以下の引用は、引用の引用になっていますが、どちらもアメリカのダレス国務長官(当時)の見解です。
西牟田靖『ニッポンの国境』( p.131 )
上記引用文中にいう「ソ連案」とは、1955年(昭和30)年の日ソ国交回復交渉の際、ソ連側によって提示された歯舞・色丹島の返還を指しています。つまり2島を日本に返還し、国後・択捉島はソ連領とするという内容です。
ソ連が国後・択捉島を返還しようとしなかったのは、(ソ連側の主張によれば)国後・択捉島が千島列島の一部であること、およびこれらが軍事上重要な島であることが原因だと思われます。
日本は当初、2島返還もやむなし、と考えていたようですが、アメリカが上記のような主張をしたため、4島返還でなければならない、という立場に変わったと思われます。
ソ連としては4島返還は考えられないと思います。
日本としては日米関係を重視せざるを得ない以上、(すでに沖縄は日本に返還されているとはいえ)4島返還以外は考えられないと思います。現にいま、日本政府は4島返還を主張しています。
とすれば、北方領土問題はいつまでたっても解決しないことになります。
西牟田靖『ニッポンの国境』( p.131 )
千島列島をソ連に帰属せしめるということは、サン・フランシスコ条約でも決っていない。したがって日本側がソ連案を受諾する場合は、日本はソ連に対しサン・フランシスコ条約以上のことを認めることとなる次第である。かかる場合は同条約第二十六条が作用して、米国も沖縄の併合を主張しうる地位にたつわけである。ソ連のいい分は全く理不尽であると思考する。特にヤルタ協定を基礎とするソ連の立場は不可解であって、同協定についてはトルーマン前大統領がスターリンに対し明確に言明した通り、同協定に掲げられた事項はそれ自体なんらの決定を構成するものではない。領土に関する事項は、平和条約をまって初めて決定されるものである。ヤルタ協定を決定とみなし、これを基礎として論議すべき筋合いのものではない。必要とあればこの点に関し、さらに米国政府の見解を明示することとしてもさしつかえないという趣旨のことを述べた。
重光外相はその日ホテルに帰ってくると、さっそく私を外相の寝室に呼び入れて、やや青ざめた顔をして、「ダレスは全くひどいことをいう。もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたら、沖縄をアメリカの領土とするということを言った」といって、すこぶる興奮した顔つきで、私にダレスの主張を話してくれた(前掲『モスクワにかける虹』より)
上記引用文中にいう「ソ連案」とは、1955年(昭和30)年の日ソ国交回復交渉の際、ソ連側によって提示された歯舞・色丹島の返還を指しています。つまり2島を日本に返還し、国後・択捉島はソ連領とするという内容です。
米国は、歴史上の事実を注意深く検討した結果、択捉、国後両島は、(北海道の一部たる歯舞諸島及び色丹島とともに)、常に固有の日本領土の一部をなしてきたものであり、かつ、正当に日本国の主権下にあるものとして認められなければならないものであるとの結論に到達した。米国は、このことにソ連邦が同意するならば、それは極東における緊張の緩和に積極的に寄与することになるであろうと考えるものである。(データベース『世界と日本』より)
ソ連が国後・択捉島を返還しようとしなかったのは、(ソ連側の主張によれば)国後・択捉島が千島列島の一部であること、およびこれらが軍事上重要な島であることが原因だと思われます。
日本は当初、2島返還もやむなし、と考えていたようですが、アメリカが上記のような主張をしたため、4島返還でなければならない、という立場に変わったと思われます。
ソ連としては4島返還は考えられないと思います。
日本としては日米関係を重視せざるを得ない以上、(すでに沖縄は日本に返還されているとはいえ)4島返還以外は考えられないと思います。現にいま、日本政府は4島返還を主張しています。
とすれば、北方領土問題はいつまでたっても解決しないことになります。