「村山談話の評価」 の続きです。
田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 ( p.40 )
村山談話は 「国民の自信を喪失させ、自衛隊の士気を低下させる」 ので、破棄されなければならない、と書かれています。
村山談話は破棄すべきである、と田母神さんが説かれるのは、 その歴史観が根底にあるのですが、国防も、根拠になっています。
しかし、この論は説得力に欠けると思います。現在、日本で一般的な歴史観は、「日本にも非があった」 というものだと思われますので、田母神さんの論が成り立つなら、
日本は開き直り国家だ、という感覚が国民の自信を喪失させ、自衛隊の士気を低下させる。これでは国を守れない。村山談話は維持されなければならない。
という論も成り立ちます。田母神さんの論には、説得力がありません。
ほかの人はどうなのか、私にはわかりませんが、すくなくとも私についていえば、村山談話を破棄する日本ではなく、維持する日本に、魅力を感じます。村山談話を維持してこそ、国民は国に誇りを持てるのではないでしょうか。
もちろん、いつまでも謝り続けろ、ということではありません。いったん出した村山談話は、破棄してはならない、と言っているのです。
また、村山談話を破棄した場合には、「村山談話がなかった状態に戻るのではない」 ことも、考慮されなければなりません。「いったん謝っておいて、謝罪はなかったことにすると宣言する」 ことになるのであり、これでは、友好国の反発を招いてしまいます。
村山談話は破棄すべきである、という見解は、非現実的だと思います。( たとえ村山談話に反対であろうと ) いったん出したものは、破棄してはならない。
村山談話の維持は、「日本は他国を侵略することはない」 という安心感を他国に与えるのであり、自衛隊が ( 内外に ) 広く認知される結果をもたらしているのではないか、と思います。
田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 ( p.40 )
「村山談話」は破棄されなければならない
「侵略国家」だという呪縛が国民の自信を喪失させ、自衛隊の士気を低下させる。これでは国を守れない。終戦五十周年の「村山談話」なるものが今の日本では金科玉条のようになっている。村山談話は破棄されなければならない。
村山談話は 「国民の自信を喪失させ、自衛隊の士気を低下させる」 ので、破棄されなければならない、と書かれています。
村山談話は破棄すべきである、と田母神さんが説かれるのは、 その歴史観が根底にあるのですが、国防も、根拠になっています。
しかし、この論は説得力に欠けると思います。現在、日本で一般的な歴史観は、「日本にも非があった」 というものだと思われますので、田母神さんの論が成り立つなら、
日本は開き直り国家だ、という感覚が国民の自信を喪失させ、自衛隊の士気を低下させる。これでは国を守れない。村山談話は維持されなければならない。
という論も成り立ちます。田母神さんの論には、説得力がありません。
ほかの人はどうなのか、私にはわかりませんが、すくなくとも私についていえば、村山談話を破棄する日本ではなく、維持する日本に、魅力を感じます。村山談話を維持してこそ、国民は国に誇りを持てるのではないでしょうか。
もちろん、いつまでも謝り続けろ、ということではありません。いったん出した村山談話は、破棄してはならない、と言っているのです。
また、村山談話を破棄した場合には、「村山談話がなかった状態に戻るのではない」 ことも、考慮されなければなりません。「いったん謝っておいて、謝罪はなかったことにすると宣言する」 ことになるのであり、これでは、友好国の反発を招いてしまいます。
村山談話は破棄すべきである、という見解は、非現実的だと思います。( たとえ村山談話に反対であろうと ) いったん出したものは、破棄してはならない。
村山談話の維持は、「日本は他国を侵略することはない」 という安心感を他国に与えるのであり、自衛隊が ( 内外に ) 広く認知される結果をもたらしているのではないか、と思います。
しかし、河野談話は、事実関係を確認しないで出した、酷いものであり、破棄されるべきです。
しかし、機会をみて、あなたの主張の真偽を「調べたい」と思います。
「慰安婦問題についての日本政府の見解」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/e349afa6db78d77e2955a5b2763ab6f8
この件、私もあまり自信がありません。だだし、当時、自民党保守派からかなりの異論があったようです。
詳しいいきさつは、ウィキペディアなどで調べた方が良いと思われます。