真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

若い時の思い出にふける

2006年02月10日 09時41分12秒 | アニメーション
よく朝早くに石神井公園へ行った、
吉村君やナベ子さんを誘っていったり、一人で行ったりした.そのうち西の奥に三宝寺池があることを知った、石神井池の北側の池に沿った道を西に向かい道路を渡ってせまい道を入っていくと、そこに三宝寺池があった無理をすれば一周できたが赤土の粘土質の道は滑りやすく容易には回れなかった。橋があって社があった、のちに石神井城落城のとき身を投げた泰経の二女照姫の話を知ったが、のちに石神井城落城のとき身を投げた泰経の二女照姫の話を知ったが、何日も徹夜が続き夜明け前にすこし時間が空くと、眠気覚ましと気分転換に三宝寺池へ行った。そこはまるで大昔に戻ったような別世界があって好きな場所であった。見たものでなければ表現できない、朝もやの中に、ベールに包まれた、霧のカーテンで、乳白色のふしぎな世界の入り口のような霧の中で、など、どんな表現を使っても書き表せない、湧き上がる霧に包まれて、そしてすこしづつ夜が明けてくる、時が止まりかけてゆっくり動いている。寝不足の頭は朦朧として、現実の世界から逃避していく、そんな世界を見ることが出来た。好きな場所であった。
そこには石森章太郎がえがいた、龍神沼の世界がそこにあるように思えていた。
 石森章太郎さんは手塚先生がまだ渋谷区代々木初台539に新婚時代住んでいた頃のお弟子さんで月岡貞夫さんと手塚先生が行けなくなった東映動画の西遊記のころ手塚先生の代理で通ってもらっていたことなど手塚先生から聞いていて名前を知っていた。龍神沼の、漫画を見て好きになりCOMに描かいた実験的な漫画「ジュン」で、ますます好きになった。縦だけのコマ割りや横だけのコマ割り、毎回新鮮な驚きで楽しみにしてみていた。それに龍神沼のときの花火のシーンであったような、(多分アシスタントの人がいたずらしたのだと思うが、)群集のなかで、裸の人に驚く人が気が付かないようにかかれていたりするのを、見つけ出しみんなで面白がったりする、別の楽しみかがあったりたりもした。あの当時、原稿料が1ページいくらであったが、誰だったかが、闇夜のカラスを書いた。(1ページ黒べた)
1ページは1ページ原稿料が入る、それを手塚先生に見せると、大笑いしていたが今度は、2ページにわたって大きなアップの原稿を書いていた。
神井公園の思い出に耽っていたが、脱線して次々と当時のことが思い出される・・・・・。
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