親父が亡くなって今日で10年。
2004年1月21日午後7時2分、親父は岩手医大の病室で息を引き取った。享年86歳。
暮れの12月27日夜、お風呂の中から苦しい吐息が聞こえて中を覗いてみると湯船の中でぐったりしている親父の姿。救急車で岩手医大高次救急センターへ。主治医は一高の同期だった。肺炎との診断で人工呼吸器を装着したものの1ヶ月も持たなかった。
葬儀の日は稀に見る大雪だった。
あれから10年。
いろいろ変った。
葬儀で弔辞を読んだ二高3年生の娘は日本女子大に進学、東南アジアボランティア団体の幹部として何度も現地へ赴き活動を重ねた。そんな娘も、今では2歳になる双子の女の子の母親。
俺は当時の家からほど近い共同住宅に引越し。
気楽に生活しながら一人で仏壇を守っている。
10年は短いようで長い。長いようで短い。
そんな10年、何も変らないものがある。
俺は今日も白堊スポーツを更新をしている。
いつもの日常がここにある。
9月18日で白堊スポーツは10周年を迎える。
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