トルコのイスタンブールは時代によって名を変えた。古代のビザンチウム、東ローマ帝国時代のコンスタンチノープルから、オスマン帝国以降のイスタンブールへ。欧州とアジアが出会う文明の十字路には帝国の栄枯盛衰史が刻まれている。
ブリュッセルのトルコ人市民団体が今月3日夜、9人のピアニストによる演奏会を開いた。変わっていたのは顔ぶれだ。米国、イラン、イスラエル、トルコ、アルメニア、ギリシャ、南北キプロス、エジプト--。政府レベルではいさかいの多い「敵同士」の国出身の音楽家が多彩な演奏を披露した。
「平和のメッセージ発信を」とイスタンブール出身の演奏家、フセイン・セルメットさん(53)が5年前に作った「平和芸術家連合」の面々だ。音楽会を企画したトルコ人ジャーナリストのゼイネップ・ギョユスさん(50)は「音楽で紛争を乗り越えることができる」と語る。
文明間対話による紛争解決に努めているのは市民団体だけではない。イスラエルとシリアの中東和平交渉を仲介しているのは穏健派イスラム系のエルドアン・トルコ政権だ。最近は、イランの核問題を巡ってオバマ次期米政権とイラン政府の間を取り持つ用意も表明している。
中央アジアから中東にかけての地域で影響力を増し、欧州に対する地歩を固める国家戦略が透けて見える。思惑があるにせよ、トルコの仲介外交は地域の緊張緩和に貢献している。
橋渡し役を演じる原点には「多様な人々が共生してきたトルコの歴史」(ギョユスさん)がある。音楽で、外交で、人々を引き合わせるトルコの仲介力から当分、目が離せない。
毎日新聞 2008年12月8日 0時06分
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