彼のお陰で裁判を身近に感じたことがある。
10年以上前の話だ。男の職業は裁判官。法廷の姿が気になった。黒の法服の右ひじ辺りがほつれて擦り切れていたからだ。 法服は七、八年もたつと傷みが出て新調するらしい。完ぺき主義者といわれた男だが、任官して20年以上になるのに、お構いなしだった。
裁判官の初心を貫こうとする意志のあらわれか。身を乗り出して事件の当事者の話に聴き入るうち、擦り減ってしまったのか。想像し、心ひかれた。
来年の裁判員候補者約29万5000人が選ばれた。通知が届き、戸惑っている人もあろう。実際の裁判員はさらに面接や抽選で絞り込まれるのだが、最高裁の意識調査では、裁判への参加に意欲的な人は2割にも満たなかった。
この数字をどう見るか。彼に尋ねようにも既に亡く、同期の裁判官に会った。
「裁判所は遠い世界。最初に負担感や不安があるのは、自然な感情でしょう。むしろ、結構いい数字」。穏やかな口調で、意外な答えが返ってきた。
「職業裁判官でも死刑が予想される裁判には、当たりたくないものです。判決前に悩み、言い渡し後も悩みは消えない」
模擬裁判で市民の、ごく常識的な指摘に鋭い視点を感じ、はっとさせられたことがあるという。「裁判員一人が全責任を負うわけでない。みんなの意見を聞く。批判し、励ましあう。そして判断すればいい」
新たな世界の扉を開き、裁判官と対話するのもまんざらではない。法服の訳は聞けずじまいだったが、あの男のような裁判官に出会えるかもしれない。(論説室)
毎日新聞 2008年12月7日 大阪朝刊
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