真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

ジャングル大帝 17

2006年09月07日 16時30分34秒 | 虫プロジャングル大帝
ジャングル大帝 第1話の放送が終わり、手塚社長と今井専務、穴見常務、桑田常務、先生の奥さん、秘書の宮下さん、などに送られて、亀山さんたちが,淋しそうに帰られた。
 2スタ2階には虫プロの全スタッフが、「ジャングル大帝」を見終わって、ジュースを飲んだりして雑談していた。全員が残っているように命じられていたからでもあった。

穴見さんは、その会場に急いで行った。
テレビの置いてある場所とは違い、入り口近くに、少し高い場所が作られた。穴見さんの、挨拶が始まり、ジャングル班の苦労をねぎらい、今後もがんばるようにと激励した。

アトムもW3もそうであったが、時々、スポンサーから、スタッフへとお菓子や、ガムの差し入れがあった。

「三洋電機から、放送に当たって、スタッフへと、トランジスターラジオを頂きました」
亀井さんが、持ってきていたのであった。スタッフに渡し、労をねぎらい、と思っていたに、違いなかった。

「しかし」と穴見さんは続けた、
「こちらの手違いで、スタッフは何人おりますか、と聞かれ、ジャングル班のスタッフ120名と答えてしまった。200台のトランジスターラジオを、持ってきて頂いたが、今、虫プロのスタッフは300人を越えている。管理職や、総務など除いてである。」
続けて
「アトムも、W3も、差し入れは、全スタッフで、今までわけていた、今回『ジャングル班』のスタッフだけと言うのはどうかと思っている。」
すると
「人数が、間違っていましたと言って、不足分をもらえばいいじゃないですか」
と誰かが、後ろから叫んだ、笑いが起きた。

「申し訳ないが、そんなことは言えないですよ」

今日のことを思うと、そんなことを頼むこと自体、無神経で、どんな人たちなのだ、と疑われてしまう、手塚先生の名誉も傷つくだろう。
続けて言った。
「そこで申し訳ありませんが、抽選にいたしたいと思います。3人に2人が、当選となりますが、残念賞は、ロッテの、チューインガムです。」 ワンダースリー班の私が高田の馬場のロッテ工場から貰ってきてあった。そして、抽選会が始まり、あちこちで歓声が上がった。もちろん私もくじに当たって、トランジスターラジオを貰うことができた。お酒の無いパーティーであったが、遅くまで笑い声が続いた。

第一話の視聴率が出た、ビデオ・リサーチが19.1%、ニールセンが、22.5%であった、この当時ビデオ・リサーチが権威があり、ニールセンは参考程度であった、ニールセンのほうが、いつも視聴率が良く出た。
アトムも、W3も30%の時代であった。それは期待していたより、はるかに低い視聴率であった。

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