わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

究極の原因は「官僚主導」であること

2008-12-12 | Weblog
2008年12月11日(木)




 江戸幕府は、なぜ崩壊したのか。将軍も老中も名ばかりの操り人形で、支配層に統治力がなかった。だから薩長に倒される前に自壊していたのだ。文芸評論の野口武彦さんが、そう言っている(「政体の末期に人材が払底するのはなぜか」中央公論十二月号)。

 井伊大老暗殺から明治に至る十年に満たぬ間に、老中は二十人以上もいた。彼らは譜代の大名で世襲ポストだった。操っていたのはたたき上げの奥右筆(ゆうひつ)、今の官僚たちだ。野口さんの自壊論は、これらを証左に挙げている。そして「政治力の衰退を示す生体標本」だと。改革派に担がれた徳川慶喜も時すでに遅く、最後の将軍となったのは歴史の教えるところだ。

 右の指摘をまつまでもなく、平成の世もよく似ている。二十年間で首相は十三人を数える。自民党政治が衰弱する一方で、官僚たちの操りの術は健在だ。加えて、ここへ来て麻生人気の急降下だ。報道各社の世論調査で、内閣支持率は軒並み20%台に落ち込んだ。きりもみの飛行機やら泥舟やらと、永田町はかしましいほどだ。

 ぶれと迷走。失言や国語力も。二カ月半にして問われること多く、かくて危険水域へと。選挙の顔だったはずが、もはや戦えぬと離反の声も相次ぐ。選挙を経ない首のすげ替えは今や許されまい。さりとて人材難か、代わる表紙も見えない。争鳴と漂流の図か。

 野口さんによれば鍵は「自己修繕能力」となる。さて大修繕ができるか、それとも歴史は繰り返すのか。歳晩の政権に寒風が吹く。




東奥日報

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