良いドキュメントだった。制作、NHKエデュケーショナル。
ディレクター女性。カメラ、音楽もよかった。
福島、富岡町に住む、M氏現在64歳。
爆発後、20キロ圏内は避難指示が出て、入れなくなった。
多分父母と3人暮らし。彼は一人、家に残った。
父母は避難先で亡くなる。帰りたいと言ったがかなわなかった。
「高卒後、福島原発の建設ブーム。給料は東電単価で高い。
出稼ぎなしですんだ。だから皆働いた。
おらにも責任はある。原発を作ったんだという。
爆発は東電の責任だが。
納得できない保証金は受け取らず、寄付、貯金でここから
出ず暮らしている。国への抵抗、国の不始末の生き残りだ」
世界にも彼の行動が発信、仏などの新聞、雑誌に写真が掲載、
「福島のサムライ」とあった。
彼の信念が強く出たドキュメント、考えさせられた。
方言なので字幕いり。一人で自身、光景をカメラで撮影のシーンもある。
初めは1週間で終わると思った。
犬ねこ牛、350匹以上を助けた。
犬を置いて逃げられなかった。
餌がなくあばらの犬、鶏舎ごとニワトリ全て餓死。
一人で惨状、悲惨な光景を多数みた。
道に死んでいる動物。犬、ねこ、牛、ダチョウなどを埋めた。
牛を助け飼ってきた。17年9割が解除され人が戻った。
高齢者、若い家族も少しいる。
政府は田を除染というが、掘ると石ころが出てくる。
これで除染かよ~~100年かけて開墾した田。
新潟からの開拓民だった。農業、畜産でがんばって生きた。
ヤマ、と言うロバはペットで、最後まで牛と一緒にいたが
ヤマも死んだ。
17年町は解除された。新年に決意。
また米を作る!初日の出を見ながら一人でがんばると誓う。
作業員は岡山、茨城県からもきている。
町が死んでいる感じ。人をみない。
田畑の多くは農業をやめ、メガソーラーが設置されている。
M氏、昔は小学校700人。もう思い出せない。
無農薬で米を作る。石ころを除き、稲を植える。
稲は見事に育ち、90歳の男性に、よくやったといわれる。
一人では食べきれない。10表はあるか・・
普通の食事はご飯と梅干、塩をかけ質素。
できたコメを近くの帰還した家に配る。
家は平屋、しっかりと建っている。
放射能さえなければ、普通の光景。
昔は31日に早朝から餅つきをみなでした。
大正時代の脱穀機を出し、修理して使用。
23年1月、もち米ができ、餅つきを久しぶりに
おばさんのような女性と一緒。M氏、嬉しそう。
震災後初めて赤飯をたき、90歳の家に餅と配る。
「のどにつまらせないように」
13年経過、3月11日、富岡町広報のお知らせが流れる。
黙祷。14時46分。
M氏「九州、能登地震があり、明日は我が身の日本。
私もかわった、立ち向かい生きていかないと。
一人で生きていく。ここで」
ラストは夜の桜並木を歩く姿。
~力強い心、ずっと独身か?震災時、50代だったので身体も丈夫。
何でもこなすスキルがあった。
私も東日本大震災から、考え方は変わった。
お元気で、帰還した人たちと
故郷でゆったり過ごすといい。
政府に対する思いも語る。静かなドキュメントだった。