真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

宇宙パトロール ホッパ

2006年03月16日 10時43分07秒 | アニメーション
宇宙パトロール ホッパ
1965年 2月 1日から1965年 7月26日毎週月曜日の午後7時から7時半までNET(現テレビ朝日)で放送された27話から最終回44話までは 「パトロール・ホッパ 宇宙っ子ジュン」と改題された
企画が原徹 原作 深川鉄次 脚本 藪下泰次 津平小平 神波史男 竹内一夫 (敬称略 )など 演出には藪下泰次さん山本寛巳さん 田中亮三さん 小山礼司さん (小山礼司という人は、芸大の日本画家を出て東映動画にアニメーターとして入社し、東映の劇場マンガ映画である「少年猿飛佐助」「わんぱく王子の大蛇退治」などの美術設定を担当し、後年、東京ムービー制作の「巨人の星」でも美術デザインを担当され人。)
音楽は菊池俊輔 氏
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富士山が好き

2006年03月15日 10時30分04秒 | Weblog
本日快晴 真っ青な澄み切った空、自転車東久留米の東部図書館へ行く、その帰り道、落合川の遊歩道にでて、西武線線路を潜ったあたりで、まっすぐになった川のかなたに、富士山の頭がはっきり見えた、初めて富士山が見えることに気がついた。日本人なので、とても富士山が好きだ。小学校の校舎の窓から秩父連山の左に、そびえる富士山の雄姿を見て育った、晴れた日に遠く見る富士山の四季折々の姿に、癒されていたのであろう。視力も今では考えられない2.0もあった。遠くを見なくなった現代の子達、今、遠くを見ようとしてもとても見られない。昔を、思い浮かべると現代は、まるで壁に囲まれているよう。我が家の子供もめがねをかけている。またひとつ、うれいわずらい あきらめる 老いた者の戯言(たわごと)
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スーパージェッター

2006年03月14日 10時14分15秒 | アニメーション
未来からきた少年 スーパージェッター
1965年1月7日から1966年1月20日まで木曜日午後6時から6時半 TBS で52話が放送された、TCJ製作のSFアニメ。その後海外輸出向けとして26本がカラーでリメイクされ、日本では再放送をした時にカラー、リメイク版が使用された。提供は丸美屋食品工業で『エイトマン』の後番組としてエイトマン放送後、同じ時間帯に再放送をした。
TBSの「エイトマン」や「ビッグX」は商品化権を出版社や原作者がもっていた。スーパージェッターはTBSが企画し、漫画版を雑誌に久松文雄の漫画で連載させ商品化権をTBSが持つことができた。また1話はパイロットフィルムとして制作されたものであった。
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疑惑の塁審

2006年03月13日 10時04分40秒 | Weblog
テレビでWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)2次リーグ初戦対アメリカ戦を見てしまった。8回同点で迎えた1死満塁から、岩村選手の左飛で、三塁走者ロッテの西岡選手はタッチアップで生還した。やはり日本が勝つことは、とてもうれしいので一人で喜んでいた。ところが、なにか、もめだしたと思ったらアウトでチェンジ、しばらくして、「西岡のタッチアップが早かった」のでアウトになったのだとの説明。何度もその場面が、映し出されたが「西岡のタッチアップが早かった」と言うのは間違いであると言うことが、はっきりと映し出されている。
 塁審はホームインを一度は認めたが、デービッドソン球審が「西岡のタッチアップが早かった」と、判定を覆したのだ。いくら審判の判定は神聖なものなので覆せるものではない、とは言っても、間違いは間違い。正義の味方善としてきた、大国アメリカの威信が崩れる。そんなことも分からない現状の大国アメリカを見るようで失望する。勝てばよい、なりふりかまわない現状のアメリカを見る思いがするのだ。たくさんの子達も見ているのである、今回のいくさで、罪の無い、おおくの子らを殺したが、教育上もよくない。など、年寄りが、腹を立てても痛くも無い、アメリカ。敗戦後のアメリカへの憧れ、昔の夢またひとつ崩れていくものを感じた。結局決勝点が幻に終わり、日本はサヨナラ負け。後味の悪さだけが残りWBCへの失望感が残った。
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ビッグX

2006年03月12日 22時38分46秒 | アニメーション
ビッグX
制作が東京ムービー1964年8月3日から1965年9月27日までの毎週月曜日の午後7時から7時30分TBS系で放送全59話しかしなぜ手塚治虫の原作ビッグXが、虫プロではなく、東京ムービーの第1作として作られたのか、その経緯(いきさつ)は今のところ分からない.ご存知の方が居たら、ぜひ教えていただきたい。
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「0戦はやと」と「少年忍者風のフジ丸」

2006年03月11日 17時13分25秒 | アニメーション
「0戦はやと」と「少年忍者風のフジ丸」を調べた
「0戦はやと」はフジテレビで 1964年 1月21日から10月17日夕方6時15分から45分に放送された うしお そうじ(牛尾 走児とも、男性、1921年12月4日 - 2004年3月28日)は、漫画家、特撮プロデューサー、演出家。本名は鷺巣 富雄(さぎす とみお)。戦前には円谷英二らと共に東宝の特殊技術課に在籍。その後漫画家となり「どんぐり天狗」「おせんち小町」「ぽっくり物語」「スットコトンちゃん」などを発表。1960年、映像製作会社ピー・プロダクション(通称ピープロ)を設立し、アニメ「ハリスの旋風」「ちびっ子怪獣ヤダモン」、特撮テレビドラマ「マグマ大使」「スペクトルマン」「快傑ライオン丸」「電人ザボーガー」「鉄人タイガーセブン」などの名作を次々と制作。「風雲ライオン丸」では、ピープロ作品としては初めて自ら原作漫画を執筆(若林不二吾名義)。2004年3月28日、急性心不全で死去。享年82。長男はアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のBGMなどを作曲した作曲家・鷺巣詩郎。弟はアニメ制作会社エイケンでプロデューサーを務めた鷺巣政安。政安はうしおの元アシスタントでもあった。などと調べた。そしてサブタイトル38話を調べる。
「少年忍者風のフジ丸」はNETテレビ(日本教育テレビの略、現在のテレビ朝日)で1964年6月7日から1965年8月31日まで全65話放送された  このアニメは白土 三平さん作品の「忍者旋風」(風魔忍風伝)。アニメ 第一作になるが、東映動画がキャラクター権の問題で第29話以降白土 三平さんを原作から外した、この東映動画側の原作無視行動に対して白土 三平さんが怒って、これ以後の白土 三平さんは漫画映画化に対して反応を厳しくしたという噂がささやかれた作品。放映回数65回のうち前半は「忍者旋風」だが、人気が出た後、話を勝手に作り、放映継続され、原作者無視のアニメ作品だったとも言われた。キャラクターデザインは楠部大吉郎氏で、白土氏のものではない。人気がでて、放映中二回劇場アニメ映画化された、久松 文雄さんの漫画も連載された。

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車のオーディオ照明修理

2006年03月10日 16時42分54秒 | Weblog
 雨で長男を会社まで送っていった。車に後付した、オーディオの上のラジオの照明が点いていないので、雨で薄暗くて表示が見難い。イルミにして明るくならないことは分かり、配線を間違えているのか、カプラの位置に変更があるのか、見てみたい衝動に駆られた。下のCDには異常は無い。帰宅してオーディオ周りのパネルをはずし、オーシオを取り外す、テスターで、カプラの電源を調べる。などの作業、自動車電装品整備士のプライドにかけても、直す意気込みはあるのであるが、老眼で見えないのが、どうにもならない、出るのは汗ばかり、そのうちに下のCDのイルミをショートさせ切ってしまった、仕事のときは、分解して証明用の小さな電球を買えれば、簡単に直せる、然しその勇気が出ない、いや、もっと悪くなる、つまり、使用不可能にしてしまう、可能性のほうが高い。この調子では、何時間かかるか想定もできない。組み立てなおし、そのまま取り付ける、手を出さなければよかったと、後悔の念。結局表示がまったく見えなくなってしまった。歳を取ると言うことの、無念さを知る。
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初期のテレビ漫画

2006年03月09日 16時24分45秒 | Weblog
初期のテレビ漫画 テレビアニメと言う言葉はまだ無かった。
プロローグのページに、初期のテレビ漫画映画を、書いておこうと、一念発起する、てはじめに「仙人クラブ」のことを調べはじめるが、昔のことはあまり資料が無い、これからも資料が無くなっていくのであろうか、心さびしい。夕方までには何とか、調べ終えて、次の「鉄人28号」に取り掛かる。鉄腕アトムの ライバルとして、無視する心があったのか、何も覚えていないが、漫画は読んだ覚えがある。面白かった。またまた古いとことは何もわからなくなると言う事か、放送日を調べるのは、至難の業。図書館で新聞の縮小版が存在すればよいのだが、今度調べてみようと思う。
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つくしと花粉症

2006年03月08日 16時15分08秒 | Weblog
ページのはじめプロローグのページ校正を始める。少し書き足したところで、サーバーへ転送、確認すると、ページが無くなっている。再度転送、表示させず、何度か試して、はたと気がつく、300Kを超えているのではと、ファイルを調べると約400K近くある。ページ単位で300を超えても受け付けなくなるのかと、ページを虫プロ前夜として昭和35年で、別けてリンクのために3ページを修正して、試して見たらOK。
 気休めに散歩した時に、テレビで土筆が花粉症に良いと言う事を耳にした。探しながら歩いたが何のことは無い、すぐ近くの桃畑の桃の木の下にたくさん生えていた。まだ大きくなっていないが、中でも、大きそうなのを取って帰った。花粉症の妻がてんぷらにして食べてみていたが、そうは問屋が卸さない。
 日大の文理学部長が、趣味の山菜取りで採ったツクシを食べたところ、速効で症状が改善したのだとか。それに目を付けて、ツクシエキス入りの飴を開発したというお話。学内での試食によれば、効果が出たのは6割で、効果時間も15分から数時間とまちまち。ただ、これで花粉症が治ったという人もいるのだから、バカにはできないと思う。何より、即効性があるのは間違いなさそうだし。
=つくしのつくだ煮=
つくしはハカマを取り、一晩水につけてアク抜きする。つくしは空気にふれると変色してしまうので、小皿を落とし蓋風にかぶせる。一晩寝かし、水を切って
しょうゆ・みりん・酒で煮ます。割合はお好みで。煮汁がちょっと残る程度までゆっくり煮てできあがり。
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ドラえもん単行本は高い

2006年03月07日 17時02分14秒 | Weblog
パソコンでのホームページ制作作業、夕方散歩がてらに、近くのブックオフへ行ってみると、店内が改装されて、勝手が違って少し迷う。てんとう虫コミックスのドラえもんが置いてあった。立ち読みすると見覚えの有る話が第1巻に載っている。昔はドラえもんの単行本も持っていたけれど、おいておく場所が無くて、仕方なしに処分してしまい今では1冊も無い。古本なのに値段を見ると300円もする。定価は379円。半額が常識の古本屋ではないのか、しかし1974年8月1日初版第1刷発行 とある。初版本だから高いのかと、帰宅して、読み始める。「未来の国からはるばると」を見ていると、町の様子を見に行くくだりで、「タケコブター」のせりふになっている。改めて後ろを見ると1997年10月30日第150刷発行とあった。初版本であれば300円は仕方なかったが、価格が高すぎるのではないか。
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盗用

2006年03月06日 15時10分37秒 | Weblog
mvunitさんからメールの返事が来た、
私の今作っている忍者「日本テレビ動画」のページの中で「テレビ動画」と、「東京テレビ動画」は、まったく系列の違う会社であるとの指摘であった、ページを作っていて、辻褄が合わず、変だなと、疑問に思っていた、その謎が解けた思いだった、早速修正、訂正し、念のためにほかのページを調べ再度検索をしなおす。「ヤスシノポルノラマやっちまえ」はただ一つ画像のついたページがヒットしてかなり詳しい、あとで調べてページ作りに利用させていただこうと、そのページを丸写しにして保存しておいた。また今度も、再度検索をすると、資料は少なく、このページだけが検索できた。どんな人のページかほかも見てみようと、ページへ行く、ここのページはよくこんな事までと、ストーリーの内容まで詳しく書いてあった。このページを再度良く見ると雰囲気が、何処かで見た記憶に合う、まさかと思い「ホーム」をクリックするとmvunitさんのページ、お気に入りに登録して有って「ドラえもん」のところしか見ていなかったが、ほかにもたくさんの、よいページが作ってあった。私がmvunitさんに見てもらったページには、私が、ちゃっかりと、mvunitさんのページから盗んでしまった、。「ヤスシノポルノラマやっちまえ」が、臆目も無く堂々と載せてある、恥ずかしい。気が付かないでmvunitさんに、見てもらったのだ、さぞびっくりして、憤慨なさった事であろう、すぐに文章を消去、訂正するが、今後はきちんと調べてから公開しなければならない。mvunitさんに直接お詫びするために図書館へ行こう。そしてお詫びのメールを出さなければ、まだ、出していない。
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ドラえもんいんできしぃらんど

2006年03月05日 14時49分36秒 | アニメーション
 ひさしぶりにmvunitさんからメールわいただいた。昨年11月19日以来である。mvunitさんは おおはたさんや、き~ぼ~さん、へ情報を提供しておられたり、またご自身も「記憶のかさブタ」で、信頼できる一級品の資料を書かれている。日記で「ドラえもんいん できしぃらんど」のことを書いたのだが、それを見て、早速ほかの情報と一緒に、歌詞を、送ってくれた。日記でネオ・ユートピア主催の上映会で旧ドラのフィルムを流した事を見て残念がってもいて、上映する機会あったら教えて欲しいとも書いてあった。掲示板に悪質なスパム書き込みが私と同じで、多数来て消すのに時間をとられていることも同じであった。「ドラえもんいん できしぃらんど」のレコードは国立国会図書館のレコード室に保管されていて、借りて視聴することが出来、mvunitさんも何度か視聴室で聞いたとの事。
「日本テレビ動画」の紹介のページを製作しています。と書いてあったので、こちらでも作ろうとしていて、作りかけのページのアドレスを書いて返事を出した。

ドラえもんいんできしぃらんど  歌詞 
 作詞 藤子 不二雄  
 作曲 越部信義  
  歌 コロムビアゆりかご会&劇団NLT 

※ (ドラドラドッタン ドラドラドッタン
      ドラドラドッタン ドラドラドッタン)
1・きたよ きたきた ドラえもん
  未来の国から さっそうと 
  (のびたのためなら エンヤコラ ハ エンヤコラ)
  あ、出た、あ、出た あ、出た、あ、出た、
  ちょいと空とぶヘリトンボ ヘリトンボ
  もぐら顔負け潜地艦 潜地艦 うーん
  ちょっぴりズッコケ ドラえもん
  ドラミファソラシド ドラえもん


※ (ドラドラドッタン ドラドラドッタン
      ドラドラドッタン ドラドラドッタン)
2・きたよ きたきた ドラえもん
  おなかのポケット ダテじゃない 
  (タネもシカケもエンヤコラ ハ エンヤコラ)
  あ、それ、あ、それ、 あ、それ、あ、それ、
  おイモかじって ガスライター ガスライター
  くしゃみ一発 月旅行 月旅行 うーん
  ちょっぴりへんてこ ドラえもん
  ドラミファソラシド ドラえもん


※ (ドラドラドッタン ドラドラドッタン
      ドラドラドッタン ドラドラドッタン)
3・きたよ きたきた ドラえもん
  タイムマシンで はるばると 
  (不思議なちからで エンヤコラ ハ エンヤコラ)
  あ、また、あ、また あ、また、あ、また、
  夢もおこのみ ゆめまくら ゆめまくら
  もイチ度見るなら ユメコーダー ユメコーダー うーん
  ちょっぴりおかしな ドラえもん
  ドラミファソラシド ドラえもん


「曲調はスローテンポなジャズ、という感じです。」とのこと。
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親心子不知

2006年03月04日 14時18分52秒 | Weblog
昨日の夕方5時過ぎ次男から電話が入り、学校で気分がわるくなり、自転車を置いて、電車とバスで帰宅したが、気分が悪く滝山の郵便局にいるので、車で迎えに来て欲しいと連絡があった。めったに泣き言を言わない次男の性格を知っているので、とても心配になる、すぐに迎えにいって、大丈夫そうな次男を見て、安心した。 今日は、妻とお台場へ出かける予定であったが、そんなことがあって、次男が心配で、中止する。  が、本人は元気、夕方から、訓練校の人たちと飲み?に行くと出かけてしまった。そして最終電車で帰宅した。心配かけやがって!
 親の心子しらずである。
でも子供に言われそう
子の心 親しらず いつまでも子離れしない、親は迷惑。なんてね.....。
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虫プロ興亡記

2006年03月03日 14時06分34秒 | Weblog
久しぶりに晴た、あまりにも部屋の中が埃だらけになってしまっているので、布団をほして、掃除機で埃を吸い取ったりする。とても片付けたと言うには程遠い代わり映えしない部屋の中。また自転車で、東部図書館へ行き「鉄腕アトム2」のビデオを返して「鉄腕アトム3」のビデオを借りる。ビデオやDVDは一人1本までしか借りられない。川沿いの道はまだ風が冷たい。午後からは中央図書館へ行き 「虫プロ興亡記」を借りる。2階の閲覧室で、係りの人に、新聞の縮小版の 「朝日新聞昭和48年3月」を頼んで部屋で閲覧する。
「虫プロ興亡記」安仁明太の青春
山本 暎一さんの著書
虫プロ最初の4人の創始者のうちの一人、アニメの監督としてあまりにも有名な暎一さんが安仁明太、と言う一人の青年の姿を借りて、虫プロ時代を紹介した物語。虫プロの歴史を紹介した、貴重な一冊。
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図書館でビデオを借りる

2006年03月02日 13時45分43秒 | Weblog
東久留米市の図書館には 幸いなことに「ビデオやDVD」映像ライブラリーが、東部図書館にまとめて、貸し出しをしていることが、最近知った。ビデをが古くなり、劣化や破損、紛失などで、なくなってしまっているとの事で、今のうちに、存在するものを、見ておかなければ、ならないと思い、何があるのか、調べに行った。漫画映画では、虫プロのアトムや、ジャングル大帝、悟空の大冒険 あしたのジョー、クレオパトラ、などあることが分かった。手塚プロのホームページべ検索したら、表紙が分からないというものの、ビデオまである、また虫プロのアニメは最近リニューアルされているので、古い、オリジナルものが、無くなって行くようだ。まだ残っているうちにもう1度見ておくことが必要であろう、体のためにも自転車で東部図書館へ行き、早速「鉄腕アトム2」のビデオを借りてくるが1はすでに無くなってしまっていた。
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