『天空の城』でも紹介されていた古代エルフ族の遺産。 文字通りの“天空の城”。 持ち家として利用出来、蒐集したアイテムの保管場所に最適。 外観が異なる『Dawn』(注:キレイ)と『Dusk』(注:荒れ放題)の2種類から選べるが、ロケーションが同一で競合するため同時に導入出来ない。 今回は『Dawn』をセレクトしたが、espファイルのみのシンプルなMODなので、導入がとてもラク。
このお城には、このようなご褒美がある。 見た目的にも性能的にも大したモノではないが、高く売れるので財布が潤う。 これ以外には追加される新しいアイテムはない。
Thanks for youre reading,
See you next week!